第265話「アイドルでも肥るのです」

「おい、待てよ。睦月っ!」



青山にあるスタジオへ向かう為、渋谷で地下鉄を乗り換える途中、名指しで女の子に呼び止められた。


声の感じからいって、まだ若い。

中学生か高校生という辺りだろう。


睦月は顔を顰めつつ、ゆっくり振り返る。

やはりスラリとした制服姿の女の子が文字通り腕を組んだ仁王立ちをしていた。


制服からこの辺りの公立高校の生徒である事がわかる。

精悍な顔立ちの女の子だ。

睦月より数センチ背が高い。


その女の子は睦月が立ち止まったのを見て、僅かに満足そうな表情を浮かべた。



「何さ?僕に何か用。つか君、よく僕だとわかったよね」



気怠げに睦月はマスクとサングラスを外す。

現れた美少女顔を見て、女の子は不遜な態度で鼻を鳴らした。



「これ見よがしに広瀬カイと一緒の写真、アップすんじゃねーよ」



そう言って女の子はスマホの画面を睦月に突きつける。

確かにそこには来週から始まる連続ドラマのオフショットが表示されている。


しかしヒロイン役は別の女優だし、自分はヒロインと同じ大学の友達という役所なので、ヒーロー役である広瀬カイとはほとんど絡みがない。


そのオフショットも、たまたまその場にいたキャストが固まっていたのを撮ったものなので、特別な意味もない。


やはり全くの言いがかりである。


しかし今回は集団ではなく、彼女一人で来ている。

彼女たちはいつも集団で現れ、広瀬カイという俳優との共演があった日に睦月に抗議してくるのだ。



「それ、広報スタッフがあげたものだから僕がやったんじゃないよ」



「そんな事知んないよ。とにかくカイに近づかないで。色目使ってんじゃねーよ」



「なっ…随分な言い方だね。あのさ、本当に広瀬くんはただの仕事仲間だから。恋愛感情なんて絶対湧かないから」



睦月は疲れたような様子でそう言うと、彼女に背を向けた。


本当に広瀬カイとは何もないし、興味もない。

いくは外見が女の子でも、男の子が好きとは限らない。

これは仕事なのだから。


しかしそれを言うわけにはいかないから、仕方ない。



「ちょっと、逃げんなよ」



腕を掴まれた。



「……もう、一体なワケ?君は僕にどうして欲しいのさ」



「…それは」



どうやらそこまでは考えていなかったらしい。

女の子の顔色が急に変わった。



「うるせー、ブス!とにかく広瀬カイには近づくなよ」



そう言って女の子は走り去って行った。

一体何がしたかったのやら。

睦月は再びマスクとサングラスを掛け直した。


その視線が地面に注がれる。

彼女が去った方向に小さな手帳らしきものが落ちていた。


拾い上げると、それはこの辺りにある公立高校の生徒手帳だった。



英紗里はなぶささりか…」



睦月はぼんやりと彼女が去って行った方向をまだ眺めていた。




         ☆☆☆



広瀬カイは紗里の全てだった。

彼で埋め尽くされた部屋の中で紗里は唇を噛み締めていた。


オーディション番組で一目見た時から心を奪われた。

それからは彼が選ばれるよう、夢中になって応援した。


その想いは通じて、彼は選ばれて次々活躍の場を広げていった。


孤独な自分には広瀬カイが全てだった。


しかしそこに現れたのがあのフワフワな美少女、睦月だ。


誰からも愛される容姿を持った彼女は瞬く間に人気を博し、その内広瀬カイと共演するようになっていく。


噂では二人は付き合っていて、お互いのマンションを行き来しているという。


次第に紗里の怒りは睦月に向けられるようになっていった。


睦月は移動に公共の交通機関を利用する事が多いので、わりと遭遇確率の高い芸能人である事で有名だ。


紗里は校内の広瀬カイを推すサークルに入った。

別に紗里は誰かとこの気持ちを共有したいわけではなかったけれど、誰かと一緒に睦月を攻撃したいという気持ちの方が強かった。


我ながら歪んでいると思ったが、カイを思う気持ちは止められなかった。




「でも、やだな。これってイジメじゃん…」




紗里はベッドに突っ伏してしばらくの間、そこから動かなかった。


多分睦月が言っていた事は本当だろう。

だけど、本人を前にするとどうしても彼女を疑う事しか口に出来なくなってしまう。



「やっぱり謝った方がいいかな…」




        ☆☆☆



「あのさぁ、夕陽さん…結婚式を前に凄く言いにくいんだけどさぁ」



夕陽のマンションでみなみはモジモジと両手を合わせてこちらをチラチラ見ている。


その何とも不穏な空気を感じて夕陽は思わずゴクリと唾を飲み込む。



「な……何だよ。まさか結婚出来ないとか言い出すんじゃないだろうな?」




「違うよ!その……あのね、実は私、ちょっぴり太っちゃって、ウェディングドレス入らなくなっちゃった♡てへぺろ」



「なっ…入らなくなるって、それちょっぴりってレベルじゃないだろ」




「だってだって、夕陽さんのご飯美味しいし、お母さんのご飯も美味しいじゃん。で、最近陽菜の彼氏の翔ちゃんも頻繁に手作りのお弁当を差し入れてくれるから、これはやばいよね?気付いたら胸がキツくて、あ、胸が大きくなったんじゃないの。トップじゃなくてアンダーの方ね?もう息出来ないくらい厳しかった♡」



「貴様はバカか…」



「なっ…何よ〜。それ。意を決して告白したのに」




みなみは頬を膨らませている。

確かに最近、妙に肩幅がしっかりしてきたなと思っていた。

しかし彼女はアイドルなのだし、最低限の自己管理は出来ると思っていたのだ。



「仕方ないな。こうなったらダイエットするぞ」




「わー、夕陽さん。頑張って♡」



「お前がだよ!何で他人事なんだよ」



夕陽は頭を抱えた。

どうやら大変な事になってしまった。
















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