第59話

「あ、もしかしてこれ、買うつもりでしたか?だったらお譲りしますよ。ウチにまだ買い置きあるんで」



偶然スーパーで再会した森さらさは、瞬きすら忘れたように、夕陽の顔を凝視したまま固まっている。



こちらも驚いたが、彼女の方もまさかこんなところで会うと思ってなかったのだろう。

そんな気持ちを汲んで、夕陽は黙って彼女のカゴの中にサラダ油を入れてやる。



「そんじゃ、そういう事で。失礼します」



そう言って夕陽は踵を返した。

すると一瞬でさらさの硬直が解ける。



「いえいえ。そんなの困ります。スーパーの特売品は早い者勝ちなんですから。だからこれは王子のものです!」



そう捲し立てて、さらさはサラダ油を夕陽に押し付けて来た。



「いや、本当に気にしないで下さ…って、あのちょっ…その王子って何なんです?」



「だって私、あなたの名前知らないから。折り畳み傘の王子って呼ぶ事にしたの」



「うわ、それは正直やめて欲しいかな…」



誰もそんな国の王子になどなりたくはない。

言ってて、さらさの方も恥ずかしくなってきたのか、思わず顔を両手で覆う。



「あれ、そういえば折り畳み傘って……あぁ、あの傘の事ですか?なるほど。それから俺は真鍋です。真鍋夕陽」



「真鍋夕陽…。それが王子の名前ね」



「だから王子はやめてください。マジで」



何だか最初の印象と違って、中々変わった人だなと思った夕陽は思わず笑みを浮かべる。


「それであの…」



「まだ何か?」



さらさは勇気を振り絞るように、夕陽のスーツの裾を握る。


「折り畳み傘を返したいので、この後少しいいですか?」


「あぁ、それなら結構です。そのまま持っててもいいですし、不要なら捨てても構いませんよ」


傘の替えならたくさん持っているからと夕陽はあっさりと断り、レジへ向かおうとする。


「いいえ、絶対、必ず、お返ししたいんです」


「え、はぁ。…それじゃあわかりました。真面目な人だなぁ」


何だか必死な形相のさらさに、ただならぬ異様さを覚えた夕陽はそれを了承した。



        ☆☆☆



「あの時はお世話になりました。こちらお借りした傘です。それから…コホン。このサラダ油もありがとうございました」



「いえいえ。何もお構いもせずに」



「……変な人」



「うわぁ、アナタに言われたくないな〜」



スーパーの近くの公園で、さらさは夕陽に折り畳み傘を返却した。

それを夕陽は恭しく両手で受け取ると、カバンの中に収めた。



「ねぇ、王子はいくつなの?」



「………もう地味に定着してるし。23ですよ」


「ちっ。やっぱ年下か」


何故か横から軽く舌打ちする音が聞こえた。


「あ、でも俺、来月24になりますよ」


「えっ、そうなの?………って、ダメよ。私、月末に25になるじゃない!ああぁっ」


「も……森さん?」


何だか感情が上がったり下がったりと忙しい人だ。



「そんなの大体同年齢みたいなもんですよ」



取り敢えず何か落ち込んでいるようなので、慰めようと試みる。



「違うわよ。24歳になる23歳と、25歳になる24歳じゃ、全然違うわよ」



「えーーー。何か面倒な人だなぁ」



彼女はトロピカルエースのリーダーで、一番落ち着いたイメージだったし、あの雨の日に会った時も、もっと儚げでしっとりした人のように思っていた。


しかし目の前にいる女性は奔放で、かなりヤバいレベルでハイな人物に見える。


「王子は…」


「真鍋夕陽です」


「……それ、源氏名じゃないでしょうね?」


さらさがジトっとした目でこちらを見てくる。


「ホストじゃないです。本名っす」


「そうなの?そういえばあの日もスーツ着てたけど、王子は何してる人なの?」


「改める気ないな、この人…。普通のサラリーマンです」


夕陽はこっそり天を仰いだ。



「芸能人って、こんなのばかりなのか?」



何故か無性にみなみに会いたくなる夕陽だった。





















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