第236話「ボクがキミを好きな理由を考えてみたんだ」
その後、蓮は日本の最高学府である大学にストレートで合格を果たした。
学部は法学部。
父親と同じだった。
その事を一番喜んだのはやはり父だった。
ずっと幼い頃から悲願のように言い聞かせていた大学に合格したのだから。
当時、父も議員として最も脂が乗っていた頃で、息子の合格はその追い風になると思われていた。
しかし蓮はその大学へ通う事はなかった。
大学の入学式を明日に控えた夜、薬物の過剰摂取で病院へ運ばれたからだ。
蓮は自ら命を断とうとしたのだ。
これにはさすがの父も驚きを隠せなかったようで、事件の後すぐに蓮を母の実家へ預ける事を決意した。
父親の干渉は圧倒的に減った。
まるで今までの事が嘘のように。
そこから蓮は少しずつ本当の自分を取り戻していく。
毎日のようにクラブへ通い、新しい話題や音楽に触れた。
音楽に興味を持ったのもこの頃だ。
プログラミングを覚え、自ら曲作りも始めた。
それを動画サイトで発表したり、飛び入りで参加したクラブで発表したりした事もあり、蓮の存在は極狭い範囲でだが、広まりつつあった。
檜佐木圭介と出会ったのもこの頃だ。
「キミ、独特なセンスの音楽作るよね?ちょっとウチに来てみない?」
彼との出会いは、はっきり言ってナンパだった。
小柄で華奢な蓮は見かけも少女のように可憐で、話す声も高い。
初対面の相手は大抵蓮の性別を間違える。
この檜佐木という男もそうだった。
蓮を少女だと思って、期待と欲望混じりの誘い文句で声を掛けてきている。
それはわかっていたが、蓮は敢えて何も言わず彼の家までついて行った。
彼の曲作りを実際に見てみたかったからだ。
その頃、すでに檜佐木は秋海棠一十のステージにサポートメンバーとして加入しており、その傍らでアイドル等に曲も提供していた。
つまり彼はプロであり、今まで蓮の知らなかった世界を知る者である。
檜佐木の自宅は地下がスタジオになっていて、上の階に居住空間がある。
まだ若いのにこんな東京の一等地に自宅を持てるなんて、やはりプロは凄いと内心蓮は舌を巻く。
檜佐木はリビングの奥にあるバーのような部屋へ蓮を案内すると、甘いカクテルを作って手渡してきた。
甘ったるい香料で誤魔化されているが、いかにも悪酔いしそうな配合のカクテルである。
しかし蓮は酒に対する耐性が強い為、あまり酔う事がない。
だから無理に飲む必要性を感じない為、飲酒の習慣もない。
「おー。いい飲みっぷり。ところでレンちゃんはどんな風なアーティストになりたいの?」
それから二人でソファに座り、カクテルを飲みながらしばらく雑談する事になった。
蓮はグラスを一気に煽ると、少し考えながら言葉を紡ぎ出した。
「僕は色々なタイプの曲を作りたい。色々な人がその曲で楽しんでもらえるような」
「なるほどね。それはいいと思うよ。音楽なんて基本はそこだからね。そういえばレンちゃん、一人称ボクっ子なんだ。可愛いね」
いきなり頬を撫でられ、蓮の背筋がゾクリと粟立つ。
「あのさ、もっと僕に色々教えてくれない?音楽の事」
すると檜佐木はにっこりと笑い、空のグラスをテーブルに置いた。
「勿論だよ。でもそれよりもっといい事を教えてあげたいな。ねぇ、レンちゃん♡」
檜佐木は蓮の身体を押し倒して、優しく顔を近づけた。
酒気を帯びた吐息が鼻先を掠め、蓮は思わずゾッとした。
「あ。僕、男なんで、そっちの「いい事」は教わらなくていいです」
「なっ、何だって?レンちゃん男の娘だったの?」
「は?何かちょっとニュアンスが変だったような…」
いきなり胸に手を伸ばされた。
そこには檜佐木が期待した膨らみはなく、若木を思わせる硬い感触があった。
途端に檜佐木の顔に落胆が広がっていく。
「あー、悲しいくらい硬い胸板だね。肋骨の感触エグいやつだ。これはまず太らせるところからだね…いや待てよ。この容姿とこの声……ふむ」
「は?あの何ですか。人の胸触りながら…」
ソファから身体を起こした蓮は不思議そうな顔で檜佐木を見上げた。
しかしもう檜佐木の顔には欲望の色は鳴りを潜め、別の期待に胸を躍らせているようだ。
「女の子のような容姿と声を持ったキラキラな男性アイドル!いいじゃんそれ。何かエモい。面白そうだ。それを水面下で進めつつ、アーティストとしてのキミを徹底的に鍛えよう」
「?」
檜佐木はワクワクした顔で瞳を輝かせている。
これは何か楽しい事を企んでいる顔だ。
そしてこれがきっかけとなり、蓮はその後トロピカルエース等の仮歌やコーラスの仕事を熟すようになり、後に自らの作詞作曲でアイドルデビューする事になっていく。
一番心配だった父親からは、活動する際に本名を連想させない芸名をつける事、スキャンダルには気をつける事。
その条件二つだけを課し、他は黙認すると伝えられた。
あれだけ蓮に期待し、重圧を課してきた父親にしては意外だった。
あの自殺未遂が余程堪えたのだろうか。
こうしてアイドル、支倉翔が誕生した。
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