第175話

ライブはトロピカルエースのデビュー曲から始まった。


これは数あるトロピカルエースの楽曲の中でも一番盛り上がる曲なので、いつもは後半に持ってくる事が多いのだが、今日は最初から飛ばすつもりのセットリストなのだろう。



夕陽は後ろにいる両親がこの音と光の洪水の中でどんな反応を示しているのか内心、気が気ではなかったが、妹の楽しそうな声が聞こえてくる事から、そこそこ受け入れているのかと少しホッとした。


ステージ上の彼女たちは端から端までを駆け巡り、楽しげに盛り上げる。


彼女たちが何かする度に歓声と拍手が巻き起こる。

そこにライブ独特の一体感が生まれるのだ。



途中、エナの衣装が機材に挟まり、衣装の一部が破損してしまう場面もあったが、そこは素早くリーダーのさらさが彼女をさり気なく舞台袖へ連れ出し、応急処置をして乗り切った。


そんな連携も、デビュー当時では考えられない事だった。


当時はさらさが脱退前提で加入した事やキャリアの差からグループに溝が出来て、まともに話すらしないくらい5人の関係は上手くいってなかった。



だが今は本当に5人が打ち解け、一体となっている。


ふと横を見ると、何故か笹島が涙を流していた。



「ちょっ…おま…何で泣いてんだよ」



「えぐっ…いや、皆成長したなって思ったら親心からつい目から水が…」



「お前はいつ彼女たちの親になったんだよ。汚ねぇな。ほら、これ使え」



夕陽は嫌々ポケットティッシュを手渡す。


一瞬ハンカチを出そうとして引っ込めたのは、以前にもこんな場面があって、その時はハンカチを差し出したのだが、この男はあろう事か涙を拭った後、それで鼻をかんで夕陽に押し付けて来たのだ。


もうそのパターンは予測済みなので即座に回避する。



「ひぐっ…さんきゅな……」



笹島はやはり涙を拭いた後にズビズビと鼻を啜り出した。


まぁ、夕陽としてもその気持ちはわからなくもない。

それくらい彼女たちの存在が大きくなったという事だ。


ステージではみなみが満面の笑顔を振りまきソロ曲を歌っている。

それは初めて彼女が作詞した曲だ。

あまり国語が得意ではない彼女だから、苦労したに違いない。


だけどその苦しみや葛藤を夕陽にすら見せず、しっかりやり遂げた彼女もやっぱりアイドルとして、アーティストとして成長しているのだ。


ふと、そんな彼女がとても遠い存在に思えて夕陽の胸が軋んだ。

今までこんな気持ちになった事はなかった。


心のどこかでアイドルとしての永瀬みなみと、彼女としての長瀬巳波は別物として見ていたからだろうか。


それが今、このライブを見て二つのみなみが重なり、急に距離を感じてしまったのかもしれない。


あの皆の声援を受けて光り輝いているアイドルのみなみは自分なんかが決して手の届かない遥か遠い世界の存在に見える。


今までの事は全部幻で、本当は夢の出来事なのかもしれないと。



そんな不安から知らず夕陽の手が伸ばされる。


どうか届いて欲しいと。


この中から自分を見つけ出してくれと、無意識にそう願っていた。


その時、ステージ上のみなみがこちらを見ているような気がした。



「っつ!?」



みなみは確かにこちらを見ていた。

そして笑った。


それはただ自分がそう思いたいからかもしれないが、確かに夕陽はそう感じた。


大丈夫。

これは魔法なんかではないと。


そう感じた。

それだけで不安は一瞬で消えていく。


夕陽がしばしそんな思いに囚われている内に、やがて曲は終わりMCが始まった。



「みんな〜、メリークリスマス!今日は来てくれてありがとう!」



さらさの張りのある声が会場中に響き渡る。



笹島はペンライトを振って全力で「メリークリスマス」を壊れた人形のように連呼している。


思えばさらさとの出会いも衝撃的だった。

まさかあのモデルや女優としても活躍していたさらさが自分に好意を持つとは思わなかった。


それこそ学生の頃、自宅で家族と一緒に見ていたドラマに出ていたヒロインの女の子だ。


まさかその彼女とあんな事になるとは誰も想像出来ないだろう。


だがこれは元々みなみとの出会いがなければ、絶対になかった出会いだ。


だから多分、自分がさらさと付き合うという事はないのだと思う。


気持ちに応える事は出来なかったが、夕陽はこれからの彼女の活躍と幸せを心から願う。


いつの間にかさらさのオープニングトークは終わって、メンバー紹介に移り、軽いクリスマスに纏わる雑談が始まっていた。


そのノリに会場も大いに湧いた。


そして十分会場が温まった頃、みなみが一人ステージ上に残った。


再び沸き起こる拍手と歓声。


笑顔で応えるみなみ。

しかしその顔には多少の緊張が滲んでいた。


夕陽はただじっと拳を握りしめて、彼女が何を話すのか待っていた。



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