第260話「友達が欲しいんだ」
「あんたさぁ、広瀬カイと共演したからって調子乗ってんじゃねーよ」
睦月の顔スレスレの辺りに学生鞄が叩きつけられる。
「黙ってないで何か言えや、どブスが」
今朝は仕事に出ようとしたところでまた鏡子に追い回され、逃げ込むように乗った地下鉄ではJK…女子高生に早速絡まれてしまった。
もうこれ以上ないくらいツイてない。
絡まれた理由としては、先日放送された旅番組で共演した男性アーティストが自分たちの推しであった為らしい。
全くもって理不尽な絡まれ方である。
女性アイドルとして活動している睦月は、心まで女性という事ではない。
中身は普通の二十歳の男性だ。
だから彼女たちがやっかむような理由は全くないのだ。
しかしそれを言うわけにもいかないので、結局は言いたい放題の集中砲火なわけである。
「あのねー、仕方ないでしょ。仕事なんだから。君達も早く学校行きなよね」
睦月は煩そうに髪を掻き上げ、少女たちを見渡した。
皆、舞台にでも上がるのかというくらいメイクが濃い。
綺麗な肌をしているのに、それを台無しにしているような気がして、睦月は内心惜しいなと思った。
その視線が気に入らなかったらしく、ますます彼女達を煽ってしまった。
「何だよその顔は。ナメてんのかよ。その顔めちゃくちゃにしてやろうか?」
まるで反社会組織の構成員を思わせる昭和レトロチックな脅し文句である。
しかしここで大人しくめちゃくちゃにされるわけにはいかない。
何せこの顔でご飯を食べているのだから。
睦月は彼女たちの隙をついて横から逃げ出そうとタイミングを測る。
その時だった。
「キミ、こっち来て!」
「えっ?……あぅっ」
背後から声が掛かったかと思うと一気に腕を引っ張られ、睦月は女子高生たちの群れから脱出出来た。
後ろから睦月を罵倒する口汚い言葉が聞こえたが、それは無視して走り去る。
「はぁ…はぁ…だ……大丈夫っすか?」
「あ、あぁ。ええ。ありがとう…あれ?あんたは…」
乱れた息を整えながら、手を引いてくれた相手を見上げた睦月はその顔に見覚えがある事に気付く。
「あ、もしかして覚えてくれてましたっすか?」
彼は破顔して頭を掻いた。
それは先日鏡子から逃げていたところを救ってくれたアフロ頭の男だった。
「あ…あぁ、うん。また助けてくれたんだね。ありがとう」
「い…いやぁ。別に大した事はしてないっすよ。たまたま通りがかっただけで」
アフロ頭の男は照れたように笑った。
「俺、笹島耕平っす。会社員してます」
「比奈瀬涙兎。睦月って名前でsix moon所属の歌手してます」
「ええええっ?睦月って、あの睦月?」
「笹島くんの言う睦月がどの睦月かわからないけど、まぁよろしく」
アフロ頭の男、笹島は驚きながらも遠慮がちにこちらをチラチラ見てくる。
まぁ、偶然助けた相手が芸能人だなんて滅多にない事だから当然だろう。
「それにしてもいつもあんな感じなんすか?」
「え、あぁ。あのJK達の事?まぁね。僕、アンチも多いから」
睦月の場合は公共機関をよく利用する為、こういうトラブルになったりするのだが、中々それを改善する気にはならない。
飽くまで自分がやりたいようにやる。
それが信条だ。
「俺も今まで沢山のアイドル推してきたけど、あそこまで過激なの見た事ないっすよ。JK怖っ」
「まぁ、さっきのはまだ可愛いもんだよ。相手にしなけりゃいいんだから」
そう言って睦月は乱れた髪を整えた。
「アイドルも大変っすね…」
「まー、楽な仕事なんてないよ。これも仕事だと思ってやり過ごすしかないよ」
睦月はそう言って笑った。
笹島は社会人だという事は自分よりいくつか年上だろう。
しかしそれを感じさせない気安さがある。
普通に友達として付き合えるような好感触を感じていた。
しかし笹島は睦月を女の子のアイドルだと思って話しているのだろう。
少し声が上擦っているのを感じた。
「じゃあ、あの自分はこれで…」
「うん。改めてありがとう。笹島くん」
「いえいえ。睦月さんもお仕事頑張ってください。応援してるんで。それじゃあどもっす!」
笹島は爽やかに去って行った。
「僕にもあんな友達がいたらなぁ…」
睦月も笹島とは逆方向に歩き出す。
普通の同世代の男子は大学に行ったり、就職したりまともな毎日を過ごしているのだろう。
それに比べ、今の自分は女でもないのに女の格好をして歌ったり踊ったり、何をしているのだろう。
しかしそれ以外の道を知らないのだから仕方ない。
自分にはこれしかないのだから。
だから今日も現場へ向かう。
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