第259話「ボーイミーツガール?」

「莉奈、彼氏と別れるの?」



事務所の屋上のベンチに寝そべりながら、髪の長い少女が怜に問いかける。


怜はそれに無言で俯く。



「別にそこまでストイックにならなくてもいいんじゃないのー?僕と違って莉奈は恋愛禁止されてないんだし」



少女は自嘲的に嗤うと、傍に乱雑に並べられたハンバーガーを一口食べた。

可憐な口唇にケチャップとマスタードが付着する。

それを乱暴に袖で拭おうとすると、怜がやって来てハンカチでそれを拭った。



「じゃあ、睦月はずっとこのままでいいの?」



「僕?そうだね。別にこのままでも不自由はないし、いいかなって思ってる。それよりも問題は莉奈だよ。いいの?本当に」



「……わからない。でもね、ちょっと自信無くしたの。彼の純真さに触れたら、もう自分を保てなくなるくらい、いかに自分が汚れた存在何だって思えて…」



「バカだよね。莉奈は。そんな事一々僕に相談するより、彼氏とよく話し合いなよ。その方がより建設的だよ」



少女は薄く笑うと、すっかり冷えてシナシナになったポテトを口へ放り込んだ。


少女、睦月はトロピカルエースと同じ事務所に所属するソロで活動しているアイドル歌手だ。


ふわふわと揺れる長い髪に愛らしい顔立ちをしており、コアな男性ファンが多い。

しかし、その正体は「男性」だ。



女性のような容姿と声を持っている事から、支倉翔に似た特徴を持ってはいるが、翔はあくまで男性のアイドルとして活動している。


その一方で、睦月は男性でありながら女性のアイドルとして活躍しているので厳密には両者は別物である。


以前、怜は睦月に交際を申し込んだ過去がある。

しかし事務所から性別を偽って活動している為、彼だけが厳しい恋愛禁止という制限を受けている現状から断られてしまった。


以来、二人はまるで同性の親友のように過ごして来た。


怜は様々な事を睦月に相談してきた。

相談の内容は主に恋愛。


彼氏が出来そうな時や、出来た時、別れた時、その都度、怜は常に睦月を頼ってきた。


最近は怜に新しい恋人が出来た事で、しばらくの間、疎遠になっていたのだが、今日久しぶりに会う事が出来た。




「大丈夫だよ。もっと自信持っていいよ。莉奈は全然汚れてなんかいないよ。身体なんてさ、毎日細胞が入れ替わってるんだよ?もうあの時とは違う新しい莉奈になってるよ」



「もう。何なの、その理屈は」



ようやく怜は笑顔になった。

睦月はベンチから立ち上がる。



「まだ付き合って一年も経ってないんでしょ?だったらもう少し相手を信用しないと。相手は莉奈の全てを受け入れてくれたんじゃないの?」



「……うん。そうだよね。ごめんね。もう少し自分で考えてみる」




「よしよし。それじゃあ僕は戻るよ。また何かあったら連絡して」




「ありがとう。睦月」




睦月は背を向けたまま怜に手を振って屋上から出て行った。

怜はしばらく屋上でぼんやり空を眺めている。

その顔には不安が広がっていた。




        ☆☆☆




「あれ、むっちゃんだ。事務所で会うの珍しいね」



「おぅ、巳波。超久しぶり」




エレベーターを使わず、階段を降りていると、そこにダンスレッスンを終えたばかりの永瀬みなみと遭遇した。


睦月は笑顔でみなみとハイタッチする。



「これから仕事?」



「ううん。今日はレッスンだけ。今の振り付け、私だけ上手く出来てないから」



みなみは舌を出す。

元々歌やダンスが苦手な為、他のメンバーの倍頑張らないとならないみなみは、こうして空いた時間をレッスンに当てている。



「何か僕で手伝える事があったらいつでも言ってよ。あまり無理するな」



「うんっ!ありがとう。むっちゃんはいつも優しいね」



無邪気なみなみの笑顔を見て、睦月は顔を強張らせる。

しかしそれも一瞬の事。


すぐにいつもの笑顔に戻る。



「そんな事ないよ。じゃあレッスン頑張って」



睦月はみなみと別れ、事務所を出た。

少しだけ空気が冷たく感じる。

外はそろそろ秋の気配が漂い始めていた。



「比奈瀬涙兎くん、ちょっといいかしら?」



歩き始めてすぐ、待ち伏せしていたかのように睦月の背後に女性の声がかかる。


その声を聞いた瞬間、睦月の眉間に皺が寄っていく。



「こんな場所でその名前を呼ばないでくれます?一応業務妨害になりますよ」



「だったらどこか二人で話せる場所に移動しましょ?」



振り返ると、そこにはスリムなパンツスーツに身を包んだ長身の女性が立っていた。


年齢は28か9というところだろうか。

はっきりした年齢を尋ねた事はないからわからないが、多分その辺りだろう。


彼女の名前は英鏡子はなぶさきょうこ


週刊誌のライターをしている。

睦月の正体が男性である事を突き止めた鏡子はここ数ヶ月、ずっと睦月を追いかけていた。


しかしそれを記事にする事は会社から止められている為、彼女も大分ストレスが溜まっているのだろう。



「……残念♡これから仕事なんですよ。すみませんね。英さん」



「あっ、こら待って!」



睦月は可愛らしい笑顔で鏡子に会釈すると、すぐに踵を返して走り出す。

血相を変えた鏡子はそれを逃すまいと追いかけて来る。



「げっ……マジかよ」



まさか追いかけて来るとは思わなかった睦月は舌打ちしてどこか隠れられそうなものを探す。


するとそこに挙動不審な様子でこちらへ歩いて来るアフロヘアの男が視界に入って来た。


それを見た睦月は長い髪を靡かせ、アフロの男の腕を取り、路地へ連れ込んだ。


急に腕を取られたアフロの男は妙な声を出したが、睦月はその男を盾にするようにしがみつき、路地でいちゃつくカップルを演じる。


そこに鏡子が走って来たが、鏡子はアフロを一瞥しただけで素通りして行った。



「ふぅ…。助かった」



「あわあわわわ…あのあの…その」




急に抱きつかれたアフロ頭の男はガチガチの直立姿勢のまま固まっている。


どうやら睦月を女の子だと思っているようだ。


だったら誤解したままの方が都合がいい。

睦月はその男の手を取ると、可愛く微笑んだ。



「さっきはどうもありがとう。ちょっとしつこい人に追いかけられて困ってたんだ♡」



「…えっ、だ…それは…大丈夫?」




アフロ頭の男に少し理性が戻ってきたらしい。

どうやらお人好しで根はいいヤツっぽい。

そう瞬時に悟った睦月は内心ニヤリと笑った。



「うん。お兄さんのお陰でね。じゃあ本当にありがとう」



「あ、うん…。気を付けて」



睦月は男に礼を言うと、そのまま大通りに出た。




「ふぅ…危なかったぁ」



睦月は安堵のため息を吐くと、雑踏の中に姿を紛れ込ませていった。

















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