第27話

目の前スレスレを薄い刃が一閃する。


「わわわわっ、だぁぁっ!」


笹島は奇妙な悲鳴をあげながら四つん這いになってそれを回避する。

これ程の騒ぎだというのに、周囲には人通りもなく、マンションから住人の出入りもない。


「嗚呼っ、もう、どんだけツイてないのよっ、俺っ!」


詩織は無言で殺戮マシーンのようにナイフを振り翳し、笹島を追い詰めて行く。

やがて笹島はマンション共用のダストスペースまで追い詰められた。

笹島の頬に冷や汗が滴り落ちる。


詩織はナイフを両手で持ち、獲物を仕留めるかのように一気に距離を詰めてきた。

笹島耕平人生最大のピンチである。

   


「いやー。らめぇぇぇっ!」



両腕をクロスさせて、情けない悲鳴をあげた瞬間、何か硬質なものが落ちる音が響いた。


「れ?」


それはナイフだった。

恐る恐る見上げると、詩織の肩が上下している。

よく見るとどうやら笑っているようだ。

それはあの狂気の混じったものではなく、心から出た笑いに見える。


「詩織…ちゃん?」


「ふふふっ、あはははっ。情けない。あなたそれでも男なの?」


目の前の殺人鬼が突然普通の可愛い女の子に戻ったようで、そのあまりの変容に笹島は思わず見惚れた。


「も…勿論男だよっ。何なら証拠を見せたっていい」


そう言って調子に乗ったところで顔面スレスレに痛烈な蹴りが入った。


「見せたら捻り切るわよ?」


「はひぃっ!」


どうやら再び殺戮モードの地雷を踏んでしまったようだ。


「もう言いません。二度と言いません」


「……変わった人」


詩織はポツリと呟いて落ちたナイフを拾い上げ、それをまたカバンに仕舞い込んだ。


「詩織ちゃ……」


「その「ちゃん」はやめて。大体あなた、どうしてあたしの名前を知っているの?ストーカーなの?」


いきなり本物のストーカーにストーカー呼ばわりされて、笹島は思わず憤慨する。


「いやいや、ストーカーとは失礼な。大体ストーカーはそっちでしょ」


「なっ……」


詩織の顔が怒りに赤くなった。


ストーカーVSストーカー。

何とも不毛な会話が転がる。


「俺はみなみん……トロエーのファンなんだよ。だからあの子には幸せになって欲しくて手を貸したんだ。あ、ちなみに俺はみなみんじゃなくて怜ちん推しね」


取り敢えず沈黙を作るまいと、笹島は必死に言葉を繋いだ。

彼女と接する事で、みなみの心を蝕む闇の手掛かりを少しでもわかればいい。


すると詩織は急に冷めた表情で吐き捨てるように呟く。


「バカね。そんな事、あなたに何の得にもならないじゃない」


「まぁ、そうだね。でもそれでみなみんが…そして親友が笑顔になれるならいいじゃん。その為だったら俺はいくらでも身体を張るよ」


それは本心だった。

夕陽は最初、この件に笹島を関わらせたくないと言っていた。

これは自分たちの問題だから、自分で何とかすると。

だけど笹島は首を振った。

ガンガン関わらせてくれと。

二人には本当に世話になってるし、上手くいって欲しかった。

それに自分がいて、二人がいる。

そんな日常が楽しかったから。

この日常を愛していたのは自分も同じだ。


「だから部外者でも、俺はガンガン踏み込むよ。キミたちに」


両手を突き出し、何かを揉みしだく動きを始めた笹島の手を、詩織はまるで最下層の生き物を見るような蔑んだ目で見ている。


「だからって、あたしからは何も話す事はないわ」


「じゃあ、キミとみなみんの間に一体何があったの?ネットの書き込みじゃ、その一件からみなみんは学校を一年留年してるよね?」


「……勝手に想像したらいいじゃない」


詩織は拒絶するように吐き捨てた。


「いや、それじゃあ真実はわからないままだ。何も解決しない」


笹島も負けずに言い返す。

基本的に女子に甘々な彼が今日は別人のように切り込んでくる。


「解決する気なんてない。あたしとみなみの世界にあなたは要らない…帰るわ」


急に全ての興味を失ったかのように詩織はまたフラリと姿を消そうとする。


「ちょい待ちーっ、あのさ、じゃあ俺たち友達になろうよ。何でもいいから話そう」


すると彼女は再び笑った。

儚げだけど綺麗な笑顔だった。


「無理よ」


「どうして?」


詩織はもう振り返らなかった。

そんな彼女は去り際にそっと呟いた。


「あなたが女の子だったなら良かったのにね」



「へ?」


そう言い残し、詩織は現れた時と同じ唐突さで姿を消した。


「俺が女の子……ねぇ。う〜ん、、…うん。アリかも♡」



        ☆☆☆



「ねぇわっ!絶対ねーから」


そんな声が虚しく響く。


「絶対ナシだって!みなみ、頼むからこれだけは勘弁してくれって」


一方、遊園地にいる夕陽はあるアトラクションの前で必死の抵抗をしていた。


「えーっ、コスモマウンテンは外せないよ。コスモマウンテンのない夢の国なんて、焼肉のない焼肉定食と同じじゃん」


「ご飯と味噌汁と漬物だけでも立派に定食として成立するって!」


「しません!そんな焼肉定食、詐欺だよ」


夕陽がゴネてるのは、暗闇の中を走り抜けるジェットコースターだ。

しかし普通のジェットコースターでさえ目を回す夕陽にはこれはキツいコラボレーションだ。


「はいはーい。文句は言わせません。さぁ、恐怖とパニックの世界へゴー!」


「ぎひぃっ、みなみっ、オレの手を絶対に離さないでくれよ?」


「夕陽さん、いつの間にヒロイン役簒奪したの?」


夕陽の絶叫が響き渡った。





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