第100話
「耕平さ〜ん。朝ですよ。そろそろ起きて下さ〜い」
朝。
布団を頭まで被り、枕を抱きしめながら惰眠を貪る笹島の耳元に、まるで新婚家庭を思わせる愛らしい新妻の声が届く。
「ふぁっ?……って、あ…ナユタ…義姉さん」
最も自分の新妻ではないのが悲しいところである。
ゆっくり布団をずらし、薄目を開けるとそこには白いエプロン姿のナユタがこちらを覗き込んでいた。
出会った当時、表情が隠れるくらい長かった前髪は綺麗に切り揃えられ、今はパッチリとしたアーモンド型の瞳が生き生きと輝いている。
「おはよ。耕平さん。ご飯出来てるよ。顔洗って支度出来たら降りてきて」
「……あ。あぁ、ども。スミマセン」
「ふふっ。まだ硬いね。無理しなくていいよ。いつも通りナユタって呼んで」
「いやいや、そんなわけにはいかないよ。俺としても連れてきた女の子が急に「義姉さん」になるなんて、驚きを通り越して痛恨の一撃だったけど…」
そう。
先日。笹島が仕事から帰って来ると、家族で言い合いが始まっていた。
リビングに入ると父親が興奮して拳を握り、その足元には頬を腫らした兄と、それを、心配そうに支えるナユタの姿があった。
一体何があったのか、わけがわからなかった。
すると台所でそれを遠巻きに見守っていた母親がコソっと教えてくれた。
兄がナユタとの結婚の報告に来たと。
それから彼女が妊娠している事も。
教えてもらってもわけがわからなかった。
何がどうなって、こんな事になったのだろうか。
子供が出来たという事は、つまりそういう仲なのだろう。
兄とナユタはいつの間に付き合っていたか、笹島は全く気づかなかった。
笹島は呆然としたまま、親子の話し合いには加わらず、2階の自室に戻った。
現実逃避のように自室で好きなアイドルの動画を閲覧する間も、階下からの父親と兄の言い争う声が気になって集中出来なかった。
その後、笹島が疲れて寝落ちしてからも話し合いは続き、気付くと朝だった。
すると父の口から二人の結婚を認めるとだけ知らされ、ナユタは子供が生まれるまで再びここで生活する事が決まった。
まぁ、妊婦にあの和菓子屋の急な階段は危険だし、部屋の環境もあまり良くはないので仕方ない。
自分を置き去りに刻々と状況が変わっていく。
もう笹島には全てが急展開で、心がついていかない。
その後、兄はナユタの父親へ挨拶に行ったらしい。
彼女の父親は数年前に脳梗塞で倒れ、半身に麻痺が残ってしまい、森さらさの母親と離婚した後は、都内の療養施設に入居しているそうだ。
結婚の報告をすると、ナユタの父親は涙を流して喜び、何度もありがとうと繰り返した。
昔はかなり端正な顔立ちをしていたと思わせる甘い容貌も、長い療養生活ですっかり枯れ木のように衰え、生命力を感じない。
これが過去、力で妻や子供たちを支配していた男とは思えないくらいだ。
そして図らずも笹島家と親戚になってしまった
笹島にとっては不本意な納得の仕方である。
姉の方は離婚後、メイクの本格的に勉強を始める為に渡米したので、エアメールで報告をした。
こうしてあっという間にナユタは笹島の義姉として戻ってきたのだ。
色々複雑ではあるが、これは受け入れるしかない。
「おい、奥さん。俺の靴下知らないか?」
布団から出た笹島の前に、無愛想な兄の顔がニョキっと飛び出す。
「ちゃんと昨日洗って棚の上に置きましたよ。気付かなかった?」
呆れた様子でナユタはため息を吐き、腰をおさえながらゆっくり立ち上がる。
「悪い。見なかった…」
「もう。ちゃんと寝る前に言いましたよ。仕方ないなぁ。ついて来て。あ、耕平さんも支度早くね」
「お…おぅ」
「は…はい」
兄弟は揃って顔を見合わせる。
「あのさ…ナユタってあんなにしっかりしてたっけ?」
「オンナってヤツは母親になると変わるもんだ」
「…………えーーーー」
しかし幸せそうに夫やその家族の世話を焼くナユタの姿を見ていると、自分も早くそんな相手と巡り会いたいと思う気持ちが芽生え始めていた。
☆☆☆
「………わーっ、笹島さん。何でその選択肢選んじゃうの?バカなの?乙女心全然理解してないじゃん!」
「えー、ここはいきなりキスすんでしょ」
「リアルにキモい。つかリアルでする度胸もないクセに。あー、ほら「あかりん」の愛情値下がった〜。もうドン引きだよ」
数日後。
夕陽宅で、みなみと笹島が大画面で男性向けの恋愛ゲームをやっている。
笹島が選ぶ選択肢は攻略対象の恋心を打ち砕き、ことごとく外れている。
「あーっ、そこは強引に奪わないと!何やってんの、笹島さんっ」
「ちょっ。みなみん?さっきと言ってる事違っ……」
「お前ら、暇な中学生の夏休みじゃねーんだぞ。祐悟さんの結婚祝いを何にするか決める為に集まったのに」
夕陽はうんざりした顔で二人を見下ろす。
「だって、夕陽さん。笹島さんったら全然女の子の事わかってないんだよ」
「………規格外女子に言われてもなぁ」
「は?何よそれ」
「あ、みなみん。エンディングになったよ。何か彼女も出来ず、親友や教師にも好かれずに一人で校舎を去っていくスチル、ゲットしたけど…」
テレビ画面では卒業式、孤独に校舎を去る主人公をバックにエンドロールが流れていた。
「うわぁ、初回プレイでいきなりBADエンド……笹島さん、恋愛の才能ゼロなんじゃない?それに教師の信頼も友達も出来ないEDって、狙わないと中々見られないよ」
「笹島…。恋愛はゲームじゃない。元気出せよ」
笹島はガックリ項垂れた。
「お前らも兄貴もリア充ばっかで大嫌いだー!」
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