第110話
「……で、告白しないのか?」
「は?誰が誰に」
何となく気怠い午後。
新規で入った企業イベントの日程調整に頭を悩ませる笹島に、後ろから打ち合わせを終えたばかりの夕陽が声をかけてきた。
「誰って、お前が乙女乃怜にだよ。一緒に住んでるんだろ?チャンスじゃないか」
笹島はノートパソコンを閉じ、眉間を片手で揉みながら考えを巡らせる。
あれ程、騒いでいた推しと同居しているというのに笹島にしては歯切れが悪い。
「うーん。チャンスっていえばそうなんだけどなぁ。でも彼女、好きな人がいるんだ…」
夕陽は少し眉を上げるが、別段気にした様子も無く笑顔を浮かべて隣に座った。
「…なるほどね。そうか。でも返事は別として、自分の気持ちを相手に知ってもらう分にはいいんじゃないか?」
「まぁ。そうなんだけど…。でも彼女、俺が怜サマ推しなの知ってっからね。今更じゃね?」
「お前が付き合いたいのか、遠くから応援しているだけでいいのかはわからないが、時間は限られているだろうから後悔のないようにな」
「…ん。サンキュ」
夕陽なりの、気遣いを感じて笹島は軽く頷いた。
確かに夕陽の言う通りだと思う。
怜はいつまでも家にいるわけではない。
いつまでかは知らないが、彼女はあのトロピカルエースのメンバーなのだ。
最近ようやく怜は客間から出て、笹島の家族と居間で団欒に加わる事も増えてきた。
彼女が復帰するのはもう間近なのかもしれない。
だがその前に佐野隼汰との仲を何とかしてやりたいという気持ちも大きい。
我ながらお節介だとはわかっているが、性分なのだから仕方ない。
☆☆☆
「ふぁ〜ぁ。疲れたなぁ。今日は久しぶりの定時だな」
「だな。どうする、どっかで飲むか?」
その後、何とか仕事終えて二人は久しぶりに一緒に帰る事になった。
「おっ、イイね。最近アルコール抜いてたから余計に恋しいわ」
夕陽も久しぶりの陽が落ちる前の退社でテンションが高い。
そんな話をしながら二人で駅まで歩いていると、その前から不審な人物がこちらに近付いて来るのが見えた。
「…何だ?あれは」
「さ…さぁ?」
二人に近付く不審な人物は、高級なブランド物のハーフコートに、ロシアン帽のようなフワフワな帽子を被り、大きめなサングラスをした長身の女性だった。
帽子からは明るいハニーブロンドの巻き髪が覗いている。
その女性は二人の前に仁王立ちになると、ビシっと指差して笑った。
「ふふふっ。待ってたわよ。二人とも。さぁ、出かけましょ」
「?」
「誰…っすか?」
突然不審な見知らぬ女性から声をかけられ、二人は思わず身構える。
「ちょっと、あたしが誰かわからないの?」
「…いや、わかりませんよ」
夕陽は思い切り怪訝な顔で女性から目を逸らす。
するとその女性は大きなサングラスをグイッと下げて瞳を露出させる。
意思の強い吊り上がり気味の目を見た笹島がすぐに気がつく。
「あーっ、怜サ……むぐぐっ」
「バカっ!声が大きい」
笹島が大声を出した瞬間、女性か素早くその口を手で覆った。
その女性は何と乙女乃怜だった。
「え、もしかして乙女乃さんですか?(小声)」
夕陽は手を口元に当てて囁くように聞いた。
「そうよ。こんな抜群のプロポーションの女がそうそういるわけないじゃない」
「うーわー…何だろう。この人。凄い苦手だわ」
「夕陽っ、なんて事言うんだよ。土下座しろぃっ!」
笹島はそう言いながら、何故か自分が土下座をしている。
「おい…。それで何でその…「早乙女さん」がここにいらっしゃるんですか?」
「えっ?さっき言ったじゃない。遊びに行くって」
「いや、言ってませんよ。初耳です」
「じゃあ、今言ったからいいじゃない。行きましょ」
そう言うと怜は夕陽の腕を掴み、もう片方の腕で、まだ土下座したままだった笹島を引き上げると、何事もなかったように歩き出した。
「ちょっ…行くって俺も?」
「そうそう。みなみに連絡したんだけど、今日はお芝居の衣装合わせで無理だったのよ。だから今日は三人で楽しみましょう?」
「……おいっ、笹島っ。何とかしろよ」
夕陽は巻き込まれてたまるかと笹島を見たが、笹島はただクラゲのようにフニャフニャしているだけだった。
「はわぁわぁわぁ…至福っ♡」
「…マジかよ」
どうやら今夜飲みに行くという話は無かった事になったようだ。
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