第85話
「ええと……あの、それは何かの冗談ですよね?」
カップ麺をテーブルに置き、夕陽は内心冷や汗を浮かべながら、目の前の大物プロデューサーを見た。
その瞳からは何の感情も読み取る事は出来ない。
完全なる「無」だ。
まさか彼は本気でこんな何も知らない素人の自分をデビューさせようとしているのだろうか。
すると、ようやく一十が表情を綻ばせた。
「びっくりさせてゴメンね。ボクとしては本当の話にしても良かったんだけど。…キミは素材として面白いと思うし。でもまぁ、今回キミの用事は違うようだね」
一十は穏やかな笑みを浮かべる。
そこでようやく夕陽の肩から力が抜けた。
とにかく非常に緊張した時間だった。
「良かった……。俺、歌なんて歌えませんから焦りましたよ。あの、お話というのは森さらささんとの件でして」
「あぁ、撮られちゃったんだよね。ボクも見たよ。本当にこういう弱いとこ突いてくるの得意だよね。マスコミってさ」
「…………」
そう言って一十は自らを自嘲するように笑った。
「あ、…その、お身体大丈夫ですか?」
そういえば彼は最近退院したばかりだった事を思い出す。
彼の様子からは、体調が良いのか悪いのかどうも判別がつかない。
元々顔色は冴えなく、病的なイメージがあるからだろう。
「ん?あぁ、もう平気だよ。あれはちょっと衝動的なヤツだったから」
「……衝動的ですか」
一十は何て事のないように頷いた。
「人間は不安定な生き物だから、些細な事で簡単に死に方向く。それだけ死には魅力があるんだろうね」
「秋海棠さん…」
「さて、ボクの事はこのくらいでいいとして、今はキミの話だったよね。マスコミの方は所属事務所に任せておけば大丈夫だよ。タレントを守るのが仕事の一つでもあるしね。きっとそんな大事にはならないと思う。問題は森さらさだね」
「はい…」
一十はポリポリと頭を掻いた。
「うーん。音楽の事ならまだしも、恋の相談は難しいね。ちょっと人選ミスって感じだけど、陽菜ちゃんから頼まれてるからなぁ」
「すみません。お忙しい中なのに」
「それは別にいいよ。今はまだ表向きは療養中って事で、差し迫った納期もないから。で、陽菜ちゃんにはどんな事言われたの?」
「もう森さんとは会わない方がいいと言われました」
「ふぅん…。そうなんだ」
一十は何か考え込むように上向きに視線を上げる。
こういう芸術家肌の人間はどんなポーズも絵になるなと、夕陽は心の中で思った。
「ボクは逆に会った方がいいと思うな」
「えっ?それはどうしてですか」
「別に会って彼女の気持ちに応えろとは言わないよ。ただ、このまま中途半端に別れても、気持ちに区切りがつかないから彼女はこの先ずっとキミを忘れられず、引きずっていくと思う」
「…………」
夕陽は言葉を失った。
確かに彼の言う通りだろう。
「好きな人に別の好きな人が出来たからといって、自分の気持ちはそこで消えてしまうわけじゃないよね?」
「はい…」
「だったら、ちゃんと話した方がいい。会って一度、彼女の気持ちを受け止めて、それから答えを出したらどうかな?」
その言葉は夕陽の胸にストンと入ってきた。
さらさの気持ちには応えられないけれど、自分の為にも彼女の為にもしっかりその気持ちを受け止めるべきだ。
「……そうですね。会わないという事は逃げてるのと同じですよね。わかりました。俺、ちゃんと彼女と話をしてみます」
夕陽がそう言うと、一十は嬉しそうに頷いた。
「キミは素直でいい子だね。ボクの周りは素直じゃない子ばかりだから」
「ははは…。それは芸能界だからじゃないんですか?」
何となく、みなみ達を見ていると芸能界というものは本音だけでは渡り合えないものがあるようだ。
それは普通の会社員である夕陽にも当てはまるものもあるが、それ以上に深い闇が広がる世界に思える。
「そうだね。この前もね、年末にデビューするアイドルの子のプロデュースも平行して準備してるんだけど、初対面で同世代の友達のように接してくるから驚いたな。思った事もそのままポンポン口にするし」
「えぇっ、秋海棠さんにですか?」
「そうだよ。あんなの永瀬みなみ以来だったなぁ」
突然みなみの名前が出てきて、夕陽は顔を上げた。
「あの子、オーディション会場にボロボロのジャージとニット帽で来たんだよ」
「げっ……それで受けたんですか?」
当時を思い出した一十は笑いを堪え切れない様子で肩を震わせている。
「うん。そうなんだよ。面白いよね。それでも一番やる気は感じられたな。歌も演技も最低ラインだったけどね」
「うわぁ、それで何で受かったんですか?」
「他の子たちにはない気迫を感じたからかな。書類の備考欄に彼女、自分が不登校になった事とか包み隠さず書いてたんだよ。それですごく誠実な子だなって思った。この子の変わっていく姿を見たいなって思わせる力があるんだよ」
「そうなんですか…」
彼はみなみの本質を見抜いてメンバーに加えたのだ。
やはり彼は大物のプロデューサーだなと思った。
☆☆☆
「あの、今日は本当にありがとうございました。本当に一度森さんと話してみたいと思います。…といっても彼女の連絡先を知らないんですが」
一通り話をして、夕陽はそろそろ一十の家を出る事にした。
他にも喜多浦陽菜との関係や、二人は同棲しているのか等、気になる事はあったが、不躾にする話でもないので敢えて口にはしなかった。
笹島の話だと、二人はデキている…らしい。
まぁ、一十がトロピカルエースのメンバーをフルネーム呼びしている中で、陽菜だけ「ちゃん」付けで呼んでいるのが何よりの証拠だろう。
すると一十は机に戻り、何か紙にメモをすると、それを夕陽に手渡す。
「こっちが森さらさでこっちがボクの連絡先」
「え、秋海棠さんの連絡先までいいんですか?」
一十はにっこり笑う。
「勿論だよ。好きな時に連絡して構わないよ。単純に遊びに来ても構わないし。もしキミが本当に歌いたいっていうなら手伝うよ」
「あははは。それは本当に遠慮します。俺、歌はカラオケでも苦手なんで」
「そっか。フラれたな。キミ、声はいいからちょっとボイトレで調整したらすぐ歌えるようになるのに」
「………はぁ」
一十はまだ諦めてないようなのが怖い。
だが、そんな表情がすぐに変わった。
「あ、でも森さらさは今、行方不明なんだよね」
「え、行方不明ですか?」
一十は頷く。
夕陽の顔に不安が広がっていく。
「うん。事務所で事実確認をした後、失踪したとかで…あぁ、これは内密に頼むね。色々怒られちゃうから」
「勿論です。でも心配ですね……」
「うん。彼女の居場所がわかったら、すぐに連絡するよ」
「はい。ありがとうございます。あの…本当に今日は色々ありがとうございました」
「うん。構わないよ。あまり相談に乗れなくてゴメンね」
「いえ、そんな事ありません。お陰で落ち着いて今の状況を考える事が出来ました」
そう言って夕陽は一十の家を後にした。
帰ると、何故か片方の頬を真っ赤に腫らしたみなみが待ち構えている事も知らずに。
多忙になる前に入力しておいた分を予約投稿しておきます。
ストックはここまで。
多分火曜日には通常になるので、上手くいけば更新ゼロの日にはならないかも。
夕陽さん、芸能人になるルートは一瞬過りましたが、これはアイドルと一般男性のラブコメなので、そこに入るとコンセプトからズレてしまうので、このルートは通りません(^^;
…で、気になる夕陽とさらさの結末はちょっと変わった場所で迎えます。
ドラム缶のお風呂で何か色々あったり、寝込みを……何かされそうになったり…とまぁ、まだ王子とのアレなやり取りはもう少し残ってます。
あれ…四話でまとまらない予感が…。
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