第172話
「本当にあなたには驚かされてばかりね。いいの?あんな事言っちゃって」
帰りの車の中。
詩織と別れたみなみは、再び限竜の運転で空港から都内のスタジオへ逆戻りする事になった。
ハンドルを握る限竜は軽いため息を吐いて後部座席に坐るみなみを見た。
彼女は落ち着いた様子でメイクを直していた。
「え。何が?別にいいじゃん。あれが私のさ本心なんだし。それにあれくらい言わないと詩織は引いてくれないと思う」
……夕陽と夕陽の家族への誠意として結婚する。
そう言い切った瞬間、詩織は怒りとも戦慄きとも取れる複雑な表示を浮かべた。
彼女の握りしめた水の入ったグラスがその感情の現れのように小刻みに揺れていた。
横でそれを聞いていた限竜の方は内心ヒヤヒヤしていた。
いつそのグラスの中身をみなみへ向けてぶちまけるかと、しばらくグラスを凝視していた程だ。
「そんなにその男が大事なの?その男の為に今まで頑張ってきた全てを失う事になっても構わないくらい?」
やがて震える声で詩織がそう問いかけた。
溢れ出そうになる様々な感情を抑えているようにもとれる。そんな声だった。
「私は何も失わないよ。夕陽さんは私の全てであって全部の幸せだから。それ以上のものはないから、きっと失ったなんて思わない」
「……っ、うっ」
次の瞬間、詩織のグラスを掴む手に力が入った。
「来た!」と、限竜は即座にそれを阻止しようと腰を浮かせた。
するとすぐに顔に冷たい衝撃が走る。
「やだっ、ちょっと〜。何であたしなのよ!」
水をかけられたのは自分だとやや遅れて理解した限竜は額から滴る水滴を片手で払って詩織に抗議する。
「だって巳波にするわけにはいかないじゃない。ちょうど紘太がいて良かったわ」
「まぁ憎たらしい!それにしてもどうしてくれるのよ。あたしこれから収録あるのよ。スタイリストさんに何てお詫びするのよ」
「まぁまぁ、限竜さん。このハンカチ使って。私も一緒に謝る事は出来ないけど、限竜さんの幸せを1分祈らせてもらうから」
「何の勧誘文句よそれ!結構よっ」
限竜はみなみからハンカチをひったくるようにして受け取ると、肩にまで降りかかった水を乱暴に拭く。
綺麗にセットされた前髪は額に落ちて、いつもより幼く見える。
それを見て詩織は笑った。
「紘太、そっちの方が若く見えるじゃない」
「何がよ。別に今でも若いわよ。あたしは」
限竜はムッとして詩織に牙を剥く。
「ふふふっ。あぁ久しぶりに笑ったわ。じゃあもう行くわね」
詩織は突然そう言って立ち上がった。
そして自分のとみなみが持ってきたスーツケースを手にした。
「詩織?」
「巳波の言いたい事はわかった。卒業しないとならないのはどうやら私の方だったみたい。だからしばらく一人で頑張ってみるわ」
みなみと限竜は瞳を見開いて顔を見合わせる。
「さて。そろそろ搭乗手続きをしないといけないからこれで失礼するわ。二人とも元気でね。紘太。そのお詫びとして、これは奢ってあげる」
そう言って詩織は颯爽と身を翻した。
「やだ、カッコいい…♡」
「限竜さん、キモ過ぎて感動のシーンぶち壊し…」
そう言うみなみの頬は涙で濡れていた。
☆☆☆
「ふぅ…まぁこれで一応は一件落着よね。頑張ったじゃない」
「ふひひ。まぁね〜」
「あんたこそ笑い方がキモいんだけど?」
限竜はそれでも笑顔を浮かべている。
「そういえばアンタ、あたしの事、いつの間にか「道明寺さん」から「限竜さん」に変わったわよね。それどうして?」
限竜はふと、みなみが自分を呼ぶ時の呼称が変わっていた事に気付いた。
だがそれを聞く機会がなくて、そのタイミングをうかがっていたのだ。
「えー、そだっけ?そこに深い設定もないんだけど、まぁ最近頑張ってるからマブダチに昇格って感じ?」
お前はどこのワンマン社長だよという発言である。
しかし生来の犬体質な限竜は尻尾を振らんばかりにツボに嵌った。
「まぁまぁ♡あらあら、嬉しい事言ってくれるじゃない」
「限竜さん、前見て!」
みなみはコンパクトを放り出し、思わずニヤけて蛇行しそうになった限竜を慌てて諌める。
「大丈夫よ。あたし泥酔してても事故らない自信あるもの」
「それ公人として終了してる発言だからね?まぁ、限竜さんは3番目に信頼出来る友達だと思ってるから」
メイク道具を仕舞いながら、みなみは少し照れたようにそう言った。
「有難いんだけど、ちなみにその一番は誰よ。どうせ聞かなくてもわかるわ。彼氏クンなんでしょ?」
「違うよ。夕陽さんは大事な人だから友達よりも上、神の域だもん。スーパーゼ○スだよ。友達ランキング一位は勿論詩織。で、二位は笹島さん。次は限竜さんだよ。あ〜、でも詩織はそろそろ殿堂入りだから笹島さんが1番のマブダチかも」
どうやらみなみのマブダチランキングはベスト○ーニストのような殿堂入り制が採用されているようだ。
そう得意そうに言うが、限竜は即座に顔を顰める。
「一位は納得するけど、二位のササジマサンって誰よ。あたしよりも信頼してるって事?」
「うん。笹島さんはとっても使えるいい人なんだ〜。漫画やゲームの趣味も合うし、ソシャゲなんか3つ掛け持ちでフレ登録してるんだから」
何だか限竜のわからない分野においてそのササジマは優位に立っているらしい。
これはこれで結構ムカつく。
「あたしだって使えるわよ。眠れない時とか耳元で眠れるまでずっと演歌を歌ってあげるし」
「うーわー、どんな嫌がらせですか。それ。でも今日の働きで笹島さんよりランクアップしたかな」
「あら〜♡これでマブダチ一位はあたしじゃない!もうキスもハグもそれ以上の事も解禁って事よね?」
「はぁっ?何勘違いしてんの。そんな解禁日ないから!」
賑やかなクルマはスタジオへ向けて走る。
☆☆☆
「あーっ、ダメランまた下がってる!チクショ〜」
「どうした、笹島。まだ勤務中だぞ。スマホ仕舞えよ」
夕陽と外回りへと向かう中、笹島は盛大な落胆の声をあげた。
「あー、昨日途中で寝オチしたからかなぁ…。ランキング、ダダ下がりだよ」
どうやらスマホのゲームの話のようである。
何故か同じゲームをしているみなみは笹島のランクを遥かに越えて、上位の廃課金勢といい感じで競り合っている。
笹島は思う。
自分よりも時間に自由がきくわけでもない彼女は一体どう時間を捻出しているのだろうかと。
夕陽は呆れた顔でため息を漏らす。
「俺のお前への信頼ランキングもダダ下がりだよ」
「そんな夕陽〜っ!」
しかし、それと同時にみなみのマブダチランキングからも名前が消えた事を笹島はまだ知らない。
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