第98話
「
京都から移り住んだ初代の味を守り、大人から子供まで楽しめる優しい口当たりの和菓子を提供し、地元から愛されている。
現在は八十代の二代目店主と、その弟子の笹島祐悟、それとパートの女性と最近増えた助手兼、見習いの藤森ナユタの四人で切り盛りしている。
笹島家に逗留中、ずっと家の中にいるナユタを不憫に思い、祐悟が気晴らしに自分の職場である和菓子屋へ連れ出した際、ナユタはすっかり和菓子の繊細な味と見た目の美しさに魅了された。
特にナユタは店主の美しい和菓子を生み出す巧みな技術的に興味を持ち、祐悟に頼み込んで見習いで弟子入りする事になった。
後継者不足を悩んでいた店主は喜んでそれを受け入れ、店舗の二階にある空き部屋に移り住み、技術を店主に。接客を祐悟に習い、新しい生活をスタートさせた。
ナユタにとって初めての「外界」での生活は、新しい事ずくめで慣れるまでが大変だが、充実した毎日だった。
しかしそんな平和な暮らしに暗雲が立ち込める。
「チッ…こんなところに隠れていやがったのか。おい、ナユタ!帰るぞ。迎えに来てやった」
店頭で商品の補充をしていたナユタの腕を突然、粗野な男に掴まれる。
その男の顔を見たナユタは蒼白になり、身体を強張らせた。
「あいつも出ていっちまって、今家には誰もいねぇ。
「くっ…」
声の主はナユタの義理の兄だった笠原潤也だった。
さらさの絶縁が元で姉と離婚した潤也は、あれからますます荒れた生活を送っているらしく、今も昼間だというのに多量のアルコールを摂取したのか、かなり酒臭い息をしていた。
ナユタはゆっくりと拒絶の言葉を絞り出す。
「い……やだ」
「はぁ?何だよ?聞こえねーな」
まさか従順なナユタから拒絶されるとは思っていなかった潤也は大袈裟に耳をナユタに傾けて聞き返す。
「嫌だ!もう潤也のお家には帰らない」
「てめぇっ!こらっ」
その瞬間、ナユタの身体が地面に叩きつけられる。
ナユタは呻き声すら漏らさず、耐えるように唇を噛み締める。
その端から一筋、血が伝った。
「お前いつからそんな生意気な口利くようになった?誰のお陰で今まで暮らしてこれたと思ってんだよクソがっ!…って、ぶわっ、冷てっ」
そこまで言った潤也の身体が一瞬でずぶ濡れになる。
思わずよろめき、尻餅をつく潤也。
ナユタが振り返ると、そこには水桶を持った祐悟が立っていた。
「ゆ…祐悟」
祐悟は屈んでナユタの口元の血を拭う。
「すまない。来るのが遅れた」
ナユタは無言で首を振る。
そこに放心状態から立ち直った潤也がゆらりと立ち上がる。
「何だてめぇはよぅ、邪魔すんじゃ…」
「帰れよ。クズ野郎。コイツはもうお前の持ち物じゃねぇよ。ウチのもんだ」
「このっ!」
逆上し、無闇に殴りかかる潤也を軽く交わし、祐悟はその無防備な足をサッと払う。
「ぶわっ…!」
アルコールの影響で動きが鈍くなってある潤也は見事に転倒する。
この状態では敵わないと思った潤也は祐悟を睨みつける。
「いいか、こいつはよぅ、お前が考えてるようなオンナじゃねーんだよ。いいのか、ナユタ。「アレ」をこの男にバラされても?」
「………っ!」
するとナユタはお腹をおさえてしゃがみ込んだ。
それを見た祐悟が舌打ちする。
「……どうやら本当にクズなんだな。お前は」
「は?何だよ」
祐悟は嘲るような目を潤也へ向ける。
「もうお前はコイツと何も関係ねぇ。言ったろ、コイツはウチのモンだって。腹の中の子もまとめてな」
「!」
潤也とナユタは同時に顔を上げた。
祐悟は潤也の襟を掴んで引き寄せる。
「コイツとお前はもう他人だ。二度と現れるな」
「くっ……このっ」
潤也はまだ何か抵抗しようと歯を剥いたが、祐悟の気迫に押し黙り背を向けた。
周囲にはいつの間にか、不審な者を見るような近隣の住人たちの姿があるのに気付いたようだ。
ナユタはしゃがみ込んだまま顔を伏せている。
そんな彼女の前に祐悟はポケットの中を探り、可愛らしいロリポップを差し出した。
それはミントブルーのシルクハットを被ったウサギの形をしている。
「………?」
「甘いモノは涙を止めるんだろ?」
「……いつから気付いてたの?」
祐悟の手からロリポップを受け取り、ナユタはそれを口に含む。
「その幼い振る舞いの演技の事か?それとも……」
「両方」
祐悟は浅い笑みを浮かべ、空を仰いだ。
「……その腹の子よぉ、俺の子として育てるわ。だから俺と結婚するか…?なゆ太」
「え…?」
ナユタの口からロリポップが落ちる。
「「今度こそ」俺はこの選択をする」
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