第129話「真鍋輝之side*世の中にはこんな事もある*」
日曜日の碁会所は年配客で賑わっていた。
その一番奥の席で、タバコを片手に馴染みの打ち手と差し向かいに座るのは、夕陽の父親である輝之だ。
「ほう…そういやぁ、あんたのところは息子だっけ?」
「えぇ、二人おりまして、上の子が男で下の子が女です。まだ大学を卒業したばかりの子供ですが、一応こっちで働いてますよ」
「ほほう、そうかそうか。ならウチの娘と歳が近いな。ちょうど来年短大を卒業するんだよ」
彼は輝之の碁会所での馴染みで、鈴原という輝之より五つ程歳上の左官屋だ。
大体彼と対局する事が多い。
勝敗は五分五分。
経験の差でやや鈴原の方が勝ち星が多いくらいだ。
話の様子から、鈴原はどうやら自分の娘と夕陽を結びつけようとしているようだ。
だが夕陽は以前、家に彼女を連れてきている。
これは申し訳ないが断るしかない。
「いやぁ、郎さん。息子にはもう決まった相手がいるようなんです」
「そうか、そいつは残念だ。どんな子なんだ?もう顔はみたのかい?」
鈴原は吸いさしのタバコを灰皿に置いて身を乗り出してきた。
その方面についてはあまり得意分野ではない輝之はどうしたものかと天井を仰ぐ。
「いい子でしたよ。明るそうで…」
「何だそんだけかい」
鈴原は大きな手で顔を覆った。
これは口下手な輝之が相手なのだから仕方ない。
その時、窓際にある大型テレビにトロピカルエースの四人が映った。
下のテロップには「乙女乃怜、今週末から復帰」とある。
輝之は詳しくないが、その中に家に来た女の子がいる事はわかった。
「あぁ、あの子は……」
つい輝之の口から漏れた言葉に鈴原は目を丸くする。
「なんだいナベちゃん、もしかしてあのアイドルの子たちが気になるのかい?」
「いやいや、違う違う。左端の子が息子の……」
そこまで言ったところで輝之は口を押さえた。
「ん、左端の子がどうした?…あぁ、息子さんが好きだって事かい。そうだよなぁ。ナベちゃんが娘くらいの歳のアイドル追っかけるわけないか」
「あ…あぁ、ええ。そうなんですよ」
輝之は引き攣った笑顔で冷えたお茶を啜った。
息子の彼女があのテレビに出ているアイドルの女の子だとは言えるわけない。
言ったところで信じてもらえないとは思うが、口外しない方がいい。
「ま、それじゃ仕方ないなぁ。この話はなかった事にするか。息子さんの結婚式には呼んでくれよな。嫁さんの顔見せてくれや」
「はははは…えぇ、そうなった際には是非」
果たしてそんな日は来るのだろうか。
輝之は額に汗を浮かべながら碁石を握った。
☆☆☆
夕闇迫る商店街を急ぎ足で帰る輝之。
今日はあれから別の碁打ちとも一局交えたので、帰りが遅くなってしまった。
きっと家では妻が夕食の用意を済ませ、さぞ苛立っている事だろう。
そんな急ぐ中、輝之は前方から見知った頭の形を見つけた。
「あのアフロ頭……もしかして耕平くんかい?」
声をかけるとそのアフロ頭はパッとこちらを見て子犬のように駆け寄ってきた。
見ると連れがいるようだ。
「おじさん、お久しぶりっす!」
「やっぱり耕平くんかぁ。相変わらず見事なアフロ頭だね」
「へへへ…。おじさんのお友達の床屋の常連っすから」
アフロ頭の青年は笹島耕平だ。
夕陽の友人で、夕陽がまだ実家住まいだった頃は毎日のように遊びに来ていた。
「ねぇ、耕平くん…」
するとその腕に自らの腕を絡ませていたサングラスと帽子を被った女性が声を出した。
「あ、あぁ。そうでした。おじさん、俺初めて彼女が出来たんすよ。早乙女莉奈さんっていいます。莉奈さん、こちらが夕陽のお父さんっす」
「あら、真鍋夕陽くんの?初めまして、早乙女莉奈といいます。耕平くんとお付き合いさせて頂いてます。後、トロピカルエースの乙女乃怜で来週から活動再開しまので、そちらもよろしくお願いします♡」
「!?」
怜がチラリと大きめのサングラスを下げて裸眼を見せた瞬間、いつも無表情の輝之の顔が大きく歪んだ。
「こ…耕平くん、トロピカルなんとかとはその……」
「あぁ、そうっすね。はい。夕陽の彼女もメンバーの一人っすね。いやぁ、まさか俺までこうなるなんて思ってなかったんですが」
そう言って笹島は怜の方を見た。
怜は少し恥ずかしそうに顔を伏せる。
「そうか…世の中にはそんな事もあるものなんだね」
輝之は小さく笑った。
よくはわからないが、目の前の幸せそうな二人を見ていれば十分だった。
「ハイっす!」
輝之は二人と別れ、自宅へと帰った。
当然、妻には盛大な嫌味を言われたが。
夕飯後、輝之は居間のテレビをつけた。
そして歌番組で歌って踊るトロピカルエースを見ながらしみじみ思う。
「世の中にはこんな事もあるもんなのか…」
人気アイドルと一般人が出会い、恋をする。
そんな夢のような事が…。
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