第161話

「一生、お前の味噌汁が飲みたい…これは無いな。下手すると一生俺が味噌汁を作る事になる将来が見える。俺と同じ墓に…ってのもなぁ。うーん」



帰宅後、夕陽は机の上に広げた「グッときた!女子が言われたいプロポーズ」、「忘れられないプロポーズ名言」、「有名人が言ったプロポーズ」…等というプロポーズのマニュアル本を眺めてため息を吐いた。



「大体、今考えるのココじゃないよな。将来どうするかって話だよ」



夕陽の漠然とした展望としては、結婚後もアイドル活動を続ける彼女を支えていこうと思っていた。


だが母の言っていた、妻や母親はアイドルとは言えないという言葉にその展望は崩れかけていた。



「普通にそれを踏まえて考えると、みなみがアイドル卒業するまで待つって事だよな。でもそれってはっきりしたものが何もないんだよな…」



再び夕陽はため息を吐く。

外を見るとまた、ちらほらと薄い雪片が暗い夜空を舞っているのが見えた。


寒さに両手を擦り合わせながらベランダに出てみる。


当然のように隣の部屋に灯りはない。



「あいつはまだ仕事か…。まぁ、そうだよな。年末も近いし」



それを見てつくづく思う。

彼女はアイドルなのだと。



     

        ☆☆☆



新宿に軒を連ねる飲み屋やバーの中にある小さな洋風の店舗の前に一人の挙動不審な人影があった。

何やら物陰から店の様子を窺うようにキョロキョロと頭を出したり引っ込めたりしているが、それ以上行動を起こしたりはせず、何度も足を踏み出すのを躊躇っているようだ。


そんな怪しい動作を数分繰り返した後、意を決したのか、その不審人物が動き出したと同時に店の扉が勢いよく開かれた。


「!」


扉から飛び出してきたのはボロボロの革ジャンを纏った三十代後半くらいの男だった。



「けっ。ガキがこんな一等地に生意気に店なんて構えやがって」



男は怒鳴るように店へ向かって吠えると、再び物陰に隠れた人物には見向きもせずに雑踏へ消えていった。


それを見送り、その人物がゆっくりと開け放たれた扉へと近付く。


店内は真っ暗だった。

そろそろ通常なら店を開ける準備に追われる時間帯だというのに中はひっそりとしている。

だが、その暗闇に一つ蠢くものがあった。

それはのそりと動き出し、ゆっくりとこちらへ顔を向ける。



「何よ。まだいたの?もうアンタは出禁だって言ったでしょ。店の子に手を出されてこっちだって迷惑被ってんだからね」



「………」



店からまだ若い女の声が聞こえる。

その声を聞いて、入ってきた人物の足が止まる。



「あら、もしかしてお客さんだった?」



ギシっという音を立てて、奥の方から声が近付いてきた。

黒いシックなドレススーツに黒い百合のコサージュを付けた若い女の姿が浮かび上がる。

彼女の手にはウイスキーの瓶が握られていた。


女は入ってきた人物を見て、一瞬身を固くしたが、すぐに余裕の笑みを浮かべる。



「なぁんだ。アンタだったの。よくここがわかったわね。巳波」



囁くように紡がれた言葉と同時に濃厚なアルコール臭が漂う。


その人物、永瀬みなみはゆっくりと被っていたフードを取り去った。

白皙の美貌が露わになる。

その長いまつ毛に縁取られた宝石のような瞳はじっと眼前の女、野崎詩織を睨みつけている。


みなみ彼女から視線を逸らす事なく、懐からスマホを取り出す。



「これ、あんたがネットに上げたんだよね?」



そこにはみなみが夕陽と並んで街を歩いている姿を捉えた写真があった。



それを見て詩織は薄く笑う。



「だったら何、証拠でもあるの?」



次の瞬間、詩織の頬に衝撃音が走った。





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