第221話
「キスって何なんだろう……」
「んぁ?あれじゃね。好感度が一定値まで達したら自動的に発生するスチル有りのイベント。中には昼と夜の差分も回収しなきゃならん場合もあるヤツ」
「それ何の事よ。この…バカ晴之っ!」
陽菜は空のペットボトルを隣でスマホのゲームアプリに夢中な共演者、藍田晴之に向かって投げつけた。
「痛っ、何なんだよ。耳キーンっとなったろ!別にキスシーンくらいなんともないじゃん。陽菜、これまでに何作キスありの作品出てんだよ。いい加減、ビジネスなんだから割り切れよ」
頭を押さえ、晴之は軽く呻いた。
今回のドラマにおける晴之の役所は、陽菜の役「琴音」の頼れる兄役だ。
彼とは十代の頃から見知った仲で、恋人役も何度かある。
当然そこにキスシーンがある作品もあったのだが、お互いドライなもので、そこから恋に発展する事もなかった。
今では互いを異性と意識する事もなく、辛い下積み生活を共にして来た戦友から、家族か同性の友人のように気安い関係に変わっている。
「あぁっ…キスシーン無理、本当無理、絶対無理なんだけどー!ねぇ、晴之。代わってくんない?アイス奢るから」
「はぁっ?何で俺だよ。しかもアイスで片付けようとしてるし!大体、急に妹の彼氏とキスする兄貴なんて地獄のBLルート、誰が見て得するんだよ」
「少なくとも私が助かる…」
晴之は苛立ったように頭をガシガシ掻きむしる。
「なぁ、そんなに支倉が嫌なのか?いいじゃん、イケメンで。俺が女だったらドチャクソラッキーって思うね」
「嫌…っていうか、ううん、そうじゃなくて、照れるっていうか…怖いっていうか。ていうか、何で皆見てる前でキスを披露しなくちゃなんないの?」
「うーわー、今更そこ行きますか?キスくらい大した事ねーじゃん。だったらAVはどうすんだよ。キスよりすげー事、カメラマン達の前でやってんぞ?」
「晴之下品っ!最低」
「ぐはぁっ!」
再びペットボトルで叩かれた。
「はぁ…本当にどうしよう」
「こりゃ重症だな…。陽菜」
晴之は首をコキコキ鳴らしながら息を吐き出した。
「あのさ…前にさ、役者がする演技のキスに一ミリも私的な感情はないって言ってたの陽菜だぜ?」
「あれは…今でもそうだと思ってるけど」
「だったら相手が支倉だろうと出来るじゃん。今までだってそうして来たんだろ?」
「あぁっ、もう。全然違うよ。じゃあ、演技のキスと演技じゃないキスの違いって何?」
そう問われて晴之がスマホから目を離した。
「えー、そりゃ全然違うよ。演技はその役…架空の人物になりきってるわけだから、キスしたいっていう感情の向かう先は俺じゃなくて役柄になるじゃん。でも演技じゃないキスは根本的に違うんだよ。自分が主体なわけだから」
「よくわからないんだけど。つまり演技じゃないキスしたら晴之はどうなるの?」
陽菜は理解できないのか、眉を顰めている。晴之の方は心底嫌そうな顔をする。
「それ、答えなくちゃなんないヤツ?陽菜はもう付き合い長いし。家族同前っつーか、兄妹みたいな感じになってっから、そんな事、恥ずかしくて言いたくないんだけど」
晴之が現在誰と付き合っているのか、そもそも付き合っている彼女がいるのかは陽菜にはわからない。
そこまで互いのプライベートには興味はなかった。
それに今までも、あまりそういう色気のある話をしてきていない。
だから彼の口から聞いてみたかった。
「えー、教えてよ。晴之と私の仲じゃん」
すると晴之は言いにくそうに口を開く。
「あー、あれだよ。すげードキドキして幸せな気分になる。以上!もうそれ以上はお兄ちゃんのプライベートに踏み込んでくるなよ」
「…幸せとドキドキかぁ」
陽菜は晴之の言葉を繰り返す。
「あぁっ!繰り返すな。恥ずかしい」
「てか晴之、一丁前にちゃっかり恋愛してるんだねぇ」
「その田舎の親戚のおばちゃん目線でモノ言うのやめてくんない?」
「……という事で晴之。私、そろそろ着替えるから出ていってくれない?」
「自分から呼び出しておいて、唐突に用済みになるとポイ捨てかよ」
晴之は苦い顔をしながら立ち上がる。
その顔に先程まで陽菜が着ていた衣装が投げつけられた。
「おふっ……マジかよ。信じらんねー」
晴之は慌てて楽屋から飛び出していった。
女好きな彼でも家族同前な妹の裸は見たくないらしい。
「…大丈夫だよね。出来るよね」
陽菜は不安げに呟く。
☆☆☆
「じゃあシーン23。雨上がりのキスから再開するよー」
問題のキスシーンは雨上がり、歩道橋の上で行われる。
撮影は上空から、ドローンが使われる。
数人のスタッフ達が雨上がりを演出する為、辺りにホースで水を撒いている。
それが歩道橋の階段に反射してキラキラ輝いて見えた。
スタッフ達によって異世界のように幻想的な舞台が仕上がっていく。
「緊張してる?」
「え、…まぁ。少し」
準備が出来るまで待機場でその様子を眺めていると、マネージャーと一緒に翔がやって来た。
「すぐ終わるよ。空撮だし、あんまりそこに時間取れないから」
「うん…」
周りに人もいる事で、営業モードの翔の口調は柔らかい。
しかし、翔は陽菜にだけ聞こえる声で耳打ちしてきた。
(その緊張、もしかして秋海棠一十が関係してる?)
「それは違う!先生は関係ないもん」
陽菜はそう言って翔から顔を背けた。
まだ翔は一十の事を意識しているらしい。
しかし陽菜の頭は今、別の事で一杯だった。
隣の翔の事が気になって仕方なかった。
「はい。準備できました。どうぞこちらから入って下さい。濡れてるんで足元気をつけて」
その内、撮影準備が整い、スタッフが陽菜たちを呼びに来た。
「じゃあ、行くか」
隣で翔が立ち上がる気配がする。
陽菜は不意に唇を意識し、赤くなりそうになるのを必死に抑えた。
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