第73話
「ねぇ、夕陽さん。明日ご両親に会う時に着る服なんだけど、これでいいかな?」
「別に普通でいいぞ。結婚の挨拶じゃないんだし…」
あれから時は流れ、いよいよみなみを両親に紹介する日が明日に迫った。
ソファでコーヒーを飲みながら、夕陽は大きな荷物を抱えてやって来たみなみの様子に嫌な予感を覚える。
まさか初めて会った時のような、ニット帽にマスク、ジャージ姿が正装だと言うのではないかという考えが過る。
「おい、みな………っぶはっ!」
振り返った夕陽は、「ソレ」を見た瞬間、盛大にコーヒーを吹いた。
「わっ、汚いなぁ。夕陽さん」
「いや、お前。何だその格好は」
「何って私なりの正装だけど?」
そう言ってみなみは目の前で華麗にターンした。
何とみなみはトロピカルエースの衣装を纏っていた。
ギンガムチェックの制服のような衣装は恐ろしい程、丈が短く、身体のラインが強調された作りになっている。
今までテレビで見ていたものを、こんな近くで実物が見られるとは、ファンなら感動ものなはずだ。
だが、それは恋人の実家に挨拶に行くにはどう考えても不向きだ。
「そんな格好で彼女が現れたら、ウチの両親倒れるぞ」
「ダメかな?この間、衣装のまま帰った日があって、そのままだったんだよね。だからこの機会にどうかなーって」
「却下だ」
「そっかぁ。じゃあ着替えて来るね」
がっかりした様子で背を向けるみなみに、夕陽が思わず声をかける。
「ちょい待った」
「ん?どしたの」
不思議そうな顔で首を傾げるみなみの前に夕陽はスマホを掲げた。
「着替える前に一枚いいか?」
「……………………どうぞ」
☆☆☆
「じゃあさぁ、手土産は何持っていったらいいの?やっぱりマグロ一本とかかな。あー、でも今から手配して間に合うかなぁ」
部屋着に着替えたみなみは、夕陽の隣に座り、スマホをポチポチやりながら思案に暮れれる。
結局、服は夕陽が彼女の持って来たトランクの中から、無難なマリンカラーのワンピース一式をチョイスした。
彼女のクローゼットの中には、今まで見た事もないセンスの良い服がたくさんあるのに、何故それを着ないのだろう。
「……スケールがデカ過ぎるんだよ。大体マグロ一本がいくらするか知ってるか?上物は車買えるくらいするんだぞ。スーパーの解体ショーだって、一大イベントに挙げているんだからな」
何でもスーパーを引き合いにしてしまうのが、庶民派彼氏としては悲しいところだ。
「そんなの大丈夫だよ。ロケでコネもあるし」
「……芸能人怖っ。とにかく手土産なんて別にいいよ。どうしてもって言うなら小さな菓子折りでいい。それなら明日行く途中で調達しようぜ」
「えー、それって何もサプライズ要素ないじゃん。もっとエンタメを意識しようよ。そんなの誰も求めてないよ」
「彼女を親に紹介するのにエンタメ要素必要は全くないぞ。何度も言うが、普通でいいんだよ。いいか?これはバラエティの仕事じゃないんだ。ガチのやつだぞ。妙な事やって初対面の印象悪くしたくないだろ?」
「……仕方ないなぁ。エナに相談したの全部却下されちゃった」
「うわぁ、情報源アレかよ……」
夕陽の頭にエナの呑気な笑顔が浮かんだ。
「もう、明日は早いんだから。これで解散な。俺は風呂入って寝るよ」
時刻はそろそろ深夜になろうとしている。
明日は早く起きて出掛けないとならない。
みなみの部屋は隣なので、軽く玄関から見送るだけでいい。
しかしみなみは不服そうに唇を窄める。
「えー、今日は泊めてくれないの?」
「たまには自分の部屋に帰れよな。この間掃除してやっただろう」
みなみの部屋は僅か数日で形状記憶のように元の汚部屋に戻ってしまう。
まさかもう戻ってしまったのだろうか。
「まだ、一応保たれてるけどさー、寂しいじゃん。あ、じゃあお風呂一緒に入ろうよ♡」
「は?」
瞬間、夕陽の顔が真っ赤になる。
何か一瞬の間に色々な妄想が脳内を駆け巡った。
「ダメだ。ダメだ。それはダメだ」
「さ…3回も言った。何でダメなの?」
「俺が恥ずかしい」
「………えー」
「お前絶対、温泉とかで前も隠さずに入ってくるタイプだろ。笹島とかがそのタイプだからわかるんだ」
笹島とは学生時代からの付き合いなので、部活の遠征や修学旅行等で一緒に風呂に入る場面が何度かあった。
その際、いつも笹島は大胆に衣服を脱ぎ捨て、全裸で浴場にダイブしていた。
その度に不快な思いをしていたのを思い出す。
それとアイドルを天秤にかけるのは失礼というものだが、やはりそれは異性でも遠慮したい。
「うっ。何で見た事ないのに見てきたような事を……。いつもそれで早乙女さんに怒られてるよ〜」
「やっぱり…」
「夕陽さんはチラリズム派なんだね」
「……とにかく、今日は大人しく寝ろ。いいな」
「はーい」
諦めたみなみは、後ろ髪引かれる思いで帰って行った。
☆☆☆
その頃、特に何も予定もない暇な週末を過ごす予定だった笹島に、最大の危機が迫っていた。
「……姉さん、本当にコイツ、森さらさの男なの?」
長い金髪を後ろで括った、若い男が床に倒れて意識のない様子の笹島を足で転がした。
「そうよ。この間のライブの時、永瀬みなみの男と一緒に来ていたヤツに間違いないわ。その時、森さらさがコイツを楽屋に呼んで親しげに話してたのを見たの」
「けっ…。どうやらビンゴのようだな」
金髪の男はニヤリと笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます