第72話

「……もしもし。あぁ、母さんか。夕陽だけど。今ちょっといい?」


みなみに促され、夕陽は渋々実家に連絡を入れた。

時間帯的に父、輝之が応対すると思っていたが、その予想は外れて母、聖子が出た。

父は最近下腹を気にして、この時間は散歩に出掛けているそうだ。



「あら。夕陽。珍しいわね。あんたから電話寄越すなんて」



電話の向こうの母の声はいつも通り明るい。

まぁ、夕陽としてもこの件がなければ電話なんてしなかった。

しかし隣でワクワクした顔をしているみなみの手前、気は進まないが話を切り出すしかない。

夕陽は軽く息を吸い込んだ。



「あのさ、今週末、家に帰ってもいい?」



「えぇっ、ウチに来るの?あんた盆も帰らないって言ってたじゃない。どういう風の吹き回しよ」



夕陽の実家は世田谷区にある。

会社のある品川区に住んでいる夕陽にとって岡山の妹とは違い、帰ろうと思えばすぐ帰れる距離なだけに、あまり実家へは寄り付かなくなっていた。


特に今年の夏はトロピカルエースのライブ参戦や仕事の納期の関係もあり、帰省は見送ると連絡していたので、母も訝しんでいるのだろう。



「あのさ…今付き合ってる人がいるんだけど、その相手が俺の親に会ってみたいって言うんだ」



隣の彼女と電話の向こうの母親を意識し過ぎて、何だかとても回りくどい言い方になってしまった。

内心、我ながらこれは酷いと自己嫌悪に陥る。


みなみもそう感じたらしく、生ぬるい視線を送ってきた。

これは精神的にかなりダメージを負ってしまった気がする。



「へぇ、あんたそんな相手がいるの?もしかして結婚するの?」



………出たな。



やはり予想通りの反応が返ってきて、夕陽の顳顬がピクピク痙攣した。



「いや、まだそこまでは考えてないよ。今回はただ会いたいってだけ」



「そうなの?ねぇ、どんな子なのよ」



「は?あー、その…あの〜何だ…」



実は彼女、アイドルなんだ…とは言えず、夕陽は、歯切れの悪い反応をする。



「もう何なのよ。あんたは。肝心な事を聞こうとするといつもモゴモゴ。そういう所、お父さんとそっくりなんだから。そんなに言いにくい相手なの?もしかして男と付き合ってるとか?」



通話をスピーカーモードにしていたので、それを聞いたみなみが笑いを堪えている。



「ちげーよ!何でそっちなんだよ。母親が言う台詞じゃねぇぞ。……とにかく、それは会った時に話すよ。じゃあ週末に頼むわ」



夕陽は顔を真っ赤にしながら通話を切った。



「いやぁ。笑ったね。大丈夫?夕陽さん」



「大丈夫くねぇよ。何でただ電話しただけでこんなに疲れるんだよ」


「あはははー。ありがとうね。夕陽さん。週末が楽しみだな」


「そうかよ……」


夕陽は満身創痍でため息を吐いた。



         ☆☆☆



「ええっ、家にみなみん連れてくの?いやぁ、なんなのそのシチュ」


翌日。

会社のロッカールームで笹島に週末の帰省の話をすると、やはり想像通りの反応が返ってきた。


「俺だって戸惑ってるんだ。問題はどのタイミングで彼女がアイドルだと言えばいいかだ。いっそ言わないか……」


「いや、それは無理っしょ。夕陽のパパンはまずトロエーの存在すら知らない感があるから余裕だけど、ママンは絶対知ってると思うぜ」


「……だよな」


夕陽は軽く目頭を揉んだ。

考えるだけでストレスが高まる。


今やトロピカルエースは冠番組を二本持つ、国民的アイドルに成長した。


毎日テレビを見ると、必ずメンバーの誰かは出ている。

今ではそんな存在になっていた。


普段からあまりテレビを見ない父なら兎も角、日中テレビを見続けている母が知らないわけはないだろう。


そんなテレビでお馴染みな顔が家に来たら…と、考えるだけでも恐ろしい。


「な…何かさ、もし息子の彼女がアイドルだったらっていうドッキリの撮影だとか言って誤魔化せないか?」


「ナシでしょ。ソレ。大体のドッキリじゃなくてマジカノなんだし」


 

「だよなー」



「もうさぁ、当たって砕けるしかないじゃん。頑張れ。夕陽」


笹島は気楽に笑った。

その笑顔を見て、夕陽はますます憂鬱になる。



「………あぁ、何もやる事もない暇な週末が待ってるお前が羨ましいよ」



「やかましいわ!」



週末は目前だ。

いよいよ親にアイドルの女の子と付き合っている事を、カミングアウトするミッションが発動する。













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