第74話
目が覚めると、笹島は全く知らない場所に横たわっていた。
そこはマンションの一室なようだが、家具の類は一切なく、窓にはカーテンも掛かっていない。
「……あれ、ここはどこだっけ?」
起き上がってみると、自分は何もないフローリングの床に転がされていた事がわかった。
一体どのくらい、ここで意識を失っていたのだろう。
窓の向こうからは燦々とした陽光が差し込んでくる。
太陽の位置から考えると、何となく午前中から正午の辺りではないだろうか。
ずっと床で寝かされていたからだろうか、身体の節々が痛み、頭の後ろの方が血流に連動してズキズキする。
「まさか俺、一晩ここで寝てたのか?」
「あったり〜」
その時、自分の他は誰もいないと思っていた空間に突如反応が返ってきた。
笹島は思わず飛び退いた。
「うわぉぉぉっ、だっ…誰?」
「藤森ナユタ。23歳。AB型。好きなもの白米だよ」
背後を振り返ると、そこには23歳というにはやや幼い印象の女の子が体育座りでこちらを見つめていた。
「藤森ナユタ…さん?一体何で俺をここに?」
「ナユタでいいよ。私はここでキミを見張ってるように頼まれただけで、あまり詳しくは知らない」
「頼まれたって、誰から?」
「笠原瀬奈、28歳、B型、好きなもの、お金とホスト…。笠原潤也、37歳、B型、好きなものお金と車と女。
「…その一々年齢と血液型と趣味言うのなんなの?まぁ、三人とも全然知らない名前なんだけどさ」
どうやら笹島は、その笠原瀬奈と藤森薔薇という二人に拉致されたようだ。
するとぼんやりとだが、昨日の行動が思い出される。
昨日は久しぶりに釣具屋で新しいルアーを調達し、ホクホク気分で帰ろうとしていた。
その時、前から来た男女から突然道を尋ねられたのだ。
笹島は親切に応えようとした瞬間から記憶が途切れていた。
「あのさ、全くこのような状態に心当たりないんだけど……。どうして俺はここに拉致られてんの?」
「私もよくわからないけど、キミが姉の恋人だから、一度シメて立場ってやつをわからせてやるんだって、潤也は言ってたよ」
「はぁぁっ?こ…恋人!?ちょっ、それは大いなる誤解ってモンだよ。俺、自慢じゃないけど、今までの人生で彼女がいた事、ないんだからね」
潔白を主張するように鼻を鳴らして胸を張ったが、激しく虚しいのは何故だろう。
「本当に自慢じゃないね」
「…………シクシクシク」
「おー、ヨシヨシ」
同世代の女子から頭を撫で撫でしてもらった。
「あのさ、ナユタのそのお姉さんの名前を聞いてもいい?」
一体自分は誰の恋人と間違えられたのだろう。
そんな疑念に満ちた笹島の視線を受けて、ナユタは長い前髪を払った。
綺麗な額が露わになり、とても整った顔立ちが現れる。
「姉は藤森更紗。25歳。A型。好きなもの、仕事だよ」
「ええーっ、それってもしかしてトロエーの森サラじゃないの?」
笹島の驚きにナユタは無表情で頷く。
「いかにも。姉はアイドルグループ、トロピカルエースのメンバーの一人で、我らの現金製造マシーン」
「げ…現金製造マシーンって」
「よく知らない。義兄がよくそう言っている」
淡々とした口調に笹島は混乱してきた。
「義兄?」
「潤也の事だよ。私達は姉と血の繋がりはない。姉の母と私達の父親が再婚した複合親子だから」
「へぇ…。森サラの家って、結構複雑なんだね」
つまり、瀬奈、ナユタ、薔薇は森さらさの母親の再婚先の家族で、潤也は瀬奈の夫という事だろう。
自分はその瀬奈と薔薇の姉弟によって拉致され、ここに転がされている。
「姉は最近恋人が出来たから、金がこっちに回って来なくなった、小賢しい弁護士なんてつけてよぉ……って言ってたのを聞いた」
ナユタはそう言って笹島を指差した。
「いやいや、それ完全に濡れ衣だからね。だって森サラに会ったの、あのライブが初めてだし、大体俺は森サラじゃなくて乙女乃怜推しなんだよ」
「キミ、乙女乃怜の恋人なの?」
「……妄想では何度も彼女になってるけど、残念ながらただのアイドルと一般人という関係デス」
「そっか。ずっと恋人ないって言ったもんね」
「頼むからサクっと追い討ちかけないで!」
☆☆☆
「しかし困ったなぁ。濡れ衣でこんなとこ連れて来られたけど、どうしたらいいものやら」
笹島はため息を吐いた。
喉が渇いていたので、ダメ元で備え付けの冷蔵庫を漁ってみると、ミネラルウォーターのペットボトルが数本と脱臭剤が入っていた。
一応消費期限をチェックすると、まだ新しい。
ナユタに断りを入れてから飲み干した。
「ぷはー。染み渡るぅっ。そう言えば、その潤也と瀬奈はいつ戻るんだ?」
「さぁ。知らない。薔薇はバイトがあるから朝まで戻らないけど、二人がいつ戻るかは知らない」
「マジかよ…」
これは困った事になった。
ポケットを探るものスマホは取り上げられているようで、入ってなかった。
当然部屋の中にも電話の類は見当たらない。
「これってリアル脱出ゲームってヤツ?」
「ねぇ、キミの名前教えてよ」
その時、ようやくナユタが体育座りを解いて立ち上がった。
スウェット素材のサロペットに白いパーカー、下は白と黒のボーダーのニーハイを履いている事がわかる。
全体的に女性的な丸みもない、手足は棒のように細く、肩も薄い。少年のような体型だ。
笹島の好みの範疇からはかなり外れている。
「あ、そうだね。自己紹介がまだだったか。俺は笹島耕平です」
「耕平か。ねぇ、年齢と血液型と好きなものは?」
「おおっ、やっぱりそこ大事なんだ…。年齢は24歳。血液型はO型。好きなものはアイドル全般かな」
「そのアフロ、カツラなの?」
「いや、地毛。自前だよ」
ナユタは興味津々で笹島に近付く。
並んで立つと、174㎝の笹島とあまり変わらない背の高さだ。
いくら少年のような雰囲気の女の子でも、やはり異性だ。
近寄られると、女性経験値ゼロには刺激が強い。
「ねぇ、触ってもいい?」
「え、な……ナニを?」
「髪」
こちらが了承するより前に、ナユタは両手を伸ばし、ワシワシ乱暴な手付きで撫で回した。
「おわっ、なっ…」
「モシャモシャ、ジョリジャリして楽しい」
「あはは。そ…そうですか」
ワシワシされながら、笹島はどうしたものかと頭を悩ませる。
その時、笹島の腹がぐぅと鳴った。
「あ〜、そういえば昨日から何も食ってなかったんだよなぁ」
「そうなの?」
「そうなの!ナユタもずっと俺の事見張ってたならわかるっしょ」
そういうと、ナユタは自身の腹に手を当てる。
「私は空いてない。さっき白米と卵を食べた」
「へ?でもここには何も食う物なんか置いてないけど…」
それは先程確認済みだ。
部屋を隈なく探したが、部屋に備え付けられている備品の他は本当に何もない部屋だった。
唯一あったのが、水のペットボトルくらいだ。
「朝、
「なるほどねー。あぁ。腹減って考えがまとまらねぇ…」
笹島は力なく床に座り込んだ。
何も食べられないと思ったら、余計に腹が減ってきた。
「じゃあ、ちょっとコンビニに行ってくる」
すると、ナユタはとんでもない事を言い出した。
「へ?ちょい待ち。外に出られるの?」
ナユタはコクンと頷く。
「私は出られるよ。耕平はダメだけど」
そう言って、ナユタはあっさりと玄関のドアを開けた。
「いやいやいや、俺だって出られるでしょ。ファンタジー世界の封印された扉じゃないんだから」
「どうして?」
「……うーん。この子、ちょっと変なんだよなぁ。可愛いんだけど…やり難いっていうか。…苦手なタイプだよ」
女の子なら何でもウェルカムだと思っていた笹島は新たな自分を発見した瞬間だった。
「ごめん。とにかく俺はここを出るよ」
しかし出られるとわかった今、いつまでもここにいるわけにはいかない。
濡れ衣だとしても、ここでいつ戻るかわからない拉致した犯人と鉢合わせはしなくない。
ここに、彼女だけ置いていくのは気が引けるが、身の安全の為なら仕方ない。
昨日から一日明けたというなら、明日は仕事がある。
笹島は彼女の身体を押し除け、ドアノブに手をかける。
「行ってしまうの?」
無垢な瞳がこちらを見上げる。
何故か笹島はその瞳から目が背けられなかった。
その時、ナユタ笹島のシャツの裾を掴んだ。
そこから伸びる細い腕には青い痣があった。
思わずその腕を取って、捲り上げてみた。
「これは……どうしたの?」
「潤也がやった」
それは手足だけではないのかもしれない。
彼女の腕や足には無数の打撲の痣が浮かんでいる。
その痛々しさに笹島は唇を噛んだ。
このまま彼女をここに残してはいけない。
そう直感した笹島は、ナユタの手を取った。
「耕平?」
「一緒に行こう。ここにナユタを置いていけないよ」
そう言うと、ナユタは抵抗する事もなく頷いた。
「うん。いいよ。連れてって」
笹島はナユタの手を取り、マンションを出た。
☆☆☆
その頃義兄、潤也からお前の男を拉致したというメールを受け取ったさらさはタクシーの中にいた。
「王子……無事でいて」
あっ、夕陽とみなみの出番がなかった(>_<)
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