第19話

「よ…よぅ。どうしたんだ?……ぜぇ、はぁ。こ…こんな……はぁ。朝早くに」


数分待ってようやく扉が開くと、その向こうには何故か髪から水滴を滴らせ、やけに疲れ切った顔をした友人、夕陽が出てきた。


「お……おぉ、おっはー…。顔が怖いな。それより何か大丈夫か?」


「はぁ?何がだよ」


「いや…。何か聞いたらヤバそうだからいいよ。あ、ちょっと話あってさ。今いいか?」


すると夕陽の顔が引き攣った。

何か地雷でも踏んだのだろうか。


「上がるのか?どうしても?」


「え、どうしても?あ…あぁ。出来れば」


笹島的にはあまり公の場でしたいような内容の話ではないようだ。

夕陽は何故か血走った目で笹島のタレ目を凝視している。


「……………」


「ゆ……夕陽?」


「いや。別に。じゃあ上がれよ」


夕陽はゆらりと玄関から離れる。


「?」


一体友人の身に何があったのだろう。

笹島は恐る恐る室内に足を踏み入れた。


「お邪魔…し……」


「あまりキョロキョロ見るなよ」


「はいっ!」


何故か凄みのある顔で迫られ、笹島の口からは情けない声が飛び出す。


リビングに着くとそこはいつもと変わりはなかった。

安堵を覚え、笹島はドカッとソファに思い切り腰を下ろした。

やがてカップをニつ携えた夕陽がキッチンから姿を現す。

ローテーブルの上にコーヒーが置かれた。


「サンキュー」


「どいたまー。…で、ご用件は?」


「うわっ、早速本題いっちゃう?…ま、いっか。あのさ、夕陽。もしかして推し変した?」


「はぁ?ナンダソレは」


笹島の言葉が意外なものだったのか夕陽は目を大きく見開いている。


「いやだからさぁ、トロエーのみなみん推しから怜ちん推しに推し変したかって…」


そこまで言ったところで何故か窓際のカーテンが不自然に揺れたような気がした。


「ん?今何か…」


「笹島っ!俺を見ろ。俺から目を逸らすんじゃない」


「はえ?何、何が一体始まるの」


夕陽は急に立ち上がり、両手で笹島の顔を挟んだ。


「何も始まらなくていい。それより、推し変とは何だよ」


「だからお前がみなみん推しやめて怜ちん推しに…」


またカーテンが揺れた。


「待て。俺は別にトロピカルエースのファンではない。だから推しもいない。いいな?」


両手でサンドされ、潰れた深海魚のような顔にされた笹島は苦しそうに反論する。


「い…や、でも俺……見たんだよっ。お前が公園で怜ちんのオッパイ見てニヤけてんの」


「はぁぁぁっ?どこの変態だよそれっ!」


夕陽が赤面し、怒鳴りながら笹島を締め上げる。

だが、次の瞬間もっと恐ろしい事が起きた。


「何よそれっ!信じらんない!公園で何てことしてんのよ。このヘンタイっ」


甲高い声と同時にカーテンからジャージ姿のみなみが飛び出してきた。

夕陽の顔が一気に青ざめる。



「え、み……みな…みん?」



突然友人の部屋のカーテンから飛び出してきたアイドル、永瀬みなみの姿を前に軟弱な笹島の精神は一気にオーバーフロー…つまり焼き切れた。


「おいっ、笹島っ?」


夕陽が必死に呼びかけるも、笹島は薄気味悪く笑ったまま意識を飛ばしていた。


「人間は本当に驚くとこうなるんだな…」


「何しみじみしてんの!早くソファに寝かせるの手伝ってよ」


柳眉を吊り上げたみなみに思い切り頭を叩かれて夕陽は渋々笹島の身体を持ち上げた。


「重っ!ぎっしり詰まりすぎだっつの」


「つべこべ言わない。ソレ、夕陽さんの親友でしょ」


「意識ないヤツって、思った以上に重いんだぞ」


そう言いつつも何とか笹島をソファに乗せる事が出来た。

それは海辺に打ち上げられたトドを連想させた。


みなみはそのトド…いや、笹島の額にどこからか勝手に拝借したのか濡れタオルを乗せた。


「悪いな…」


するとみなみは怖い笑顔を浮かべ、夕陽の頬に手を伸ばす。

まるで悪い魔女のようだ。


「付き合って早々もう浮気なの?それも相手が早乙女さんって、信じられない。夕陽さん、もしかして私の事、チョロインだと思ってバカにしてない?」


「い…いや、昨日から付き合ってもう浮気って、それはないだろう。それに俺、お前のとこの他のメンバーなんて会った事ないぞ」


付き合って早々、何故こんな弁明をしなくてはならないのだろう。

半分泣きたくなる思いで夕陽は弁明を続ける。


その時、意識を失っていた笹島が薄っすら目を開けた。

しかしすっかりヒートアップしたみなみはそれに気付かず、夕陽にではなく笹島にメテオ級の発言砲を喰らわせた。



「そんなに大っきいおっぱいが好きなの?ふっ。でも残念ね。早乙女さん…いえ、乙女乃怜のおっぱいはニセモノなのっ。タプタプのシリコンなんだからー!」



「何ですとーーーーー!」




「お前、何勝手に身内…それも仲間の秘密暴露してんの?馬鹿なの?」


「エヘヘ〜。ついカッとなって」


パタリ…。

再び笹島の意識は沈んだ。

哀れ、笹島は泡を吹いて倒れ込んでいる。


「あ、死んだ」


「死んでねーよ!おいっ、笹島っ。笹島ぁぁっ、戻って来い」


永瀬みなみ。

その本性は天使のような悪魔である。










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