第194話「推しのいる生活」

「あぁ、笹島。ちょっといいか?」



帰り際、自分のデスクで退社の支度をしていた笹島は佐久間に呼び止められて手を止めた。



「ん、どうしたん?」



すると佐久間は申し訳なさげに片手を拝むように上げた。



「悪いんだけどさ、今日どうしても外したくない予定が入っててさ、後は日程と見積もりのチェックだけお願いできない?」



「あー。うん。別にいいよ。俺、今日はなにも予定ないし」



笹島は深く追求してくる事もなく、気の良い返事をする。



「悪いな。今度埋め合わせするから」



「別にいいって。こんなのたいした量の仕事でもないし。気にするなよ。相変わらず真面目だな」



「ん。じゃサンキュな」



佐久間はいそいそと退勤の準備を始める。

何やらその表情は嬉しそうで浮き足立って見える。

それを見て笹島は首を傾げる。



(これはいよいよ彼女でも出来たかな?)



今まではあまり他人の色恋沙汰にそこまで敏感ではなかった笹島だが、今では自分にも彼女が出来た事で多少は聡くなってきたと自負している。


しかしそれを直接佐久間へ聞くのは野暮というものだ。

笹島は何も問わず、ただ笑顔でその浮き浮きする背中を見送った。



「皆、いつの間にか運命の相手と巡り会うんだな〜。うん、あの佐久間にもねぇ。いいもんだ」



笹島は一人納得したような顔をすると、残された仕事に取り掛かった。




        ☆☆☆




「ふぅ。間に合ったぁ。今日のは絶対リアタイしたかったんだよな」



一人住むマンションへ滑り込むようにして帰って来た佐久間はすぐにテーブルの上のリモコンを手に取り、電源を入れた。


すぐに生放送の歌番組の特番が流れる。

オープニングは新曲を初披露するトロピカルエースだ。



「はうぁっ!みなみん。ヤバ過ぎる」



コートも脱がずに佐久間はテレビの前に鞄を抱え、しっかり正座している。


その視線はテレビの向こうのアイドルに夢中だ。



元々彼は昔から恋愛関係には奥手で、同級生たちが好きな子の話題で盛り上がっていても、一歩引いた状態でただ黙ってそれを傍観していた。


ただ、全く興味がないわけでもなかったし、クラスの中にもいいなと思える子はいた。


当時は想いを伝えるなんて考えもしなかったので、相手も自分の気持ちに気付く事もなかっただろう。


それどころか、自分が同じクラスにいた事すら気付かれていないのではと思うくらい存在感は薄かったと思っている。


中学、高校は剣道と柔道に励み、その内柔道の方は全国大会まで行って準優勝を飾った。


今思えば何と女っ気のない10代を送ってきたものだ。


一応共学だったのに、異性と話した記憶もないなんて。


大学も女子の極めて少ない学部だった為、出会いもなかったし、その頃には何となく自分の方から異性を避けてすらいた。


今になってそれが異常なのではと内心、佐久間は妙な焦りを感じていた。


就職して、何となく同属性な匂いのする仲間、笹島と出会った。


自分と違って社交的な笹島とはわりとすぐに打ち解けられた。

しかし笹島は自分のように異性を避けているのではなく、自分の方からどんどん異性にアピールやアプローチが出来るヤツだ。


だから普通に抵抗感なく異性と自然に会話が出来てしまう。


佐久間は無意識にテレビを見ながらそんな事を考え始めていた事に気付き、頭を軽く振る。


いつの間にか番組は別のアーティストに変わっていた。



「ふぅ。何考えてんだか。でも番組は録画してあるし、後からまたじっくり見ればいいか…」



佐久間はようやく立ち上がり、着替えに寝室へ行く。


これからシャワーを浴びて、簡単な夕食を作る。

その頃には永瀬みなみの出演するバラエティ番組、「ただいま激走中」がリアタイ出来る。


この番組はガチな鬼ごっこ的なもので、「ハンターさん」という「鬼」役が逃げる芸能人を追い詰め、捕まえるという趣旨のものだ。


最後まで逃げ遂せたら大金が手に入る。

だがそるがかなり難しく、そこが人気のある番組でもある。


みなみが出るのは3回目で、毎回独特な走り方で逃げ惑う姿がバズって、度々SNSで人気トレンドに上がったりする。


佐久間も楽しみにしている番組だ。



「よしっ、今日もみなみん可愛かったし、また一週間頑張れそうな気がする!それに明日はみなみんの無人島大脱出もある。生きる理由があるっていいな。推しのいる生活最高〜」



テレビを一旦消して、佐久間は幸せそうな顔で浴室へ向かって行った。









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