第256話「元保護者による立ち入り調査」

ブランケットを身体に巻き付けて胎児のような姿勢で眠っていると、何やら人の話し声が耳に入ってきた。


翔はゆっくり起き上がり、枕元のスマホに思い切り目を近付けて時刻を確認する。


そろそろ12時になろうかというところだろうか。


昨日は帰ってから陽菜と夕食を摂り、そのまま地下の簡易スタジオにこもって、北河あづ紗のアルバム用の曲の最終調整をして、終わったのが明け方だった。


それから軽くシャワーを浴びて、寝たのが6時辺り。


既にあづ紗のデビュー曲はマスタリングを終えて、ほぼ完成の形となった。


これで大体、翔のやるべき事は終わったと言える。

振り返るとこの数日は、連日スタジオに宿泊したりと中々過酷な日々だった。


しばらくは付き合いたての陽菜とゆっくり過ごすのも悪くない。

そう思っていたのだが、どうもそうはいかないらしい。



当然隣で寝ていた陽菜はもういなかった。

彼女が横になっていた辺りに手を這わしてみたが、もうそこは冷たくなっている。



翔はメガネを掛けると、ジャージ姿のまま寝室を出た。




「あ、蓮。おはよー。昨日はいつ寝たの?」




リビングに移動すると、すぐに可愛いエプロン姿の陽菜が声をかけてくる。


眩しいくらいの美貌が視界に飛び込み、翔を幸せな気分にする。



「6時くらい……って、は?何でここに秋海棠一十がいんの?」



お腹の辺りに手を突っ込み、ボリボリ掻いていた翔の手が完全に止まった。


何と、自分の家のソファであの天才プロデューサーの秋海棠一十が寛いでいるではないか。


その一十はほんわりした顔で翔に会釈する。



 

「やぁ、支倉くん。メールや電話でやり取りはしてたけど、実際会うのは初めましてだったよね?」




「は…はい。いえ、あの……その節は大変…お世話になってます」




「どうしたの?蓮。急に大人しくなっちゃって」



すると翔は物凄い速さで陽菜をキッチンまで連行した。




「何で朝から秋海棠一十?何故に?」



「朝からって、もうお昼だよ。蓮、まだ寝ぼけてる?」



「じゃなくて!あんな超大物が何で朝から俺らの家で優雅にカフェラテ飲んでんの!」



「あ、私が呼んだの。一十先生帰国したから、引っ越し祝い持って来るねって、ほらコレ可愛いでしょ?」



そう言って陽菜が冷蔵庫の隣を指差した。

そういえば先程から何かチラチラ妙な物体が視界に入るなと思っていた。



「なっ…スタチューオブリバティ!!!?」



そこにはアメリカの象徴、自由の女神の石膏像(かなりゴツくてデカい)がまるで最初からそこにあったかのように堂々と鎮座していた。



(うーわー、絶対言えないけど、いらねー……)



冷蔵庫という日常の横に、自由の女神という非日常が同居しているなんとも言えないシュールな絵面に翔は軽い目眩を覚えた。



「あぁ、それ気に入ってくれた?LAで裏道に迷っちゃってね。そこで少し変わった風体の人たちに囲まれてさ、気付いたら買わされてたんだよね。一目見て陽菜ちゃんの新しい門出にピッタリだと思ったよ。偶然とはいえ凄くいい買い物したなぁ」



「いやそれ、完全にヤバいヤツ!犯罪の匂いが半端ねぇよ」



「コレさぁ、LEDで光るんだよ。ほら」



そう言って一十はキッチンへ入って来ると、石膏像の裏手に手を入れてスイッチを操作した。


しかしライトは点かない。



「あれ…?変だなぁ」



「もしかして壊れてるんですか?」



「あー、コレきっと電池がお試し用のしかセットされてないんだ。支倉くん、電池ないかな?」



「………もう、帰ってもらっていいですか?」





        ☆☆☆




「いやぁ、それにしても陽菜ちゃんが幸せそうで良かったよ」



「ふふふっ。私もあの時までは先生以外の人なんて絶対無理だと思ってましたからね」



そんな会話を聞きながら、翔は奥の洗面台で歯を磨いている。

二人が交わす言葉はまるで長年付き合って別れた恋人同士の会話だなと思った。


実際、二人がどういう関係で同居していたのか詳しくは聞いていない。


ただ随分長い事、他人の男女が同居していたのだから勘ぐりたくもなるが、本当に二人の間に肉体関係はなかった。


よくわからないが、きっと親子とか師匠と弟子といった恋愛とは違う種類の情で結ばれているのだろう。



「……どうもっす」



メガネからコンタクトにし、身支度を整えた翔はようやく目覚めた様子で二人の前に姿を見せた。



「やぁ。改めてお邪魔してるよ。仕事大変そうだね」



「いえ、もうマスタリングも終えて、大体目処はつきました」




「支倉くんも随分売れっ子になったね。今じゃ檜佐木くんより仕事持ってるんじゃないの?」




カップ片手に一十は穏やかな目で翔と陽菜を見る。



「そんな事ないですよ。向こうはトロエーとMADとかデカいとこばかり手がけてんですから」



「そうかな。キミも才能のある子だし、これからアイドルとしての活動より、クリエイターとしても売れてくると思うよ。檜佐木くんとは最近会ってる?」



「あー、まぁ前は結構毎日のように飲んでましたけど、最近は僕に彼女が出来てからは全然会ってないですね」



そう言うと、陽菜が少し恥ずかしそうに俯いた。



「一緒に暮らしてから蓮、ずっと真っ直ぐに帰ってくるもんね」



「……まぁ。早く顔見たいし」




陽菜が少し揶揄うように言うと、翔はボソリと本音を溢した。




「わわっ、大胆発言…」

 



陽菜は大袈裟に両手を自分の頬に当てて、もじもじと恥じらう仕草をする。




「あはは。本当に仲がいいんだね。安心したよ」



「えへへ。先生にも一杯お世話になりました」




「陽菜ちゃんが幸せになるまで見守るって約束したからね。良かったよ。それにしても支倉くんを選ぶなんて陽菜ちゃんお目が高いね」



そう言って一十は翔の方を見た。



「そういえば、支倉くんってあの神崎議員の息子さんだったんだね」




「あ、はい。まぁ…」




「あぁ。ごめんね。ちょっと陽菜ちゃんが心配で少し調べてしまった」




「いえ、いいんです。別に隠してるわけでもないですから」




やはりそこは調べるよなと翔は内心思った。

陽菜の周囲に置く人間は彼が厳選しているのだろう。

だから何となく自分も調べられているのだろうと思っていた。

なのでそこは今更不快には思わない。


過去は変えられないのだから、置かれた境遇も変える事は出来ない。




「ありがとう。君には世話になりっぱなしだよね。他にも君は僕との約束も守ってくれたし」



「いえ…。あれは彼女を救えた事は嬉しいのですが、今考えると自己満足の押し付けのようなもので大変自分勝手な行いだったと反省しています」



「蓮…」



あの時、自分は十分に満たされた気持ちになっていた。

だからこそ、彼女の為に生きたいと願った。

彼女の為に命を懸ける事で、自分の想いを証として残したかった。


それがどれだけ自分勝手な想いであったのか、今ならわかっているつもりだ。



翔は自らの腹部に手を当てた。

そこにはまだ傷痕が生々しく残っている。


すると一十はゆっくり立ち上がった。




「支倉くん。少し話せないかな?」




「え?僕とですか…」




一十は静かに頷いた。

陽菜はそれをただ不安げに見上げていた。












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