第208話
「皆〜、今日は来てくれてありがとう!大好きだよ♡」
ステージの上ではドレスのようなシルエットのスーツを翻させ、愛らしい笑顔で翔が歌っている。
「めっ可愛だよね!もう可愛いの渋滞だよ!」
スタジオ内の邪魔にならないスペースからそのステージをこっそり見て、みなみが悶絶している。
その姿はただのオタクである。
そんなみなみに付き合って、同行した陽菜は厳しい目をしてそれを見ていた。
「あんなの作りものだよ。本物はね、もっと態度デカくて……」
そこまで言った時だった。
顔がいきなり何かに覆われ、不意に視界が真っ暗になる。
「ちょっと喜多浦さん、いいかな?僕とお話ししようよ♡永瀬さん、ごめんね」
爽やかな柑橘系の香水の匂いのする手袋に包まれた手が陽菜の頭を引き寄せ、胸元まで寄せられた。
そこにいたのは今までステージに立っていた翔だった。
華奢だと思っていたが、結構逞しく厚い胸板を感じて陽菜の鼓動が早まる。
「はっ…し…翔くん!はい、どうぞ私の事は構わず、陽菜ちをお納めください」
みなみは支離滅裂なセリフで陽菜を貢ぎ物のようにどうぞどうぞと翔の方へ押し付ける。
「ありがとう、永瀬さん♡じゃあちょっと借りていくね」
「ちょっ……痛っ、どこに行くのっ」
陽菜は翔に引き摺られるようにしてその場から連れ去られた。
☆☆☆
「えーぎょーぼーがい」
人気のないスペースに着いた途端、密着していた身体を引き剥がされ、投げ出されるように壁に寄せられる。
「何が?」
「あのさぁ、僕のこの本性知ってる人って少ないんだよ。だから黙っててくれない?」
「はぁっ?何を今更、それに何か顔近いよ」
気付けば女の子のように整った顔が間近に迫っている。
これは壁に手はついてないが、昔流行った壁ドンというイケメンにしか許されない必殺技ではないか。
ただ、陽菜と翔ではそれ程身長差がないので、女の子同士のじゃれ合いに見えてしまうのだが。
彼の口元から漂う甘いミントの香りまで感じるくらい近い。
「わざとやってんだよ。ブスが一丁前に乙女な顔すんな」
そう言ってまた鼻をつままれた。
「痛っ!それ何でいつもそれやるのよ。それにブスブス言うの禁止!」
「お前、生意気。いいか、あの時の礼は受け入れた。だからお前とは何の関わりもない。これで「終わり」だ。もう声もかけてくるなよ。かけてきても無視する」
「…………」
すると何故か陽菜の瞳から涙が溢れた。
自分でも全く予期しなかった事象に驚く。
「は、なっ…何で泣くんだよ。鼻、痛かったのか?」
陽菜は溢れる涙を止められないまま首を振る。
すると何故か陽菜の涙を見た瞬間、翔は慌てた様子で動揺しているように見えた。
「ちがっ…わかんない。わかんないけど涙が止まらないの」
子供のように泣き出した陽菜を翔は黙って優しく抱きしめ、背中を摩ってくれた。
まるで一十のようだが、身体の大きさも体温も匂いも違う。
だけど安心出来た。
「悪かった。もう言わないから、お前の好きにしろ。ただし、僕の本性は言いふらすなよ。それはお前だけの秘密にしろ。あ、涙引っ込んだな。僕はまだ映像のチェックがあるから行くぞ?」
そう言うと、翔は自分のハンカチを陽菜へ押し付けると、ゆっくり去っていった。
しかし、去り際何か思い出したように振り返った。
「……それと、ブスも撤回する。その…可愛いよ。あざとさが足りてない分、まだ僕の方が可愛いけど」
「なっ…」
涙は引っ込んだが、今度は心臓の鼓動が激しくなり、陽菜の心を甘く苦しめた。
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