第94話
深夜、ふと目が覚めると夕陽は横にさらさの姿がない事に気付いた。
裸眼だった為、枕元に置いた眼鏡を掛けて時刻を確認すると、そろそろ夜中の3時になろうとしている。
「そうか、まだ二時間も寝てないのか…」
みなみの方は布団をすっぽり被って眠っているようで、暑いのか時折お経のように不気味な呻き声を発している。
夕陽はため息を吐くと、少し布団をずらして呼吸がしやすいようにしてやった。
しばらくすると呻き声が止んだので、夕陽は彼女を起こさないよう、ゆっくりとロフトを降りた。
キッチンで冷たい水を飲み、さらさの行方を探したが、どうやらこの建物の中にはいないようだ。
そこで外へ出ると、奥の方から白い煙が見えた。
「森さん?」
煙の行方を辿るとベンチで一人、美味そうにタバコを吸うさらさの姿があった。
月明かりに彼女の華奢な身体が浮かび上がり、退廃的にタバコを吸っているというのに何故か神聖さを感じる。
夕陽の声に、さらさは少し気まずそうに肩をすくめた。
「王子?あらら…。見つかったか」
「別にいいじゃないですか。25歳のアイドルがタバコ吸ってたって」
夕陽は笑いながらさらさの横に腰掛ける。
「言い方!もう、地味に傷つくんだからね」
「はははっ。それはスミマセンでした」
さらさはタバコを携帯灰皿に押し付けると、夕陽にも勧める。
「貴方もどう?」
しかし夕陽はやんわりと断った。
「タバコは二十歳で止めたんで結構です」
「それ何?もしかして二十歳になる前から吸ってたの?」
「まぁ…。一時ですよ。受験のイライラを発散させる為にね。それにしても顔に似合わずヘビーなの吸ってますね」
夕陽は勧められたタバコの銘柄を見て呆れたように顔を歪ませた。
「私にも色々あるのよ」
さらさは寂しそうな笑みを見せた。
「……私ね。もう義理の兄とは縁を切る事にしたわ。その準備も弁護士としてるの」
「そうなんですか?」
夕陽は彼女の事情を詳しく知るわけではない。
ただ、実母の再婚した家族から金の無心をされているという事だけはわかっていた。
ただ初めて彼女と出会った日の様子から、心配ではあった。
「うん。あ、それで貴方のお友達にも随分お世話になってるでしょ?義理の弟と妹も、私が何とか支援してアイツから切り離す予定よ」
「あぁ、笹島ですか…。あいつ、何か楽しんでるみたいですよ」
山へ入る前に笹島には一度連絡をしている。
聞けばさらさの義理の弟と妹は笹島の実家で生活しているそうだ。
いつの間にそんな事になったのやら。
しかしそう言う笹島の声はどこか弾んで楽しそうだった。
「そうなの?でもいつまでもお世話にはなれないわ。戻ったらすぐに新しい住まいを探して二人は連れ戻す予定よ。あの子たちは義理の姉夫婦に巻き込まれただけだから」
「中々大変そうですが、頑張ってください。応援してますから」
夕陽は何か吹っ切れたように力強いさらさの決意に笑みを浮かべる。
「ありがとう。そう思えるようになったのはこの恋のおかげかな」
「森さん…」
例え彼女の言うこの恋が、叶わぬものだとしてもそれは同じなのだろうか。
夕陽にはその想いを受け止めるだけで、応える事は出来ない。
そんな夕陽を見てさらさは笑う。
「何よ、その顔は。あ、全力で落とすとかいう話を気にしてるの?そんなの冗談に決まってるでしょ。あんなに仲良さげな二人を見せられたらね〜」
「森さん……」
「……本当はね。もう吹っ切れてるの。だからこれからは自分が過ごしやすい環境を作る事を第一にやっていくつもり。最初は義理の姉夫婦との金銭トラブルと、トロエーの関係修復かな。忙しくなるわ」
さらさは大きく伸びをした。
「私、あのグループの中で一番キャリアがあるでしょ。その自負もあったし、どうせすぐに辞めるつもりだったから、誰とも仲良くならずに壁を作ってた。その板挟みになってたのが怜なの」
「乙女乃怜さん…ですか」
さらさは頷く。
「気付けばいつの間にか選抜組とオーディション組。その二極に分かれてたトロエーを怜は何とかしようと必死にやっていたのを私はただ見ているだけだった」
怜はオーディション組で、何もわからない年少組を引っ張ってきた。
わからない業界用語を自分で調べて、マネージャー達にスケジュールを確認し、それをみなみとエナにわかりやすく伝えた。
そのせいで最近、怜の心はバランスを欠いている。
そんなギリギリな精神状態をいつまでも放置しておくわけにはいかない。
「私、絶対トロエーを生まれ変わらせてみせるから。だから王子はそれを見ていて」
「……わかりました」
夕陽は優しく頷く。
「それからね、あの記事は放っておいて大丈夫だから。そのうち自然消滅しましたって事で流されるわ。こちらから変に騒いだり反応したりしなければそんなものよ」
「…そ…そうなんですか。でも迷惑かけてスミマセンでした」
するとさらさは首を振った。
「それは私の配慮が足りなかったの。貴方が謝る事じゃないわ。本当にごめんなさいね。私の一法的な勘違いに巻き込んで」
「いえ、そんな…。配慮が足りなかったのはこちらも同じですから…」
「ふふっ…でも後悔はないの。今回の事で色々私は変われたから。私にも誰かを好きになる事が出来るってわかったし、義理の姉夫婦に立ち向かう力も湧いた。そしてトロエーを続ける決意を固める事が出来た。確かに恋は実らなかったけれど、私にはいい事ずくめだったよ。王子」
「森さん…」
「だから王子も、もう謝らないで。これからお互い前を向いて歩けるように」
そう言ってさらさは静かに空を見上げた。
「あ、もうこんな時間。じゃあ、そろそろ寝ようか」
「ですね…」
いつの間にか空は薄っすらと明るくなり始めている。
夜明けが近い。
そのままベンチから立ち上がり、戻ろうとした夕陽の肩に後ろから手が添えられた。
「ん?どうかしました……か?」
何か嫌な予感がする。
「では。最後の思い出作りとして、ほっぺにキスくらいはしてくれる?」
「……えーーー。急に後ろを向き始めましたね。前を向くんでしょ?」
夕陽はかなりドン引きな顔でさらさを見る。
「ちょっと何よその顔!アイドルにキス出来るのにその反応はない!」
「……だからそれモラハラですよ。トロエーのリーダーさん」
「いいじゃない。別にほっぺにキスくらい。初めての恋の終わりに少しくらい華を添えても…」
「初めて……」
さらさは顔を赤くして俯く。
彼女の案外ピュアな反応に夕陽は考える。
「………やっぱり止めてお…んんんっ!?」
やはりこのまま別れた方がいいと思い、背を向けようとした夕陽の頭をガッチリ掴み、さらさは強引に唇を重ねてきた。
目を白黒させ、夕陽は抵抗を試みるが、年上のアイドルは恋愛初心者とは思えない口付けでそれを封じる。
肉食系女子。
そんな言葉が夕陽の脳裏に浮かんだ。
「ほっぺ…って、今、ガッツリ舌入れてきましたよね?」
夕陽は生理的に浮かんだ涙と顎から滴り落ちる唾液を乱暴に拭って訴える。
「だって王子がいつまでもモタモタしてるからイライラしちゃって♡」
「……初めてって、絶対嘘ですよね」
「初めてよ。好きな人とはね」
さらさは楽しそうに笑う。
「………」
そこで夕陽は思い至る。
彼女は女優だったと。
「だけど演技でベロは入れないだろう……?」
「さて、初恋に別れを告げた事ですし。これから頑張りますか〜」
さらさは元気に小屋の方へ歩き出す。
「……はぁ」
こうして森さらさと夕陽のスキャンダル事件は終わりを迎えた。
さらさはその後、義理の姉夫婦と完全に縁を切った。
裁判で勝訴し、姉夫婦は今まで搾取した金銭の返済を義務付けられ、現在弁護士との話し合いが続けられている。
そして母親は裁判の判決が出た後、すぐに離婚した。
今は故郷の大分へ帰り、祖母の面倒を見ている。
薔薇は笹島家を出て、都内に小さなマンションを借り、自分の花屋を開店させるべく頑張っている。
ナユタの方は、笹島家が気に入り、そのまま残っている。
最近和菓子店で職人修行を始めたようで、笹島の兄の店で日々楽しく過ごしているようだ。
そしてトロピカルエースの方は、森さらさが早々に復帰したものの、乙女乃怜が薬物所持で逮捕された恋人との関係でしばらく活動を自粛する事になった。
完全に平和とはいかないが、一応夕陽の周囲はようやく落ち着いてきた。
一時盛り上がった森さらさと一般男性との熱愛記事は次第に熱を失っていった。
「……………」
路上に落ちた雑誌を白いワンピース姿の女性が踏みしめる。
アイドルの熱愛報道が掲載された紙面を何度も踏みつける。
「………巳波。待ってて。必ず貴方を取り戻すから」
はい。
これにて森さらさ編完結です。
長かった…。
何かもっと色々出来たなと思う所もありましたが無難にまとまりました。
さて、次からは最終章です。
遂に忘れかけていたラスボス登場。
怜サマの恋はどうなるのか。
笹島の恋は…。
この恋なんですがね、かなり予想を裏切るような展開をしていきます。
何だろう…。
やっぱりな〜…って方向の。
私の考えが変わらなければ、きっと多分大多数の方が「えーっ」てなるw
まぁ、笹島だから仕方ない。
もしそうならなかったら、考えが変わったという事ですね(^_^;)
そんな近況です。
ではこれから始まる最終章、もう少しお付き合い下さいませ。
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