第6話

渋谷のセンター街をスーツ姿の青年が奇妙な風体の女の子の手を引いて駆け抜ける。


しかし誰もそんな自分たちに注目する事はなく、行き交う人々は各自悲喜交々、自分たちの狭められたテリトリー内での事しか関心がない。


東京に限らず、それは現代の風潮と呼べるものなのかもしれない。

しかしそれが全てではない事も夕陽にはわかる。

全ての人間が他人に興味を失っているわけではなく、実はかなりの人間が他人を気にして生きている。

興味がないように振る舞う事は一種の処世術だと思う。

そうする事でトラブルから自分を守るのだ。


夕陽はそんな自論に逆らって、また要らない世話を焼いているなと、彼女の手を引きながらそんな事を考えていた。


「ふぅ……。ここまで来れば大丈夫かな」


やがて二人は駅からやや離れた割と人通りの少ない路地で足を止めた。

もう危険はなさそうだ。このままここで解散しようと、夕陽が彼女の手を離そうとしたところで、その手に力が入る。


「どうした?」


夕陽はわけがわからず、強い力で握られた手と彼女とを交互に見る。

やがて俯いた彼女が小さな声を発した。


「なんで……」


「ん?」


「なんで助けてくれたんですか?」


メガネ越しの彼女の瞳はやや潤んでいるように見えた。

夜なのではっきりとはわからないが、多分先程のトラブルが怖かったのではないだろうか。


そう思うと夕陽はカバンを横に置き、片方の手で彼女の頭を軽くポンポンと触れた。

触れた瞬間、ビクッと彼女の身体が強張るのを感じたが、何度か触れているとその強張りは解けていった。

まるで野生動物のようだ。

異性に慣れていないというのもあるが、それ以前に他人自体に慣れていないのかもしれない。


「もうっ、やめてくださいっ」


何となくその手触りが心地よくて更にモフモフと彼女の頭を撫でていると、ようやく我に返った彼女が乱暴に手を振り解いた。


「おっ。調子が戻ったみたいだな。もう大丈夫じゃないのか?」


「え、あ…あぁ。ありがとうございます」


てっきりまた辛辣な言葉でも飛び出すのかと思ったが、意外にもその口から出たのは礼の言葉だった。

夕陽の口元に思わず笑みが浮かぶ。


「本当に大丈夫かぁ?ま、助けたのは俺の性分みたいなものだ。別に他意はない」


そう言って、夕陽はゆっくり彼女から距離を取る。


「……………」


「……ははは。それにしたってお前がアイドルに間違えられるなんてな。あの男、おかしいんじゃないか。それじゃ、用は済んだしこれで終わりだな。安心しろ。IDは削除しといてやる。そんじゃな。ジャージ娘」


そう言って今度こそ別れようとした時だった。

背を向けた夕陽に声が放たれる。


「なっ…名前教えて。あんたの」


「は?何でだよ」


一瞬何を言われたのか理解出来なかった。

彼女とはこの場限りで終わる関係だ。

だから名前など聞く必要はないはずだ。

第一、それは彼女が強く望んでいた事だ。

彼女は何故か赤い顔でこちらを睨んでいる。


「これ、夕陽のアイコンに夕陽って名前。本名じゃないんでしょ。だから本名教えて」


そう言ってスマホの画面を見せる。

確かに夕陽のSNSは真っ赤な暮れゆく夕陽の写真をアイコンにしている。

それを見て夕陽は肩をすくめる。


「真鍋夕陽。本名だ。母親が俺が生まれた日、すげぇ綺麗な夕陽を見たっていう話から付けられたんだよ」


このちょっと変わった名前は昔から自己紹介の際、いつもこう説明してきたので慣れたものだ。

せめて「勇翔」とか「雄飛」というような一目で人名とわかるものにして欲しかった。


「………素敵な名前」


「は?」


それは無意識に思わず口から出てしまったというような言葉に思えた。

どうやら本当にそうだったらしく、彼女は柳眉を吊り上げる。


「別に素敵な名前だなんて思ってないからっ」


「いや、それ今自分で言ったばかりだろ。いくら何でもその誤魔化しは雑過ぎるわ」


「……ふん」


照れ隠しなのか彼女は鼻を鳴らす。

腹も立つが、何故かこのやり取りは心が弾んだ。


「あー、じゃあついでだ。お前の名前は?」


minamiというのは本名なのだろうか。

聞いてみたかったが、彼女の今までの態度もあって触れなかったのだが、この流れなら自然に聞けそうだ。


すると何故か彼女はこちらをバカにしたような顔で見てきた。

まさか自分だけ教えて、こちらには教える気はないという事だろうか。


まぁ、こんなよく知りもしない男になんて簡単に名前を教えないか。

そう考えて苦笑する。


しかし彼女の反応は違った。


「ねぇ、まさかと思うけど、本当に何も気付いてないの?」


「何がだよ」


彼女は呆れたというようにため息を吐いた。

そして徐にメガネとマスクを外した。

そこから現れたのは、ライブに行ってからここ最近何かと見かけるようになっていた顔があった。


彼女は魅力的に微笑む。


「初めまして、トロピカルエースの永瀬みなみです!」


夕陽の手からカバンがポトリと落ちた。




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