第5話
「確かこの辺りだったかなぁ。最近来てないから地理がめちゃくちゃなんだよな」
8月某日、午後20時。
このお店に来てください。
指抜き、絶対忘れずに持って来る事!
あの風変わりな少女との出会いから約二週間後、要件だけの文章に地図が添付されたものがスマホに送られてきた。
「しかし忘れずに持って来る事って、何だよ。俺は小学生か……」
そして迎えた約束の日。
仕事を終えた夕陽は地図を何度も確認しながら指定された店を探す。
店は渋谷のど真ん中にある知らない店だった。
昔は週末になるとよく遊びに行っていた時期もあったが、最近では通勤で通過するだけで近付きもしないエリアなだけに探すのも一苦労だ。
夜になって駅から次々と吐き出される人の波を掻き分けるように彷徨い、何とか指定された店に辿り着いた。
「あ〜、早めに出て良かった」
指定された時間の8分前に着く事が出来た。
迷う時間を考慮し、余裕を持って出たのが良かったようだ。
店は小さなカフェで、酒類は提供していないようだ。
だが薄暗く、飲むにはいい雰囲気を醸し出している。
まるで外国の図書館のような内装に関心しながら奥に進んでいくと、すぐに夕陽の姿を見て立ち上がる者がいた。
「遅いっ!」
店に着くなり怒鳴られてしまった。
「は?もしかしてライブで会った……」
夕陽を見るなり怒鳴りつけたのは、両手を腰に当て、仁王立ちをするのはあの小柄な少女だった。
今日はニット帽はなく、何かの排泄物を思わせる捻りを加えた独特なお団子ヘアに、赤いフレームの瓶底メガネ、迷彩柄の不織布マスク、服はハーフパンツタイプのジャージ。色は紫に白い3本ラインが入ったものだ。
相変わらず奇抜なスタイルだ。
あれはライブ仕様の勝負服だと思っていたのだが、どうやら普段着だったらしい。
「そうだけど?…全く。私は忙しいんだからね」
彼女はそういうと、早速手を差し出す。
どうやらもう用件に入るようだ。
まぁ、夕陽側からしてもあまり馴れ合う気はなかったし、彼女と会話を楽しむ気もないのでこの事務的なやり取りは望むところだ。
「あぁ、この間はすみませんでした。これで間違いないですか?」
カバンの中から茶封筒を取り出す。
最初はそのまま持って来たのだが、それもなんとなく格好がつかないと思い、社名が入っている事務用の封筒に入れてきたのだ。
彼女はそれを受け取ると、すぐに開けて中を確認する。
それを見た途端、急に表情が和らぐのを感じた。
メガネにマスクで見える箇所は少ないが、やはり可愛いと思ってしまう。
「はい。確かにこれで間違いないです。お手数をおかけしました。ではさようなら。あ、私のIDは後で削除しておいてくださいね。また連絡しようなんて考えないでください。気持ち悪いです」
「え…ちょっ」
それだけ確認すると彼女はリュックに封筒を仕舞い、そのまま店を出て行こうとする。
そのあまりにも冷淡な態度にまたもや夕陽はカチンと来たが、ここはグッと堪える。
すると彼女は突然こちらへ引き返してきた。そして不思議そうな顔の夕陽を見ようともせずリュックから財布を取り出し、中から一万円札を引き抜くとそれを夕陽のスーツのポケットに捩じ込んだ。
「せっかくなのでそれで何か食べて行ってください。お釣りはいりません。一応お礼です。ここ、ナポリタンとオムライスが最高ですよ。では」
「いや、あの…ちょっと」
お礼をする気があった事は予想外だったが、それにしてももう少し気持ちを入れてもいいのではないか。
そう思ったが、もう彼女はずっと先にいる。
わざわざ引き止めてまた揉めるのも疲れる。
「ガキのくせに万札かよ…。親はどんな育て方してんのかね」
ここは常識の欠如した子供に捕まったという事にして忘れる事にしよう。
それで全て終わりだ。
夕陽はそう心の中で折り合いをつけて、一先ず本当にここで何か食べて帰ろうと席に着こうとした。
その時だった。
「あれ〜。もしかしてトロエーの永瀬みなみじゃん?」
その男の声に周囲の喧騒がピタリと止んだ。
夕陽は声のした方に顔を向ける。
そこには小肥りの男性客に腕を掴まれ、顔を引き攣らせている先程の少女がいた。
「やめてください。違いますっ」
「いやいや、ボクの目は誤魔化せないよん。みなみんさぁ、よくこのお店利用してるよね?インスタにも写真上げてるし。だからここをずっと張ってたんだ。最初はさすがにわからなかったけど、何度目かで確信したもんね。キミは絶対トロエーのみなみんだ!」
すると一気に他の客たちが騒めきだす。
そしてスマホを取り出し、写真を撮ろうとしたりSNSを立ち上げようとする。
店の従業員たちも困ったような顔でどうしたらいいのかオロオロしているのみだ。
夕陽も本来ならば黙ってことの成り行きを見守る事が得策だとわかっている。
偶然少し関わっただけの女の子だ。
しかも散々な言葉を投げつけられている。
でもやっぱり夕陽にはそれが出来なかった。何だかんだで少しでも自分と関わった人間なら、どうしても何とかしてやりたいと思ってしまう。
損な性分だと思いながらも夕陽は真っ直ぐに騒ぎの渦中へと飛び込んで行った。
「本人が違うって言ってるんだから、違うって事だろう?」
そう言って夕陽は彼女の腕を掴む男の手を捻り上げた。
「いだだだだだっ、なっ…何なんだあんたは。関係ないだろうが」
小肥りの男は大袈裟な悲鳴を上げて腕を摩る。
その隙に夕陽はすぐに彼女の手を取り店の出口へと強引に歩き出した。
「えっ、あのっ…」
少女はメガネ越しに瞳を大きく見開いて夕陽を見上げる。
夕陽は大して抵抗せず付いてくる少女に安堵を覚えつつ、まだ固まったままの店員に一万円札を突きつけた。
「これ、迷惑料です。お釣りはいりません」
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