第31話

「それから私は詩織の家へ行く度に色々な生ゴミを投げられたの。わざわざ毎日私の為に用意してたのかと思うとウケるよね?」


「いやウケねーわ」


前にみなみのマネージャーが言っていた「不遇な環境」とはこういう事も含まれるのだろうか。

夕陽は何となく頭の隅でそんな事を考えていた。


「毎日こんな感じだったから、いつもその子の家のお風呂に入れてもらってた。そのお風呂が凄いんだよ、本当に薔薇が浮いてたの。その日だけじゃなくて毎日」


「……まるっきりドラマやアニメの世界だな」


夕陽は苦笑した。


「ふふふ。それでね。そんなやり取りがしばらく続いたんだけど、ある日いつもは閉まってる部屋のドアが開いていたの。…で、中を覗いてみたら曲がかかってたんだ」


「曲?」


「うん。登場すっごい流行ってたアイドルの曲。クラスでも人気で、女子たちは毎日彼らの話で盛り上がってた。…その子の部屋からはそのアイドルの曲がかかってた」


みなみは小さくその曲を口ずさむ。

それを聞いて夕陽もわかった。


「それ、俺が高校くらいの頃流行ってたな。妹も好きで、妹の付き添いでそのライブにも行ったぞ」


「そうなの?えー、いいなぁ」


あの頃、妹もそのアイドルが大好きで、でもクラスでは特撮ヒーローが流行っていたので同志がいなかった。

だからそのアイドルが初のツアーを開催するといった時、妹は一人でも行くと言い出した。

当然父親は反対した。

だけど母親は後からこっそり俺に同伴してくれと頼んできた。

小遣い五千円札を渡されて。

その小遣いは妹のグッズと昼食代に消えたが今思うといい経験だったと思う。


「妹さん愛されてるね〜。てか夕陽さん、妹いたんだね」


「あぁ。俺の二つ下だから21かな。今は岡山の大学に通ってるよ」


「そうなんだ。じゃあ私の二つ上だね」


「メガネ掛けてインテリ女子って感じだけど良い奴だよ。お前とも波長が合うと思うけど」


「だね。同じ推しアイドルだし。…で、その子は部屋で小さく歌ってたの。そのアイドルの曲を…。私も気付いたら無意識に歌ってた。そうしたらその子が驚いた顔で私を見て、少しだけ笑ったの」


「…………」


みなみは再び夜空を見上げる。

白い吐息が空に昇っては消えていく。


「それが野崎詩織と私の出会い」


「みなみ…」


「それから急速に私たちは仲が良くなって親友になった。何でも彼女には話せた。彼女がアイドルに憧れている事や、中二の時に私の両親が離婚して不安定になった事も。全て話せた」


あの時見た詩織の目に正気はなかった。

一体そんな彼女の身に何があったのだろうか。


「あの時、私達はずっと私達だけの世界の中にいた。お互いの存在だけしか必要としなかったし、他人は必要なかった」


みなみは他人と距離を置く事が多い。

物理的な接触も苦手で、相手が夕陽であっても身体が覆い被さるような体制になると過剰に反応した。

だから夕陽は極力必要以上身体に触れないよう、自分の身体の影で彼女を覆わないよう気を付けて接していた。

それらはこの事に起因するのだろうか。


「ふふっ。私も知ってるよ。夕陽さんが気を遣って接してくれてる事」


「……別に俺は」


みなみは首を振る。


「いいの。わかってる。詩織の影響だって。詩織ね、男の人が怖いの」


「え、それはどういう事だ?」


「あまり言いたくない事だけど、言わなくちゃ先に進めないから言うね。詩織、小学生の時に痴漢にイタズラ目的で暴行されたの」


「………マジ…か」


夕陽は言葉を詰まらせた。


「それからずっと男の人がダメで、しばらくは父親も怖かったみたい。その影響を受けて私もちょっと男の人は苦手だった」


「そうだったのか」


「だから私達は誓ったんだ。お互い男の人なんか好きにならないで、ずっと二人きりで生きていこうって」


それを聞いて夕陽はやや気持ちの悪さを感じたが口にはしなかった。

自分にはなかった考えだからだろう。


それも思春期ならではのものだと思えば納得は出来る。


「私達は高校も同じ学校を受験した。そして同じ学校に進学したの。最初は中学の延長のようで楽しかった。……でも少し経つと少しずつ私達にズレが出てきた」


「ズレ?」


夕陽の声にみなみは頷く。


「そう。詩織ともっと長くいたいからずっと続けてた陸上やめて高校は部活に入らなかったの。そうしたら急に抜け殻みたいになっちゃって、…そんな時にバスケ部の男の子に励まされて、よく話すようになったんだ」


「へぇ、陸上やってたのか」


「うん。結構速かったんだよ。大きな大会にも出た事あるし……でね、私そのバスケ部の人に告白された」


「……付き合ったのか?」


みなみは首を振る。


「ううん。付き合わなかった。…というより付き合えなかった」


「それはどうして?お前は好きじゃなかったとか」


「うーん、わかんない。でも嫌いじゃなかったし、あのまま何もなかったら付き合ってたかもね」


「何も?」


その言葉に夕陽は怪訝な顔をした。


「うん。その前に詩織が私の目の前で手首を切ったの」


「なっ……」


その時、夕陽の脳裏に詩織の血の滲んだ包帯が蘇った。


「マジかよ…あれが………」


事態はいよいよ確信へ近付いていた。















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