第292話「イキって彼女を食事に誘ったら、店じゃなくオシャレなラブホだったんだが」

「まずはデートだよなぁ。うん」



昼下がりのオフィス街に、夏だというのにニット帽やサングラス、マスクで完全防備した怪しい長身の男が何度も行ったり来たりを繰り返していた。



昨日は英鏡子に電話しようと何度もスマホに指をかけたのだがいざとなると勇気が出ず、結局一時間くらい躊躇ったがついに出来なかった。



ただ変な汗が出ただけの無意味な時間を過ごしてしまった。



それでも会いたいし、顔が見たいという気持ちは抑える事が出来ず、今日はこうして彼女の勤め先まで来てしまったのだ。



事前に編集室に電話をした時、鏡子はちょうど別の取材で席を外しており、隼はこうしてずっと彼女が戻ってくるのを会社あるビルの入り口付近で待ち構えている最中なのだ。



鏡子本人に電話は出来ないが、社にかける分には平気なのがよくわからない男心である。




「……いやぁ。いきなりデートに行こうってのはどうなんだろうな。そもそもデートって付き合ってないと行けないイベントなんだろうか。いやそうでもないよな。見合いとかでもデートを何回かしてから告るんだよな。うん。それは何となくイメージ出来る。だけど、最大の問題はどうやって誘うかだよ」



隼は過去の恋愛を思い出してみた。

これまで付き合ってきた彼女たちはどんな風に自分をデートに誘ってきたのかを。



そこで隼はスマホでメッセージアプリを立ち上げ、元カノとのやり取りを遡り始めた。

もうほとんど消してしまっていたが、幸いなのか微妙だが最後に付き合った当時アイドル的な人気を誇っていた女子アナウンサーとのやり取りがまだ残っていた。




夢花「明後日◯◯行きたいんだけど、付き合ってくれない?」



隼人「了」




夢花「こないだの映画ちょー良かったよ。今度二人で見に行かない?レイトショーなら大丈夫かな」



隼人「了解」




夢花「隼くん、さみしいよ」




隼人「悪い、明日早いからもう寝るわ」





メッセージのやり取りはそこで途切れていた。

確かこの後、彼女から別れたいと切り出されたのだ。

それから仕事がより過密になっていき、それと同時に精神状態も最悪なものになった。

そして最後には舞台の稽古中に突然意識を失い倒れてしまった。


そして遂には表情さえ麻痺してしまったのだ。




「………何か今まで気付かなかったけど、俺って相当クソだな」



隼は思わずスマホを地面に投げつけたくなった。



「全然参考になんねーわ。しかも過去のクソな自分で萎えるし」




「あら、もしかして木屋町さん?」




「ここはやっぱ…一旦帰ってから対策を……」




「木屋町さん」




「でもこれじゃ何のために、無理して外出たのかってヤツだし…」




「木屋町さん!聞いてます?」




次の瞬間、肩に軽く誰かの手が置かれた。




「おわぁぁぁぁって……はぁ?え、何であんたが」



「さっきからずっと呼んでたんですけど?木屋町さん、全然気付かないから大丈夫かなって」




肩に触れたのは英鏡子だった。

麻のシンプルなスーツに、華やかな美貌がよく映えている。

その姿を見ただけで胸が騒いだ。



「お……おぅ。あ…え?なっ……何であんたがここにいるんだよ」



「ここ、私が勤める会社が入っているビルの前なんですよ。ちょうど仕事で外出てたもので」



「はっ…そうだった。だよな。知ってたよ。びっくりしたショックで記憶まで飛んでた」



大体それを知っていて、この場に止まりウロウロしていたのだ。

本当にテンパり過ぎである。



「それにしてもよく俺だとわかったな……いやわかりましたね」



隼はサングラスを少しズラして見せた。

今の変装は自分的に完璧だと思っていた。

すると鏡子は穏やかに微笑む。



その際、薄いローズピンクに染まった唇に視線がいきそうになるのを何とか我慢した。




「ふふっ。背格好でわかりましたよ。アスリートの体格ってやっぱり違いますから。あ、それから今日はどうしたんです?急に敬語なんて使って」



「あ…あぁ、そうなのか。さすがに体格だけは誤魔化せないからな〜。あ、その…敬語はまぁ、そっちが年上だから…です」



「そんなの今更ですよ。それに急に変わると調子が狂っちゃいます。今まで通りで結構です」



「そ…そうか。うん。なら今まで通りで」



「ええ。是非そうしてください。では私は社に戻りますので」




「あぁ。じゃあ仕事頑張って…」




そう言うと鏡子は微笑みを絶やさぬまま隼に背を向けようとする。

隼もそのまま流されてつい手を振りそうになった。


どこまでも雰囲気に流されやすい男である。



「あーっ、違っ……あの、もう帰んのか?」




「ええ。戻って今日取材した内容をまとめなくてはのらないので」




「そうか…そっちは仕事中だもんな。当然そうなるよな…」




「……木屋町さん?」




「あぁ。わかった。じゃあさっきも言ったけど仕事頑張って」




隼はご主人様に散歩を断られた犬のように明らかに落胆した顔をした。



その表情が病気の症状によるものかはわからないが、鏡子にはその表情がとても放っておけないものに感じた。


だからつい反射的に再び声をかけてしまった。




「あの、良かったら少しお茶でもしませんか?」



「えっ!いいのか?」




隼は勢いよく顔を上げた。

ご褒美をもらった大型犬のようである。



「ええ。少しなら。あ、でもこの辺りはカフェとかがないんですよね…」



「そんなのどこだっていいよ。気合いで探せば見つかる!とにかく行こう!すぐ行こう!あんたの気が変わらないうちに!」



「ふふふっ。よほど喉が渇いていたんですね」



(……全然違うっつの)



隼は強引に鏡子の服の袖を掴むと、ズンズン歩き出した。

取り敢えず静かな場所で早く二人きりになりたい。



しかし鏡子の言った通り、この辺りにカフェや喫茶店の類は中々見つからなかった。

それどころか飲食店すら見当たらない。

 


「この辺りで働いてるヤツって昼はどうしてるんだ?」



「そこのコンビニで買うか、駅前ですかね」



「ふーん。そうなんだ。あっ、この店ちょっといいな。シャレたイタリアン出しそう。ここ入ろうぜ」



「えっ?」



その時、視界に入っていたのは、パステルカラーが基調の異国を思わせる外観の建物だった。


いかにもオシャレなレストランという外観が気に入った隼は鏡子の手を引いて中へ入ろうとする。



「ちょっと待ってください。木屋町さん!」



「なんだよ。嫌なのか?でも贅沢言うなよ。この辺りじゃもうここしかないようだし」



鏡子を見ると明らかに異常者を見るような不審な目でこちらを見ている。



「あの……本気で言ってます?本気でここがいいと?」



「本気って、ただこっちは二人でゆっくり出来たらって思っただけで、何もここに入るだけでそんな覚悟決めるみたいな目で見なくても…」



すると鏡子の顔が朱に染まった。

何をそんなに憤慨しているのか隼にはわからない。

自分はただ普通にレストランへ誘っただけだ。



「………木屋町さんは普通にまだよく知りもしない女性とこういった場所へ入る事が出来るんですか?」



「そりゃ女が相手だろうが男が相手でも普通に入るでしょ。何が悪いんだよ」




「おと…男性も!?それは個人の自由ですね……でも木屋町さん、あなたを見損ないました」




「は?だから何でだよ。意味わかんねーよ。何でたかがレストラン入るのに…」




「木屋町さんからしたら当たり前の事なのかはわかりませんが、私はこういうのは困ります。それにあなたのような立場の人間が記者とこんな場所に立っているだけでも問題なのではありませんか?」



「?」



鏡子は半分涙目である一点を指差した。

何故だかとても嫌な予感がする。


その指先が示す先を見るのが何となく怖かった。




「………ご宿泊…ご休憩。まさかここラブホ…」




「……この件はお互いのためになかった事にしましょう?あの…私はこれで社に帰らせていただきます」




鏡子の冷めた声が鋭く突き刺さった。


そう。

隼が見つけたイタリアンレストランだと思っていた建物はラブホテルだったのだ。


今になっていかがわしい案内パネルのチープさが目に痛く感じられた。




「えっ!いや、え?違うし、これ絶対違うから」



慌てて言い繕っても既に遅し。


自分はどうやら好きな人から真昼間に女性記者をホテルに連れ込む悪い俳優と認識されたらしい。



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