第155話

「おい、崇の姿が見えないようだが、お前最近ちゃんとあいつの居場所を把握しているのか?」



深夜の円堂の事務所兼自宅の一角で、事務作業に追われる限竜の背に酒臭い息がかかる。


振り返らずともわかる。

この事務所の主、円堂殉だ。


そろそろ午前1時になろうかというこの時間まで、またどこかで接待を受けてきたのだろう。

それらが外交として大切な仕事の一つなのはわかるが、最近は更に増えてきた。

それと同時に酒量も当然増える。


別に実父だからといって彼の身体の心配をする程、肉親への情はないがそれでも気にはなる。


円堂はよろよろとした足取りで限竜の横まで移動すると、酒臭い息を漏らし、机の縁に背を預けた。そして軽く事務所内を見渡す。


事務所の中は限竜と円堂の他は誰もいない。

短期間で急成長を遂げた芸能事務所とはいえ、立ち上げたばかりでまだ信頼できるスタッフが少ないのだ。


先程女性のスタッフが各タレントのスケジュール調整の作業をしていたが、今日は早めに帰している。

その穴埋めをしばらくの間は限竜が担当している。


限竜からすると表舞台で歌ったり演じたりしているよりもこうした裏方の仕事をしている方が性に合っているのだが、これは仕方ない。


自分は何があっても円堂を支えなくてはならない。


後から聞いた話なのだが、自分が大学へ進学する時にその学費を負担したのが円堂だという。

それを聞いた瞬間、限竜は激しい憤りを感じた。


これで父親としての勤めを果たしたつもりになられるのはごめんだと。

絶対に借りは作りたくない。

そう考えた限竜は就職先が決まっていたにも関わらず、すぐに円堂の元を訪れた。


それからこの奇妙な関係は続いている。

これは肉親への情ではない。

それはただの自己満足なのかもしれない。



限竜は一瞬不快げな顔を浮かべるが、すぐにその顔を取り繕う。



「また詩織の店じゃないんですか?彼も子供じゃないんですから。そこまで管理保護する必要ないと思いますよ」




すると円堂は小馬鹿にするように鼻を鳴らした。



「お前は何もわかってない。だからこの件に関しては余計な口を挟むな」




円堂は冷たく言い放つ。

いつもこうだ。

ただ一方的に命じるだけで、何の説明もしない。



今のところ限竜が命じられているのは野崎詩織と円堂の弟である円堂崇という男女の監視だ。


限竜には野崎詩織が何者で、円堂とどういう関係なのか全く知らされていない。

年齢も親子程離れているし、だからといって親子というわけでもないだろう。


もし親子なら自分とは腹違いの兄妹という事になり、更にややこしい話になってしまうので、そこは考えないようにした。


そして更に謎なのが崇の存在だった。


彼は円堂の血の繋がらない弟だという。

円堂の両親は父親の論文盗用事件の後、離婚して母親が円堂を引き取った。

その後、母親は崇を連れた父親と再婚して兄弟となったらしい。


これは直接彼から聞いた事ではないのだが、円堂教授の論文事件は有名だったし、そこから大体の憶測は限竜でも出来た。


その崇を円堂は異常に構う。

普通成人した兄弟にそこまで干渉するものだろうか。


現在の彼は限竜が知る限り、無職だ。

昼間はパチンコや競馬などに時間を費やし、夜は野崎詩織の店へ出入りしている。


当然稼ぎはないので彼の生活費は円堂が負担している。

健康上、どこも悪いところは見られないので全く働けないというわけではないだろう。


一体どうしてそこまで彼を援助しているのかわからない。


彼の面倒を見るのは専ら限竜の役目だ。

彼の様子を報告し、必要なら金銭を届ける。

彼らから何の説明もないまま、限竜はずっとそれを続けていた。



「はいはい。わかってますよ。あんたのプライベートは何も聞きませんって」



忌々しげにそう言うと、限竜はノートパソコンを閉じて帰り支度を始めた。

するとそれを黙って眺めていた円堂が唇を歪めて笑う。



「おいお前、女はいないのか?随分枯れた私生活のようだが、まさか本当に女に興味はないのか」



「………ちっ」



あの女口調は詩織を落ち着かせる為の演技だ。

それをわかっていながら円堂は意地の悪い言い方をする。


限竜は軽く舌打ちすると、円堂の前を通り過ぎ、そのまま黙って事務所を出た。


円堂はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、わざと気付かないふりをした。

どうせ崇を探して来いとでも言うのだろう。


もう知った事ではない。

誰がアラサーの男の行方を把握したいものか。

限竜は肩で息をしながら重い扉を開けた。

とにかく今は一刻も早く円堂の側から離れたかった。



「女なんて、そんな心の余裕ないっての!」



限竜はそう小さく毒づくと、張り詰めた冷たい空気に肩を震わせながら夜の街へ消えた。


        



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