第234話「歪な家族」

満点の答案を持って父親の部屋へ行く。


この瞬間が一番緊張する。

父親の部屋には秘書を含めた沢山の大人達が出入りするので、家の中ではここだけが別空間のように感じる。


今日も部屋には客がいて、何やら難しい話をしている最中だった。


蓮は奥にいる眼鏡を掛けた理知的な男性、父親を認めると、おずおずと近付く。



「おぉ。蓮か。先日のテストの結果を持って来たんだな。どれ、見せてみなさい」



父はどんなに忙しくても、蓮の成績には必ず目を通す。

今も何か大切な話の途中だというのに、わざわざ中断させてまでチェックする。


蓮は父親の前まで移動すると、客の視線を一身に受けているのを感じながら、答案を差し出す。


ガッシリした大きな手がそれを受け取る。

父は議員をやる前は弁護士をしており、その傍らで古武術の師範も兼任していた。


今は議員になった事で多忙になり、父の三番目の弟にあたる和志が道場を継いでいるが、その為、蓮も護身になるからと幼い頃から古武術を習わされてきた。


勉強でもスポーツでも何でも一番になれ。


それが神崎家の家訓のように、父は幼い頃からそう蓮に叩き込んできた。


答案を受け取った父は、まるで重要書類のように全ての解答欄に目を通すと、満足そうに相好を崩した。



「五教科全て満点じゃないか。よくやった。蓮。それでこそ神崎の子だ」



「あ……ありがとうございます。父さま」



たちまちその場にいた客たちから拍手が起こる。

そして口々に蓮を賞賛した。


わかっている。


父はこの為にわざと客がいる前で蓮の答案を見たのだと。


出来た息子だとアピールしたかったのだ。

跡継ぎは何の心配もないと。




「では行きなさい。母さんが台所で褒美を用意して待っているぞ」



「はい。では失礼します」



蓮はそう言って、眼鏡を押し上げると、客たちに礼をして退室する。


部屋からはしばらくの間、蓮の話題で持ちきりだ。

そんな中、父が何か言ったらしく、より一層賑わう声が響いている。


蓮はその声から逃れるように耳を塞ぎ、階段を駆け上がり自室に入った。


四隅を本棚に囲まれた無機質な部屋には漫画の一冊もなく、百科事典や参考書で埋められている。


唯一の娯楽といえば、読み古された明治大正期の文学全集くらいなものだ。


それも全て父に買い与えられてのもの。


この部屋には一つも自分で望んで欲した物など存在しなかった。



「………勉強しなくちゃ」



蓮は何かに取り憑かれたように、机へ向かう。

勉強していい成績を取る。


それだけしか自分の価値を見出せなかった。


それだけが自分がここにいていいという「理由」であるかのように。


机に向かい、参考書を開いていると、部屋にノックの音が響いた。



「はい。どうぞ」



「蓮さん。今日テスト満点だったんですのね。お父さまから聞きましたよ。何故台所へいらっしゃらなかったの?」




「すみません。お母さん」




母はとても上品で若く、そして美人だった。


見るからに育ちが良く、いかにも父好みな清楚なお嬢様だ。


その母の持つ盆にはケーキやシュークリーム、焼き菓子等、普段この家では見かける事のないものばかりが乗っている。


神崎の家では子供だろうと菓子の一切を与えられない。

だが、唯一例外なのはこうしていい成績を取った時だった。


しかし蓮はその菓子から目を逸らし、教科書を広げた。




「それは詩音にでもあげて下さい。僕は勉強がありますので」




詩音とは蓮の妹だ。

年齢が八つ離れていて、唯一蓮がこの家族の中て愛情を感じる存在でもある。




「蓮さん……あまり無理なさらないでね」



「ええ。僕は大丈夫です。何も心配いりません」




「わかったわ。今日は家庭教師の先生はお休みですからね」


 

「わかってます…」




母は遠慮がちに部屋を出て行った。

そこには温かい紅茶と菓子が残されていた。



「………大丈夫な……ものか」



力を入れて握ったノートの端がグシャっと潰れて乾いた音を立てる。


カレンダーを見るともう模試まで日数がない。



「勉強だ…勉強しないと……」



蓮は勉強に集中した。

神崎蓮、十五の夏だった。




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