第108話

「……ねぇ、夕陽さん。あの二人って付き合ってるのかな」



笹島家からの帰り道。

タクシーの中でみなみはポツリと呟く。

彼女の言う「二人」とは、乙女乃怜と笹島…ではなく、急な来客として現れたスタジオミュージシャンの佐野隼汰だ。


あれから佐野が怜と二人きりで話したいと申し出た為、夕陽とみなみは笹島家を出る事にした。

帰り際、笹島は何か言いたそうな顔で夕陽を見ていた事が気になっていた。



「さぁな。でもわざわざここまで来たって事はそれなりに深い関係なんじゃないのか?」



「深い?それってどのくらい?」



その言葉にみなみが声のトーンを上げて夕陽の方へ顔を寄せてきた。

夕陽は迷惑そうにそれを片手で押し返す。



「急に顔を輝かせるな。そんなの俺が知るわけないだろ。…とにかく、部外者の俺たちが踏み込むべきじゃない。後は彼らの問題だ」



「つまんないのー。じゃ、着くまで寝るわ。着いたら起こしてね」



「はいはい」



すぐに興味を失ったみなみは、帽子を目深に被り、そのまま横を向いてしまった。

連日の仕事で彼女も疲れているのだろう。


夕陽は彼女の邪魔にならないよう、車窓へ視線を向ける。



「アイドルと恋愛……ねぇ」



笹島の推しである乙女乃怜が、今同じ屋根の下で生活している。

そんな漫画やラノベの世界のような夢の出来事に遭遇している笹島は、今どんな気持ちなのだろう。


別れ際の笹島の表情が再び浮かぶ。

その顔はどこか淋しげに見えた。




        ☆☆☆




客間に戻った怜はぼんやりと手のひらの上に置かれた小箱を眺めていた。



「あれ、莉奈さん。お客さんはどうしたんですか?」



そんな怜に、お茶の乗った盆を手に笹島が顔を覗かせる。



「………帰ったわ」



「ええっ!?もう帰ったんすか?早っ…。まだお茶も出してないのに」



笹島は盆に乗せられた二つの湯呑みを残念そうに見つめる。



「……………」



「…あの、どうかしたんすか?」



どうも怜の様子がおかしい。

まるでここに来たばかりの頃のように、表情が硬くなっている。


すると怜が小箱を笹島の方へ見せ、薄く笑った。



「プロポーズされたわ。結婚しようって」



「ええええっ?マジすか?良かったじゃないですか。もしかしてそれ、結婚指輪ですか?」



「……耕平くん、貴方本当に変わってるのね」 



手放しで喜ぶ笹島の反応が気に入らなかったのか、怜は小さく息を漏らした。



「え、何がっすか?」



「だってあたしの事好きなんでしょ?」



「勿論す!俺は生涯乙女乃怜を推していくつもりですからね。覚悟してくださいよ」



鼻息荒く笹島は胸を張る。

その言葉に嘘はなかった。



「……重いわ。でもいいの?その推しが結婚しても」



「推しの幸せは俺の幸せっすから」



「……やっぱり変わった人ね」



怜は笑って、小箱を脇へ置いた。



「で、プロポーズは受けるんですか?」



「………わからない。だって彼は「早乙女莉奈」を見ていないから」



「?」



怜は微かに目元に浮いた涙を拭う。



「佐野隼汰はね、私の初恋の人なの」



「えええーっ?って、あちちちちぃっ!」



笹島は驚いて脇に置いた盆を蹴飛ばし、熱いお茶を足に浴びて悶絶した。








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