第107話

「……ねぇ、耕平くん。寒くなってきたわ。何か羽織るもの持ってきて」



「ハイハーイ!ただいま。莉奈さん」



「あ、そういえば喉が渇いたわね…」



「すぐお持ちいたします!」



目の前をパタパタ走り回るアフロ犬に、夕陽とみなみは呆然と立ち尽くす。



「な…なぁ、アレは一体何なんだ?」



「知らないわよ。大体何で笹島さんの家に早乙女さんがいるの?」



昨日、歌番組の収録を終えた楽屋内で森さらさが、明日笹島家へ行ってみると面白いものが見られると言っていたので、早速夕陽と来てみたらこの光景が広がっていたのだ。


何の説明もない状態で、これを見せられたら誰だって困惑するだろう。



「……でも、何かいいなぁ。あんな色々してくれる執事みたいなカレシ、欲しいなぁ」



そう言って、みなみはじぃーっと隣の夕陽を見つめる。



「言っておくが、俺はやらないからな。大体それと同等の奉仕を毎日してやってるだろうが」



「でも、羽織るものや飲み物は駆け足で持って来てくれないよ」



「………たりめーだ。アホっ。俺はお前の舎弟になったつもりはないからな」



「痛っ!」



頬を膨らませるみなみの額にデコピンが炸裂する。



「あっ、夕陽!それにみなみんも!どうかしたん?」



そこにようやく二人の存在に気づいた笹島が足を止めた。



「…いや、どうかしたかっていえば、お前こそ何してんだよ」



「何って、「推し事」だけど?」



「!?」



笹島はケロっとした態度でとんでもない事を言った。

夕陽とみなみはお互い顔を見合わせる。



「えー、それ何?笹島さん頭、大丈夫なの?」


「いやいやいや、みなみん。それ普通に失礼だからね」



「耕平くーん、飲み物はぁ?」



その時、待ち草臥れたのか怜の催促の声が客間からかけられた。

その声を聞いて笹島が弾かれたように背筋を伸ばす。



「はっ、ハイ!ただいまっ。…悪い。詳しい話は後にして。居間に行っててよ」



「お…おぅ。わかった」



笹島は慌てて台所へ走っていく。

残された二人は肩を竦める。



「…最近の推し活って、すげーのな」


「推しの介護?」


「……何かソレ、俺も含まれてね?怖いわ」



「だけど幸せそうだったね。笹島さん」



「まぁ…そうだな」



夕陽は不安そうに笹島の後ろ姿のアフロを見やった。



        ☆☆☆



「いやぁ、悪かったな。まさか二人が来てくれるなんて思ってなかったから」



あれからしばらく笹島は甲斐甲斐しく怜の世話に勤しんだ後、ようやく二人が待つ居間に顔を出した。



「ホントにびっくりだったよ〜。で、何で早乙女さんがここにいるの?確か療養中なんだよね?」


「俺もびっくりだったよ。何せ兄貴たちや両親も知ってたし、知らないの俺だけでさ。いきなり家に怜サマ連れた森サラ来た時は失禁するかと思ったもんよ」


「……マジでシャレにならんな。お前の場合」



そして笹島は怜が笹島家へ来るまでの経緯を軽く説明した。



「えーっ、早乙女さん解雇って聞いてないんですけど!」


「シーっ!みなみん。声がデカいよ」


笹島が慌ててみなみに人差し指でお口チャックを促す。


「おい、笹島。乙女乃さんはその事を知らないのか?」


「…多分。それに森サラからあまり仕事の話はしないようにって言われてるから、こっちから詳しく聞く事も出来ない」


「そっか。何かね、早乙女さんと付き合ってた映画監督の息子ってのが逮捕されたでしょ?あの後、色々早乙女さん自身も調べられたらしいよ。大変だったみたい」



みなみはようやく声のトーンを落として囁く。

みなみも怜の事についてはあまり情報を持っているわけではない。

ただ入院していた病院を退院し、自宅で療養しているとだけマネージャーを通して聞いていた。


病状については肉体的なものではなく、精神疲労からくる不調とだけメンバーには伝えられていた。


リーダーである森さらさはもっと詳しく知っていたのだろう。

こうして、二人は笹島家にいるのだから。



「…で、いつまでその推し事やるの?」


「さぁ。しばらくとしか…」



笹島は苦笑いを浮かべた。

その時だった。

部屋に来客を知らせるチャイムが鳴り響いた。



「あれ、誰だろ。母さんや義姉さんならチャイムは鳴らさないし…。話の途中で悪いな。ちょっと出るな」



「おぅ。俺らの事は構わないよ。早く出てやれよ」



笹島は首を傾げながら玄関へ向かう。



「はい。どなた…っすか?」



アフロをモシャモシャ掻きながら出ると、そこには清涼感のある青年が立っていた。



「うわ、イケメン…ブサメン人種の敵」



「はい?」



思わず僻みが出てしまった笹島は慌てて口を濁す。



「いえ。何でもないっす。それでご用件は?」



すると目の前のイケメンは背筋をピンっと伸ばして笹島の目をしっかり見た。



「初めまして、自分は佐野隼汰と申します。そちらにお邪魔している乙女乃怜さんにお話があって参りました」


「…はい?」


笹島の目が大きく見開かれる。



「ちょっと、夕陽さんっ。あれ修羅場じゃない?あの人、ツアーやレコーディングでいつもお世話になってるサポートの人だよ。イケメンって、スタッフさんの間からも騒がれてる人だ。イケメンvs非イケメンの闘い!これは見逃せないよ〜」



何故か興奮したみなみが居間からその様子を覗き見していた。



「…こらっ。みなみ、勝手に覗くな」



夕陽は嫌な予感に冷や汗を浮かべた。















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