第15話
「ふぁ〜ぁ。すっかり秋らしくなったなぁ。最近朝がめっちゃ寒いよ」
10月になった。
先月の渋谷での事件で大怪我を負ったアイドル、永瀬みなみは辛くも一命を取り留め、3カ月間の芸能活動休止を発表した。
当面の間、四人での活動になったトロピカルエースは今日も五人復活の日を願いながら、地方で断崖に生える伝説のキノコを探す過酷なロケを頑張っている。
夕陽はというと特に変わらず毎日仕事へ行き、週末は笹島と釣りや飲みに行ったりと実に平々凡々なサラリーマンの日常を過ごしていた。
永瀬みなみとは連絡を取っていない。
勿論彼女からもなかった。
気にならないのかといえばそんな事はない。
だけど気にしすぎると一日中何も手につかなくなる。だから敢えて深く考えず、連絡がないという事は無事に過ごしている証拠だと思えば割と心は平気だった。
「そうだなー。もう秋だもんなぁ。何か今年の夏はあっという間に過ぎてったな」
夕陽も眠そうに欠伸を噛み殺す。
青々としていた街路樹は赤や黄色に染まり、季節はすっかり秋になった。
頬に触れる風も冷たく感じる。
「知ってるか?ハタチ越えるとあっという間だって」
「嫌な事言うなよ。今もうすでに感じてるのに」
夕陽は本気で嫌そうに顔を顰める。
「そういえばこの間、みなみん誕生日だったじゃん」
突然出たみなみの名前に頬がピクリと反応した。
「へ…へぇ、そうなんだ」
自分は別にトロピカルエースのファンでもないし、ましてや永瀬みなみを推しているわけでもない。
一応笹島の手前、そういうスタンスを取っているのだが、何となく勘の鋭い彼は何かを感じとっているのか、時々こうしてみなみの情報を流してくる。
「19歳のみなみん。超可愛くない?ま、俺は怜ちん推しだけど。あ、最近エナちもあざとい小悪魔キャラ開花してポイント高いけどね」
そう言って笹島はスマホの画面を見せてきた。
写真は小さなバースデーケーキの前で嬉しそうにメンバーと笑うみなみの姿があった。
療養中の彼女をメンバーが見舞った時のものらしい。
「19歳か…」
「あぁ、みなみん一年留年してるからね」
「そっか…」
笹島の話ではストーカーが原因だったと聞いている。
みなみはそんな時からストーカーに悩まされてきたのだろうか。
先月の事件の前、それを聞き出そうとして部屋に呼んだというのに、また彼女はストーカーの被害に遭ってしまった。
心に受けた傷は相当深いに違いない。
「さてと。そんじゃまたな〜。来週から俺、出張続くから遊ぶのは帰ってきたらな」
「了解」
笹島は最近地方の出張が多くなっていた。
夕陽の方は残業は多いがこの近辺での仕事を中心に取り組んでいるので、予定を立てるにも足並みが揃わない時が出てきた。
笹島と別れた後、コンビニで少し買い物をした夕陽は、ゆっくりとした足取りでマンションのエントランスへ向かう。
そしていつもの流れでメールボックスをチェックし、ダイレクトメールの束を取り出した。
「…ん?隣の部屋、新しい入居者来たのか」
ふと隣のボックスが目に止まり、可愛らしい動物のシールが貼られていた。
以前入居していたのは中学生の息子のいる三人家族だったので、今回も家族連れだろう。この可愛らしいシールを見るに、もっと小さな子供がいるに違いない。
そう想像し、賑やかになるんだろうなと考えながら夕陽は帰宅した。
直ぐに軽くシャワーを浴びて部屋着に着替えたところで来客を知らせるメロディーが流れた。
「はい。どちら様ですか」
冷蔵庫から冷えたビール缶を取り応対すると、モニターには見えないが、女性の声がした。
「すみません、私、今日からこちらに引っ越して来たものです。お一つご挨拶に参りました」
「あっ、どうも。そうでしたか。今開けますね」
やはり誰か隣に引っ越して来たようだ。
予想が当たり、夕陽はすぐにドアを開錠した。
…やっぱり家族連れかな。声の感じからしてすごく上品そうな奥さんだな。
てっきり品の良い和装美人の女性をイメージしてドアを開けた夕陽の目が固まった。
そこに立っていたのは、上品な和装美人ではなく、引越し蕎麦らしき木箱を抱えたニット帽に黒縁メガネにマスク、膝に大きな穴の空いたジャージ姿の女の子だった。
「初めまして。お隣に越して来ました長瀬と申します。これから宜しくお願いしますわね。オホホ」
「う……嘘だろ」
夕陽の手から良く冷えたビール缶が落ち、無防備な足を直撃した。
「……☆○◇¥#〜っ!」
人気アイドルと一般男性の恋物語は第二章を迎える。
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