第2話
あれから時は流れ、あっという間に笹島と約束した7月のライブ当日を迎えた。
実はアーティストのライブ経験は中学の時、母親に頼まれて二つ下の妹の付き添いで男性アイドルのライブへ行ったきりだったので、かなり久しぶりだった。
なので会場で浮かないよう事前に服装や持ち物等の下調べまでした事は秘密だ。
今日は特に気温が高めなので熱中症対策と風通しの良いシャツといつものジーンズというあまり気合いの入らないスタイルにした。
ネットで見たようなお洒落にキメた格好で行くと笹島に何か言われそうでそれは避けた。
待ち合わせは会場近くのコンビニだが、まだ笹島は来ていない。
先程こちらに向かっている途中だとメッセージが入ったので、どうせいつもの寝坊だろう。
夕陽はスマホを立ち上げ、今日のライブのセトリを確認しつつ、アイドルユニット「トロピカルエース」のメンバーのサイトを開く。
トロピカルエースは一般公募とユニットを企画した仕掛け人の推薦枠を合わせた五人組のユニットで、全員が南方の出身という事で「トロピカル」と名され、更にそれぞれがエース級のアイドル集団というコンセプトで結成された。
年齢は下は18歳から24歳で既存アイドルグループの中では若干高め。
各メンバーは、一人目が最年長でリーダーの森さらさ。
子役から歌手に転身し、長身でスレンダーな体躯から最近はモデルの仕事も増えてきた芸歴の長いメンバーだ。
次は22歳で一般公募から加入した乙女乃怜。
独特な字面の名前だが、本名なのだろうか。
甘いルックスとグラマラスな体型で、正統派のアイドルと言える。
三人目は20歳の喜多浦陽菜。
15歳からティーン向けの雑誌でモデルをしていて、歌手活動の経験もある。
クールで知的な印象に反して仲間想いで情に熱い。
四人目は18歳の永瀬みなみ。
一般公募からの加入で、現役高校生。
人見知りが激しく思った事をそのまま口にする為、一番素人感が抜けていない。その小慣れてない感が受けているらしい。
五人目は同じく18歳の後島エナ。
彼女も一般公募からの加入だ。
父親が元プロ野球選手だという事でオーディション時からマスコミに注目されていた。
本人は最初から芸能界入りを希望していて、高校へは進学せずにこの世界へ飛び込んだという。
以上がトロピカルエースだ。
まぁ、ざっと見た感じ、夕陽にはどのメンバーもよく見分けがつかない。
…て、完全にオヤジ化してないか。俺。
そんな事をぼんやり考えていたところで笹島が小走りで合流してきた。
「悪い。寝坊した」
「うん、分かってたよ」
息を切らせながら笹島は何度も顔の前で両手を擦り合わせる。
それもいつもの事なので夕陽は軽く流す。
今日の笹島は「怜」と毛筆体で一文字プリントされた気合の入ったTシャツを着ている。
明らかにこれからライブ行きますという出立ちが目にも精神的にも痛い。
「それ、まさかの手作り?」
一応聞いてみる。
すると笹島は目尻に皺を寄せて得意そうに頷く。
「おっ、早速気づいてくれたか。同士よ。そう、トロエーはまだデビューしたてでグッズ少ないからな。昨日寝る直前に思い付きで自作した。どうよ」
「……寝坊はそのせいか」
どうやら彼の今回の推しは乙女乃怜のようだ。
正統派アイドルという立ち位置的にも彼のストライクゾーンだったのだろう。
それは付き合いの長さで何となく予想していた。
「それじゃ行くか」
「おぅよ」
会場のドームはもう目の先だ。
そこから長く伸びる列が見える。
「新人にしては結構入ってるな」
「まぁね。でも俺、もうFC入ってるから先行予約でチケは余裕よ」
長蛇の列に合流し、ここから先の会場までどのくらい掛かるのか考えると急に怠さが襲って来る。
「あ、そういえばあれからトロエーの曲とか聴いたか?」
「ま、一応は」
夕陽は気のない表情で頷く。
一応ライブに行くという事で、彼女たちの曲は何曲かダウンロードした。
まだデビューしたばかりなので、それ程曲数はないが、どことなく歌謡曲を今風にアレンジしたものが多く、耳に馴染みはした。
「そっか。そっか。意外に真面目で感心だな」
「あほか」
これまで付き合いでしか触れてこなかった世界だが、決して音楽が嫌いというわけではない。
学生時代はよくCDもマメに買っていた。
ただ社会人になって、急に覚える事が増え、それを追いかける事で精一杯になり、徐々にエンタメから遠ざかっていただけだ。
そんな、やり取りをしているうちにようやく二人は会場に入る事が出来た。
中に入ると空調は効いているが、独特の熱気に包まれていた。
もの凄い人の波に呑まれてしまいそうになる。
「夕陽、こっちこっち」
気付くともう手荷物検査を受けた笹島が物販スペースで手を振っている。
夕陽は人と人の間を縫うようにして、何とか辿り着く。
「はぁ、何か凄いな。もう数分いただけで帰りたくなってくる。争いのない平和な自分の部屋に逃げてぇ…」
「おいおいおいっ、まだ何もしてないよ。俺ら。それより物販見るから手伝ってくれよ」
人で賑わう物販ブースは喧騒に包まれていて、素人が容易に踏み入れていい雰囲気ではない。
やや恐怖に引き攣った顔で夕陽はブースを少し遠巻きに見た。
狭いスペースにはツアーパンフや菓子類、オペラグラス、Tシャツやタオル等、様々なオリジナルグッズで溢れていた。
「うっし、買うか〜。夕陽、俺から離れるんじゃねぇぞ」
「気色わりー事言うな。それより俺はどこで何を買ってきたらいいんだ?」
「サンキュー。サンキュー。買いたいものはメッセージで送った。頼むな」
スマホを開くと様々なグッズの名前と写真が貼られた状態でメッセージアプリに来ていた。
相変わらずの卒のなさに苦笑しつつも夕陽は大きく息を吸い込み、人混みの中へ突撃した。
☆☆☆
グッズを買い込み、二人が席に移動したのはもう開場ギリギリの時間だった。
ここまで来るのに既に汗だくで半端ない疲労感だ。
「全く、お前はこれだけの荷物どうするつもりだよ」
「大丈夫だって。半分ロッカーに入れて明日朝イチで回収すっから」
自分たちの足元を占領するグッズの袋たちを見て夕陽はうんざりした。
その時だった。
「?」
一瞬足元で何かが光ったような気がした。
「ん、どしたん?夕陽」
頭に推しの名前をプリントしたハチマキを装着しつつ、笹島は首を傾げる。
「いや、今何か光ったような……って、これだ」
思い切り身を屈めて座席の下に手を伸ばす。
手に触れたのは小さくて硬質な物体。
中央に穴が空いている。
「指輪?」
それは金属で出来ていて、色は鈍い金色。一部分に細かな点描の装飾があしらわれた指輪のようなものだった。
何故…のようなと表現したのかというと、指輪にしては幅がやけに広く感じたからだ。
しかしだからといって、指輪以外だとするとそれは何かはわからない。
「うーん。これどうしたらいいんだ?」
思わず笹島に意見を求める。
すると彼はそれを受け取り、様々な角度から観察する。
「あ、これK18…ホンモノの金使ってるヤツじゃん」
「え、マジかよ。誰か落としたのかな」
「さぁ。ここ毎回清掃はしっかりしてるから落としたのはつい最近って感じかもな。これ大切なものかもしれねーし、俺が後で会場のスタッフさんに預けてやるよ」
笹島がにっこり笑う。
お互い世話焼き体質なもので、そういう時はいつも意見が一致する。
「そっか。悪いな」
「いいって。お前、この会場始めてだろうし。俺は何度も来てるから任せとけって」
そう言って笹島は自分の財布にそれを仕舞った。
「よしっ、いよいよライブ始まるな!」
笹島の気合いに呆れつつ、夕陽はタオルで首筋の汗を拭った。
後数分でライブの幕が上がる。
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