第3話
拍手とアンコールの声が鳴り止まない。
ステージ上の彼女たちは光の中、それぞれ手を繋ぎ、ファンへ向けて深々と頭を下げる。
ふと隣を見ると、笹島は涙を流して感動に震えていた。
大袈裟な…とは思ったが、不覚にもファンではない自分も少なからず感動していた。
それくらいステージの彼女たちは輝いていた。
4回目のアンコールで、最後にリーダーの森さらさが客席に向けて感謝と再会の約束をして白熱のライブは終わった。
会場はまだ熱気に包まれている。
夕陽たちもようやく自我を取り戻したように帰り支度を始める。
「やぁ、マジで凄かったな〜」
「あぁ。まぁな。俺も意外と楽しめたよ」
まだ感動に震える手を握りしめ、笹島も大量の荷物をまとめる。
するとふとその手が止まった。
「あ、ちょっとトイレ行ってもいいか?」
「あぁ、いいよ。荷物はここで俺が見てるから」
笹島は悪いなと言って足早に出口へ姿を消す。
夕陽は荷物の番をしながら、徐々に退出していく人々の流れを眺めていた。
するといつの間にいたのか、自分の目の前を小柄な人影がチョロチョロと動き回っているのが視界に入ってきた。
真夏だというのに毛玉だらけの厚ぼったいニット帽を被り、黒くてフレームの分厚い眼鏡をかけている。
口元は黒い不織布のマスクで覆われていて、見るからに怪しい。
ちなみに着ているものは今時珍しいグリーンのジャージだ。
その、怪しい人物は何かを探しているのか、夕陽のいる周囲を何度もウロウロしている。
「あの…。何か困り事ですか?」
何となく目の前にいながらただそれを眺めているのも気まずいので、仕方なくその怪しい人物に声を掛けてみる。
「えっ?……って、うひゃい?」
「うひゃい?」
どうやら声を掛けられるとは思っていなかったらしい。
その不審人物は妙な声を上げて飛び上がった。
往年の漫画的なリアクションだ。
声の感じから推測するとまだ若い女性のようだ。
まぁ、このライブの客層からもわかる事なのだが。
「あたし?」
彼女は軍手に包まれた人差し指を自分に突きつける。
夕陽は頷く。
「そうです。いや、別に声かけるつもりはなかったんですが、何か困ってるようだったから…」
そう言うと彼女はじっとこちらを凝視してきた。
「あの……ここにこれくらいの指抜き落ちてませんでしたか?」
「ゆびぬき?」
夕陽は困惑の表情を浮かべる。
聞き慣れない単語だ。
それは一体何なのだろう。
その表情から察したのか、彼女は落胆のため息を吐いた。
「裁縫道具です…。お守り代わりに持ってたんですけど鎖から外れたみたいで…」
そう言って彼女はポケットから途中で切れた鎖を取り出す。
「かなり古そうですね。金属の経年劣化かな。…ん?待てよ。もしかしてそれって指輪みたいなやつ?」
彼女の話を聞いて、不意に夕陽の脳裏に閃くものがあった。
「えっ、は…はい。素材は金で指輪のような形をしてます」
「あぁ、アレか。それなら俺、ここで拾いましたよ」
「本当ですか!良かった〜」
みるみるうちに彼女の声が明るくなる。
可愛らしい声だ。
多分トロエーのファンの女の子なんだろう。
ライブに参加するにしては浮いた服装が気になるが、もしかするとそういうスタイルが最近の若い子の流行なのかもしれない。
「それじゃ、返してもらえますか」
ほっとした様子で彼女が両手を差し出す。
夕陽もその手にすぐ指抜きを乗せてあげたかったが、ある事に気付いた。
「あっ……」
「どうかしましたか?」
すると探るように彼女の目が眇められる。
その目は早く指抜きを返せと訴えている。
夕陽は困った顔でポリポリと頬を掻いた。
「ごめん。拾った事は確かなんだけど、一緒に来た友人に預けてるんだ」
「えっ、何ですかそれ。ちょっと…困るんだけど」
いつの間にかお互いタメ口になっていた事も気付かない。
「だからそいつが後で係の人に預けるって話で…」
「だったら係の人に言えば返してもらえるって事でしょ?」
「あー、いや…今は係の人に預けに行ったわけじゃなく、ただトイレに行っただけだからなぁ。あ、でももう少し待てば戻るんで…」
笹島は指抜きの入った財布を持ってトイレに行っている。
ここにあるのはツアーグッズの荷物だけだ。
しかしそれは笹島が戻って来たらすぐに解決する。
だが彼女はやけに焦った様子で視線を彷徨わせている。
「ダメっ、もう戻らないと皆に迷惑が……でも…」
「?」
すると彼女は分厚い眼鏡の顔をぐっとこちらに近づけて、手を出して来た。
仄かにいい匂いがするなとそんな思いが一瞬過ったが、それ以上に彼女の剣幕の方がインパクトがあった。
「スマホ貸してっ!早く」
「は?」
わけがわからず聞き返すが、彼女は夕陽の胸のポケットに入れていたスマホを見つけると、勝手に引ったくる。
「おい、ちょっとあんた……」
「早くロック解除してっ」
言われるままに解除すると、彼女は電光石火の勢いで勝手にスマホを操作した。
咄嗟の事にどう対応していいのかわからず、ただ口を開いたままの夕陽に彼女は乱暴にスマホを突き返して来た。
「すっごい不本意だけど、指抜きの為だから我慢する。それ私のID。後で連絡するから逃げんじゃないわよ。絶対返してもらうからっ。ばーかっ!」
「は……?」
ついでのように付け足された感のある語尾の罵倒は一体何に対するものだったのか。
まだ呆然と固まっている夕陽を残して謎の少女は走り去って行った。
☆☆☆
それからすぐに笹島はトイレから戻って来た。
先程と変わらずまだ茫然自失で固まっていた夕陽に笹島はどうかしたのかと聞いてきた。夕陽はすぐにあの少女の事を話した。
「はぁ?それマジか。あぁ、だったらやっぱりお前が持ってた方が良かったな。その子にも悪い事したなぁ。これ、返しとくな。そういう事情ならお前から渡してやってくれ」
笹島は心底申し訳なさそうに言って、夕陽に指抜きを渡した。
指輪に見えた表面の細かな穴は針の背を受け止める為のものなのだろう。
改めて見るとやはり指輪とは違うものだとわかる。
「いや、お前が行ってくれねぇ?何かもう俺、あの女と会いたくないし」
夕陽の脳裏に少女から発せられた別れ際の罵倒が蘇る。
思えば異性からあんな風に幼稚な罵倒を受けた事はなかった。
それだけにショックも大きかったし、これ以上関わりたくなかった。
だが笹島は首を振る。
「いやいやいや。そこはお前が行かないとダメだろう。ID交換したのお前だし、俺はその子の顔も知らないんだし」
「俺だって知らねえよ。このクソ暑いのに防寒用のニット帽に瓶底眼鏡にマスクだぞ」
「うわぁ、夕陽、マニアックな子に好かれるよね」
「そこは違うだろ」
大量の荷物を抱え、二人は駅内のロッカーに辿り着く。
「ま、返すもの返せば解決するんだし。ここは最後まで付き合ってやれよ。それ、その子の大事な物なんじゃないのか?」
「そうだよなぁ…」
夕陽は深いため息を吐いた。
どうやら本当に代わってくれる気はないらしい。
荷物をロッカーにしまい、残りの荷物を手に笹島は財布をチラつかせる。
「さて、夕飯食って帰ろうぜ〜。今日は肉食うぞ」
「はいはい」
良い事もあれば悪い事もある。
確かにあの場で指抜きを拾ったのは自分だ。
返すなら自分…というのは筋が通っている。
どうやら本当にあの少女とまた会わなくてはならないようだ。
夕陽は指抜きをジャケットのポケットにしまい、力なく歩き出した。
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