第196話

「もしかしたら彼女が出来たのかもしれないなぁ…」


「はぁ?」



数日後。

久しぶりに笹島とタイミングが合い、社食で昼食を共にした夕陽は、笹島の不気味な発言に顔を顰め、カレーを口へ運ぶ手を止めた。



「出来たのかもしれないって、出来たんだろう?まさかお前、まだ出来たって自覚なかったのか?嘘だろ、付き合うって二人で宣言してどれくらい経つと思ってんだよ。それに相手にも失礼だぞ」



「いや、俺じゃないって!いくら永遠のピュアピュアボーイでもまだカレカノ自覚ないなんてないわー。ちゃんと真面目にお付き合いしてます。めっちゃ順調。…あ。そうじゃなくて、俺が言いたかったのは佐久間の事!」



「お前のどこがピュアピュアなんだよ…」



笹島は焦ったようにカツ丼を食べる手を止めて弁明する。

この時間の社食はピーク時からやや外れているので人数も疎らだ。


なので誰も二人の会話に耳を傾ける者もいないが、夕陽は笹島にやや声のトーンを下げるよう手で示す。



どうやら怜との仲は順調なようだ。

そうでなくては困る。


何せ二人が付き合うようになるまで結構大変な道のりだったのだから。


しかしそれ以上に夕陽を驚かせたのは佐久間の事だ。


彼女が出来たとはどういう事なのだろう。

佐久間は笹島同様、異性を前にするとパニクる典型的な奥手タイプだ。


それにずっと恋愛には興味がないと散々周囲にも言っていた。


その佐久間に彼女が出来たとは、もう一人の同僚の三輪にならわかるが、一体いつどういった経緯でそうなったのか気になるところだ。



「それにしても佐久間に彼女って……全くあり得ないとは思わないが、マジで言ってる?」



「マジだよ。だって最近あいつ変わったもん。それもいい方向に。仕事も率先して頑張ってるし。今までは終業しても周りに合わせるってか、気ぃ遣って中々帰るって言い出せなかったヤツがキッパリ定時で帰るし、やたらスマホのカレンダー見てニヤニヤしたり、定時になるとソワソワしたりして、あれで何もないのはおかしい」



「それ、後半のはまんまお前じゃん…」



「だからだよ。わかりみ深過ぎるからピンとくるの!」



笹島は唾を飛ばさんばかりに力説する。

それを夕陽はクールにハンカチで防御する。


確かにそう言われてみると最近の佐久間には夕陽も少し違和感を感じていた。


つい先日も休憩時間に夕陽が仕事の資料として個人的に取り寄せて読んでいたものに興味を示し、貸してくれと言ってきた。


夕陽としては佐久間も仕事にやる気と面白味を見出してきたのだろうと思い、快くそれを貸したのだが、そのやる気や熱意は恋人の存在があってこそだと考えると腑に落ちる。



「へぇ…。あいつもねぇ。しかしどこで知り合ったんだろうな。家と職場の往復な毎日で」



自分も人の事を言えたものではないのだが、つい考えてしまう。

夕陽の場合は笹島にライブに誘われなかったらなかった出会いだ。


佐久間にもそんな偶発的な出会いがあったのだろうか。



「そう、そこ気になるよな〜。でも今は聞かない方がいいよな。付き合いたてが大事な時期だし」



つい最近まで恋愛経験ゼロ勢に属していた男が、ドヤ感丸出しで経験者は語る的な口調が鼻につくが、一理あると夕陽も頷いた。


好奇心から下手に問い詰めて妙に拗れたら佐久間に申し訳ない。



「お前にしちゃ、大人に配慮じゃないか。確かにそうだな。もう少し見守っていた方がいいな。そのうち佐久間の方から何か言ってくるかもしれないし」



「おう。そだな。でもどんな子だろうな?上手くいくといいよな」



笹島は嬉しそうにカツ丼の残りを頬張った。



「あ、そうだ、夕陽。今日は久しぶりに飲みに行く?」



すると夕陽は済まなそうに片手を上げた。


最近みなみとの事で色々あって、全然飲みに行けてなかったので、そろそろ誘いを受けたいところだった。



「悪い。今日は定時で上がって手続きとか色々調べたり準備する事があるから無理なんだ」



「あ〜。そっかそか。いよいよなんだな」



「そういう事。取り敢えず今日は戸籍抄本とか印鑑の準備とか確認しておく」



「うわ、そういうのって学校とかで習わないから未知の世界だわ」



笹島はさも面倒そうに頭を抱える。

彼もゆくゆくは彼女との入籍を夢見ているのだろうか。



「お前もさぁ、今からでもいいから勉強しとけ。後々バタバタして困ったりしないように」



夕陽は面白そうに笑った。

いつか笹島のこんな相談に乗れたらいいなと心から思った。



       ☆☆☆




「あれ…夕陽のヤツ、出ないな。もしかしてまだ帰ってないのか」



夕刻。

佐久間は夕陽のマンションのエントランスで困ったように立ち尽くしていた。


会社で彼に借りた資料を返そうと思い、夕陽の姿を探したのだが、彼は定時で帰ったという。


仕方ないので彼のマンションまで来たのだが、インターフォンを鳴らしても全く応答がなかった。


どうやらまだ夕陽は帰宅していないらしい。



「参ったな。じゃあ明日渡すか…」



居ないのなら仕方ない。

佐久間は踵を返すと、ゆっくり歩き出そうとする。



「あれ、もしかして夕陽さんの同僚の人…だよね?」



不意にエントランスの中から可愛らしい女の子の声が佐久間へ掛けられた。


反射的に振り返った佐久間の瞳がこれ以上ないくらい見開かれる。



「え、あ、え?み…なみん…じゃなくて、夕陽の彼女さん?」



目の前には大きなサングラスにピンクのジャージ姿の小柄な女の子が立っていた。


彼女はチューブタイプのアイスをちゅーちゅー吸いながらこちらを不思議そうに眺めている。


忘れもしない、この間紹介されたトロピカルエースの永瀬みなみにそっくりな夕陽の彼女だった。

         











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