第247話「一番苦手なタイプ」

「……何見てるのよ。あっちに行ってよ」



目の前でバケツに向かい、ゲェゲェ吐いている女の子に薔薇は顔を引き攣らせながらも何とか声をかけた。



「いや、何か大変そうなトコ見ちゃったし、大丈夫かなって」



「近寄らないで!」



薔薇が一歩踏み出した瞬間、鋭い声が飛んできた。

そこで薔薇が気付く。



「男、苦手なの?それとも人間?」



「両方とも」




「あー。なるほど。そういう事ね。了解したわ」



「?」




薔薇はそう言うと、また店の中へ入り、何かを持って来た。

それは水の入ったペットボトルとミントのタブレット菓子だった。

薔薇はそれを女の子に近寄らないよう、離れた場所に置いた。




「とりま口、それで濯いだら?気持ち悪いっしょ。んじゃ、俺はこれで。バケツ、そのままにしていいよ。後で始末しとくから」




そう言って薔薇はまた店へと戻ろうとする。




「ちょっと……」



その背に声がかけられた。



「ん、何?」




「………りがと」




消え入りそうな声だったが、薔薇にはしっかり聞こえた。




「どういたしまして」




そう言って薔薇は今度は本当に店の中へ入った。

花屋の仕事は忙しい。

これから夜の客が増える時間帯に入る。


予約されたブーケを出して来ないとならないし、ホステスへの軽い手土産用のブーケも作り置きしておかないとならない。




「さて、さくさくやっちまうか」




薔薇は気合いを入れるように腕まくりをすると、早速ブーケ作りを再開した。




 

        ☆☆☆




「…何だよ。結局また撮影中に吐いたの?いや、それを責めるつもりはないけど、負担がデカそうだしやっぱ断ったら?」



数日前に退院したばかりの支倉翔は、スタジオで北河あづ紗のデビュー曲のレコーディングの調整をしていた。


そのあづ紗はマイクの前で項垂れるように頭を下げ俯いている。



「黙ってちゃ何もわからないんだけどー?おーい、あづ紗?」



「……仕事は辞めません」



「ふぅん。わかった。でも嫌なものは嫌なんだから、あまり無理は重ねない事。無理し続けるといつか爆発するぜ?」



「わかってます。もう今日はこれでいいですか?」



「本当にわかってんのかね…。あぁ。いいよ。帰って。お疲れ様」



翔はそう言うと、データのバックアップ作業を始めた。

ブースから出て来たあづ紗は翔の背中に問いかける。



「支倉さん、彼女出来たんですよね」



翔はびっくりした顔で振り返った。



「あっ?あぁ。珍しいな。あづ紗からそんな話題振ってくるなんて」



「今、幸せですか?」



「え?あー…ま…まぁ。そこそこな」




本当はめちゃくちゃ嬉しい。家に帰ると毎日彼女がいる生活は楽しいし、これ以上ないくらい幸せだ。


しかしあづ紗の手前、そんなガチ本音を言うわけにもいかず、翔はいくらかテンションを抑え気味に言った。



「そう…なんですか。それは良かったですね。おめでとうございます」



「ん。サンキュな。お前もさぁ、そういうヤツ…あ、いやスマン……」



「いいんです。お気遣いなく。どうせ私には無理ですから。ではお疲れ様でした」



あづ紗はそっと目を伏せたまま踵を返す。



「ふぅむ。あいつ顔は可愛いんだけどなぁ。問題はあの暗さ。どうにかならねぇかな」



翔はデビュー曲のジャケット用のスチールを眺めながらため息を吐いた。


何とかして彼女を売り出したい。それは上からも言われているだけに翔にとっても頭の痛い話だ。


ジャケット用の写真の向こうにいる北河あづ紗。その顔は笑顔なのに、どこか不安気に沈んでいた。




         ☆☆☆




スタジオから帰る最中、あづ紗は何度も足をもつれさせた。


手足は冷たくなり、呼吸も荒い。


支倉翔は口の割に威圧感はなく、あまり異性を感じさせる事はない。


加えて女性特有の細い顎とぱっちりした瞳に小振りな唇で見た目もほとんど女性といっていい。

更に話しても地声が高い為、違和感がない。

だから割と翔とは普通に会話は出来る。


だけどやはり翔は異性なのだ。

しかも最近、恋人が出来た事でより男の人だという認識が強まった。

それが余計に心に負荷をかける。



思えば昔から異性が苦手だった。

何故か過去、トラウマになる事があったわけでもないのに苦手だった。


女子とは普通に接する事が出来るのに、男子には酷い拒絶感を覚えた。


それは年齢を重ねる度に酷くなっていく一方で、異性に触れられると気持ち悪くなり、吐き気が込み上げる。


更に酷くなると意識が遠のいてしまう。



もしかして自分の心の有り様が認識する性と違うのではと検査もした事がある。


しかし結果は正常だった。

医師も思春期にはそういう時期もあるとかなり適当な事は言われた。


親や友人は揃って言った。

変に男の子を意識し過ぎるのだと。


本当にそうなのだろうか?


それ以降もそれは変わる事はなく、あづ紗はなるべく異性とは関わらないように生きてきた。


しかし周りはそんなあづ紗を置き去りにしてどんどん変化していく。


いつの間にか周りの友人たちは、すっかり女性らしい身体つきになり、恋人を作って楽しい毎日を送っている。


友人達で過ごす時間よりも恋人を優先するようになっていく。



あづ紗は次第に疎外感を覚えるようになっていた。


このまま自分だけ変わらないまま1人なんだろうかと。


そんなあづ紗を見て、心を痛めた母親が入れたのが知り合いが主催している劇団だった。

女性が多い事で有名で、色々な人に接する機会もある。


そこで少しずつ慣らしていけばいい。

そう言われて入った演劇の道だった。


最初は不安だったが、入ってみると思いの外楽しく、あづ紗はすぐに演技の楽しさにのめり込んでいく。


異性との絡みは苦手ではあったが、同性相手なら伸び伸びと演技する事が出来たし、そこに天性の才能を感じられた。



その内、あづ紗の演技を見た芸能プロダクションから声がかかり、あっという間にアイドルの支倉翔セルフプロデュースでのデビューが決まってしまった。


もう後戻りは出来ない。

これからはもっと多くの異性に接する機会が増えるだろう。


このままではいけないと一念発起して入った世界だ。


何としても頑張らないばならない。



あづ紗の足は知らずに今日行った撮影現場に来ていた。


その通り沿いにある花屋に視線を贈る。

白いシャツに黒いエプロンを付けた金髪の青年が店先で花の出し入れをしているのが見えた。



見るからにあづ紗が最も苦手とする男性像そのもので、遠目から見ても手足が震える。



「………」



しかしあづ紗は唾を飲み込むと、ゆっくり花屋へ向けて歩き出した。







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