第276話「幕間・ボクの心は誰にも染まらない」
「だからさぁ、何なの今のこの状態は」
喫茶店の一番奥まった席でピスタチオとクリームチーズテイストのカキ氷をスプーンでサクサク突き刺しながら睦月はサングラス越しに向かい側に座る鏡子を睨みつける。
数日前、紗里と一緒にいるところを彼女の姉の鏡子に見られてから後で個人的な話があると言われて別れたが、それから程なくして鏡子から連絡が入った。
正直彼女とは何も話す事はないし、彼女の職種上、あまり関わりになりたくはないのだが今回は仕方ない。
多分紗里は姉と折り合いがよくないようなので彼女の方から詳しく説明することはないだろう。
なのでこちらに来ることは予想済だ。
案の定。鏡子の方は瞳に静かな怒りを宿しながらも、興奮して声を荒げないよう気持ちを鎮めるため、コーヒーを一口啜る。
「どうもこうもないわ。貴方一体どういうつもりで妹に近付いたの?いつからよ」
敬語すらも忘れたのか鏡子は少し乱暴にコーヒーをソーサーに戻す。
睦月の方からしても現状が把握できていない。
なぜこうして詰問のような形で責められないとならないのだろうか。
別に自分は彼女に咎められるようなことは何もしていないはずだ。
「どういうつもりって、あの子とはただの友達だよ。それにあんたの妹って気付いたのは最近だし」
「信用できないわね。何が目的なの?妹は普通の高校生なの。貴方みたいな芸能人が相手をするような特別なものを持ってる子でもないでしょ」
その言い方にカチンときた。
睦月はサングラスを外すと凄味のある両眼を見開いて鏡子と視線を合わせる。
「特別なモンがなきゃ友達になれないなんてないんじゃないの?それとも僕たち芸能人は普通に生活している人と友達になる事は出来ないって言いたいの?」
「くっ…」
珍しく気の強い鏡子が怯んだ。
睦月は鼻を鳴らした。
「じゃあ、もう一つ。二人は付き合っているとかじゃないのよね?」
「はぁっ?何でそうなるの。さっきも言った通り友達だよ。それにあの子は僕を女の子のアイドルだと思ってるし、僕は誰にも恋愛感情持てない不適合者だし」
もういちいち弁明や説明をするのも疲れていたので、睦月は相手が記者だという事も除外してぶちまけてやった。
やはり鏡子の方はやや顔を引き攣らせて口をパクパクさせている。
まぁ、それでも仕方ない。
それが睦月なのだから。
今更生き方を変えるなんて出来ないのだから。
「い…今サラッと凄い事言ったわね。さすがの私もびっくりしたわ。いいの?そんな事言って」
「別にいいよ。性別の事はアウトだけどそっちは記事にしたって構わない。契約にはない事だしね。あんたの良心に任せるよ。だからそっちの件は安心して。それじゃ、僕は失礼するね」
「あっ、ちょっと待ちなさい!まだ聞きたい事が……」
これ以上彼女と話す事はないし、余計な情報も与えたくなかった。
睦月はさっさと立ち上がり、少し迷ったが二人分の代金を電子決済で済ませると店を出て行った。
今のは取材ではなくプライベートの話し合いという形なので支払う事にしたのだ。
「…ふぅ。色々生きにくい世の中だよなぁ」
店を出ると淀んだ空気から解放されて、新鮮な空気が肺に流れ込むような気がした。
睦月は深く息を吸い込む。
脳裏に鏡子の驚いた顔が浮かぶ。
彼女はきっと普通に恋をして普通に誰かを愛せる種類の人間なのだろう。
だから本当の意味で睦月を理解する事は出来ない。
それでも睦月は思う。
心に誰かの存在を許せるものがいるとしたら、それはどんな意味を持つのかと。
しかし経験がないのだから、思考はいつもそこまでで止まってしまう。
「はぁ。考えてたら腹減ってきた。どっかで何か食べてからレッスンでも行くか」
睦月はそう呟いてまた歩き出した。
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