第275話「重たい先輩のハナシ」
「え……いや。最初に言った通りただの旅行ですけど」
思い切り目が泳いでしまった。
ここはみなみの事を配慮して、あまり正直に言うのも良くない気がする。
試しにチラリと彼女の方を見てみたが、当の本人は何も考えていないのか、ケロっとした様子でステーキを口に運んでいる。
余程神経が図太いのか、何も考えていないのか…恐らく後者だろう。
「へーぇ。ふーん。そぉ。まぁ、別にいいけどね。お二人さんがどんな名目で旅行してんのなんて」
「あぅあぅあぅ…」
まるで何もかもお見通しとでも言いたげに翔はニヤニヤ笑いをやめない。
尋問でも受けているかのような、生きた心地がしない時間が過ぎ去った。
「ははははっ。ゴメン。意地悪し過ぎた。そこら辺は僕も察してるんで。別に誰かに漏らしたりしないよ」
「………スミマセン」
「あー、そうだった。ねぇ翔サマ、聞いて♡私達ねぇ、結婚するんですよ。今は婚前旅行なんです」
「!」×2
夕陽は思わず口に含んだ水を吹き出しそうになった。
横を見ると翔も同様で小刻みに肩を振るわせている。
「さっきまでの俺の努力、水に流さないでくれる?」
「いやぁ、マジでいいよね。永瀬さん。大丈夫。ここ個室だし誰も聞いてないよ。それに僕も同業だからね。そこは信用して」
翔は涙を滲ませながらまだ笑っている。
夕陽はただ憎々しげに隣のパートナーを睨む。
「ゴメンって夕陽さん。つい幸せだなって思ったら出ちゃったっていうか」
「マジで頼むから気をつけろよ。今の身バレした状態で聞かれてたら終わってたわ」
今このタイミングで二人の関係が世間にバレては大変である。
彼女の事務所の社長にもそれは言われていた事だけに夕陽としては冷や汗ものだ。
それを察した翔は笑みを浮かべる
「真鍋くんもそんな力入れなくても大丈夫だよ。まぁ、さっきも言った通り察してたっつーか、二人を見た時から何となくそうなんじゃないかなって思ってたよ。だからそんな深刻な顔しなくていいよ。ま、改めておめでとう。式は挙げんの?それとも入籍だけ?」
「は…はぁ、最初は入籍だけのつもりでしたけど、一応式は挙げる事になりました。まぁ身内だけの小さなものですが」
少し落ち着いた夕陽はグラスの水を一口煽った。
「へぇ。そっか。いいじゃん。いい思い出になるから規模に関わらず挙げた方がいいと思うよ。でもさぁ、永瀬さん確かまだ二十歳そこそこだよね?」
「ええ、そうですよ。もしかして翔サマ現役アイドルの結婚は反対なんですか?」
「いやいや、まさか。キミさ僕の事、芸能界の重鎮みたいに思ってない?僕には後輩や教え子の生き方に意見するほどの発言力ないから。僕が思ったのはさ、何か凄いなって思ったんだ。僕なんてその歳くらいの時は恥ずかしい話、異性が怖いって思ってたし、生きるのに必死過ぎて結婚なんて考えた事もなかったわ」
翔は軽く息を吐いた。
その当時の翔は実家を出て、親の庇護なしで生きていかないとと気を張っていた時期だった。
その頑張りが今に繋がる事になったのだから良かったが、あのままどうにもならなかったら一体どうなっていたのだろう。
「えー、意外ですね。翔サマはカッコいいからずっとモテモテ街道ドヤ顔で歩いてるイメージなのに。私はただ単純に夕陽さんを逃したくないって思ったからですかね。ここでガッチリ捕獲しておかないと絶対一生悔やみます。他の女の子になんて渡すものですか!」
「みなみ…」
何故か拳を握って熱く語り出したみなみに夕陽は若干引きながらも内心では感心していた。
「うぉっ、ど直球な惚気。カレシくんいいなぁ。この勢いで歌手デビューしてみない?」
「やめてくださいよ。それにどさくさに紛れてスカウトしないでください」
翔はまだ夕陽のデビューを諦めていないのだろうか。
その冗談とも本気ともわからない飄々とした態度からは真意は中々はかれない。
「そっかそっか。それは残念。でも逃したくないか…いいな。そういうストレートなの」
「あれ、翔サマは結婚しないんですか?」
心底羨ましそうに二人を見る翔に、みなみは彼と交際中の陽菜の事を思い出す。
すると翔は少し曖昧に眉を寄せた。
「うーん。今はないかな」
「えー、どうしてですか?お似合いのカップルなのに」
「ははは。それはありがとう。でもな、まだ付き合ったばかりだし。それに今は僕たちの場合、多分どちらからプロポーズしても断ると思うな」
「それはどういった意味ですか?」
夕陽はコーヒーカップをソーサーに戻し、翔の方を見た。
「うーん。つまり僕から結婚しようと言っても向こうは断るだろうし、向こうから結婚しようと言っても僕は断る。そんな感じ」
「わかんないなぁ。それってどっちも結婚する気はないって事ですか?」
みなみはむくれた顔でステーキ肉を頬張った。
よくこんな話題の中、まだ平然と食えたものだと隣の夕陽は心の中でため息を吐いた。
「ま、そういう事だね。大きな理由は「仕事」だな。これはこれから結婚しようとしている君たちに言うのは躊躇うんだけど…」
翔は少し言いにくそうにみなみの方を見ている。
しかしみなみは強く頷いた。
「大丈夫です。言ってください」
「OK。まぁ、アイドルっていうコンテンツ……プロジェクトは大体大まかな一定の収益が取れたら終了になる。その期間は大体2、3年ってところだな。後は卒業という形で解体し、それぞれの分野で活動する事になっていく。だからアイドルは活動中に身の振り方を常に意識していかなくてはならないんだ。それは何となく永瀬さんも聞いてない?」
「……うーん。よくわからないですけど、早乙女さんはそんな事をよく言ってたようなないような?」
怜はリーダーの森さらさより仕事に対する熱意が強い。
だから常々みなみやエナに言っていた。
トロピカルエースに在籍している間に一つでも得意な事、興味のある事、やりたい事をみつけなさいと。
それは今後、絶対自分の力になるからと。
あれはもしかしたら今翔が言っていた事と同じ事なのかもしれない。
「あの……じゃあ、近いうちにトロエーはなくなっちゃうって事ですか?だから今のうちに次の事を考えろって」
みなみは恐る恐る翔の反応を窺うように口を開いた。
それを認めるのは彼女にとっては辛い事なのだろう。
「うーん。トロピカルエースがそのモデルに当てはまるアイドルプロジェクトなのかまではわからないけど、そうなる前に備えておくものだよ。それが陽菜にはまだないからね。だからこの時点で結婚は選べないんだろう。早乙女莉奈も同じく模索してるんだろうね。だからあの決断を選んだんだろうし」
「えっ…」
思わず夕陽は声を上げる。
同時に浮かんだのは笹島の顔だった。
怜は今後の将来を考えて笹島と別れたという事なのだろうか。
「あー。自分から話出して申し訳ないけどササニシキの話は直接本人から聞いた方がいいよ。僕からはその件についてもう何も話せない。ただあの二人の間ではもう話は着いたみたいだよ」
「…そうなんですか」
夕陽は沈んだトーンで頷いた。
あんなに憧れて好きだったアイドルと想いが通じたのだ。
それをどうして手放したのだろう。
将来の事なら二人で一緒に考えたらいいのに…そんな思いが喉元まで出かかった。
だけど言えなかった。
きっと笹島と怜にしかわからない事情があるんだろう。
それは夕陽には関われないし、関わって欲しくないのかもしれない。
「ま。僕の話に戻すとね、僕も僕でまだやりたい事はある。映画音楽をやってみたいんだよね。今はその為に色々な映画監督やスタッフさんと仲良くして顔を覚えてもらってんの。これはオフレコだけどさ、数人にはもう音源のサンプルも受け取ってもらってる」
「わぁ。翔サマ、凄いじゃないですか。私も何か考えないとダメかなぁ。でもどうしよう。何が得意かって言われても歌もダンスもイマイチパッとしないし」
みなみは肘をつき、ため息を吐いた。
彼女は結婚後もこの業界にいるつもりなのだろう。
それははっきり彼女の口から聞かなくてもわかっていた。
すると翔がみなみに笑顔を向ける。
「永瀬さんはさ、僕が思うに役者に向いてると思うな。去年の舞台見に行ったんだけど、良かったよ。もっと磨けばきっと輝くんじゃない?」
「えー、私お芝居なんて向いてるのかなぁ。どの現場も必死で自分に向いてるかなんて考える余裕なかったです」
みなみが役者に向いている。
それは自分でも思ってもなかったようで、ただ彼女は目を見開いている。
夕陽としてもそれは意外だった。
確かに彼女は歌もダンスもグループ内ではそれ程光るものはない。
これは天性の才能みたいなものもあるが、彼女には不向きだと夕陽も思っていた。
だが演技はどうだろう。
以前テレビドラマシリーズに出演していた時、端役ではあったが、彼女は主人公の友人役を自然な演技でこなしていた。
それをテレビで見ていた夕陽はその演技を上手いと思ったからだ。
だから翔が今言った言葉は本物かもしれない。
「大丈夫だよ。そんな焦らなくても。ゆっくり考えなよ。ただそうは言ってもアイドルの子たちは常にアンテナを張ってるよ。卒業後にどうするかを。ソロのシンガーになるか、役者やバラエティーに転身するか、結婚して引退するか…さ。漠然としたものでもいいから、少しでも考えておくといいよ」
そこまで言うと翔は「以上、重たい先輩のハナシは終わり!」と言って、更に肉を追加オーダーし始めた。
夕陽はみなみの方をチラリと見た。
彼女は何か真剣な顔で手元を見つめていて、夕陽の視線には気付く事はなかった。
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