第277話

北海道旅行も3日目になった。


休養期間のみなみはいいのだが、夕陽の仕事の都合上、明日には東京へ帰らないとならない。


予定していたものより短い旅行となったが、二人きりでそれなりに楽しい時間を過ごしたと言えるだろう。



「ハイ。夕陽さん、あーん♡」



「ちょっと待て。せめてカニの殻は外せよな。流血沙汰になるだろうが!」



二条市場の海鮮を扱う店で、大振りのタラバガニの足を箸で持ち上げ、めっちゃいい笑顔でみなみが夕陽に「あーん♡」を促す。


アイドルとこんなシチュエーションを味わえるなんて夢のようなイベントには違いないが、箸に挟まれたカニの足の先端は鋭く、凶器じみた光を発している。


はっきり言ってこれほど命の危機を感じる「あーん♡」はない。



「だって私だって食べやすいよう殻外すつもりだったけど痛くて」



「だから無理するなよ。俺がやるから」



夕陽はみなみからカニを奪うと、慣れた手つきでハサミを駆使して殻から綺麗に身を取り出す。


それを見たみなみはやや唇を窄める。



「そこは男気出して流血も厭わずあーんして欲しかったなぁ」



「悪いな。俺、笹島じゃないからそんなサイコパスな奇行という名の男気出せないわ」



「うわっ、笹島さんなら絶対やりそう」



口中血まみれにして幸せそうにカニを頬張る笹島を想像したのか、みなみはやや顔を引き攣らせる。


その時、ちょうど店に入ってきた観光客と思しい若い女性グループがこちらをチラチラ見ている事に気付いた。


即座に夕陽の表情が硬くなる。


一応みなみはメイクを薄めにし、更に目深に被ったキャップと黒縁メガネで顔の印象を付きにくくしているのでパッと見にはアイドルの永瀬みなみだとわからないはずだ。


だがファンならどうだろう。

もしかしたら少ない露出パーツから割り出してしまうかもしれない。


結婚発表前に二人の関係が公になる事だけは絶対に避けなくてはならない。


夕陽はコッソリ耳打ちするようにみなみに顔を寄せる。



(そろそろ出ないか?顔バレする前に)



「へーき、へーき。気付かないって。今の私、全然芸能人オーラ遮断してるし。誰も気付くわけないよ」



「いや、それはそれでお前の自己肯定感低過ぎてこっちまで悲しくなってくるんだが…」


仮にも今、人気絶頂とまで言われているアイドルグループのメンバーなはずだ。

本当にコレがそうなのかと、夕陽は今でも疑っているくらい彼女は自然体でいる。


当のみなみはまだ平然とした顔で炙ったタラバガニに齧り付き、幸せそうに口をもむもむしている。


リスかハムスターのようなヤツめ。



そうこうしているうちに先程の女性達がこちらに近寄ってきた。

はっきり言ってピンチだ。バレたら終わりだ。

夕陽の顔が強張る。


しかし女性たちは夕陽の方を見て、すぐに奥の方の席へ移動してしまった。



「ねぇ、さっきの人めっちゃイケメンじゃない?」



「そーそーそー!ユウカもそう思った?あたしもそう思った。ねぇ〜。すっごくカッコいい。顔面国宝かよ」



女性たちはなおもチラチラ夕陽だけを盗み見して盛り上がっている。



どうやら彼女たちの興味の対象は夕陽だったらしい。

夕陽は脱力したように肩を落とした。

するとみなみは何故かこちらにグッジョブ!とサムズアップしている。



「いや、お前は本来ならそこでヘコむところじゃないのか?」



「え、何で?かれぴカッコよくて何でヘコむ必要が?」



「……お前の生態謎過ぎて今でもよくわからんな。ほら、これ以上目立つわけには行かないから出るぞ」



まだカニに未練はあったが、二人は店を出る事にした。



「あ〜ぁ。カニは美味しかったし、かれぴはカッコよだし最高の旅行だよね。夕陽さん♡」



「はぁ…疲れる」



夕陽は心底疲れた顔で腕を絡めてくるみなみを横目にため息を吐いた。

その時だった。

通りがかったカフェの窓際席に支倉翔と笹島が向かい合わせで座っているのが視界に入ったのは。



「あれ、支倉さんに笹島じゃん。まだ帰ってなかったんだ」



「ホントだ!別れ話かな?ワクワク」



「気色悪い事言うなよ。それに他人の別れ話にワクワクすんな!それより雰囲気的に何か取り込み中みたいだから行こうぜ」



二人は深刻そうな顔で話をしている様子だ。

これはそっとしておいた方がいい雰囲気だ。

夕陽は察してみなみを促そうと肩を掴もうと手を伸ばしたのだが、その手は空をきる。



「は?おい、みなみ?」



「ゴメン。夕陽さん。私あのお店に忘れ物しちゃったみたい。取りに行って来るね」



両手を合わせ、みなみはそう言うと笹島たちのいる店へ入って行った。



「おいっ!何だよその支離滅裂な言い訳!まだ入ってない店でどうやったら忘れ物出来るんだお前は」



こうして夕陽はまた支離滅裂で自己肯定感ゼロの彼女に巻き込まれるのだった。










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