第278話
「はぁ……アレは流石に記事には出来ないかぁ」
英鏡子は職場の雑多な小物類で占領されたデスクの上に突っ伏し頭を抱えた。
それを見た編集長の小田は両手に持っていたカップの一つを鏡子に差し出し横に立つ。
「何だ煮詰まってるようだな?」
「そんな段階までいってませんよ。それ以前にまだ材料すら鍋の中に入っちゃいません」
「ほほう、まぁそうだろうな。睦月は事務所の規制が厳しくて手を出すにはかなりリスクが高い」
それは鏡子が最初に睦月の取材をやりたいと打診してきた時に何度も織田から言われていた事だ。
ミステリアスでキュートな睦月は世間の注目度が高い。
そこで小田は睦月の性別には触れず、まだ知られざる魅力を深堀りするような内容の記事を書く事を許可したのだ。
しかし蓋を開けてみれば鏡子は暴走し、上がってきた記事はどれも使い物にならない始末。
小田としてもこれは頭が痛くなる案件だった。
今度は一体睦月と何があったのやら。
もし向こうの事務所が何か言ってきたらまた頭痛のタネになる。
小田は苦笑いを浮かべてコーヒーを口にした。
あの日、睦月にあっさり逃げられた鏡子は半分泣きつくような形で小田を見上げる。
コーヒーを飲みながらこちらを脂下がった目で見下ろす小田の憎たらしい無精髭にちらほらと白髪が混じっているのを発見した。
「そこを何とか切り開きたいんですよ。私は。皆だって気になるじゃないですか」
実は睦月の性別に関してはこの業界内では半分暗黙の了解のような扱いで、それを公の形で公開する事は止められている。
これは彼の所属事務所のパワーバランスの問題だけではなく様々な利権が絡んでくるので少々デリケートに扱わねばならない。
つまり睦月の性別が明らかになる事で人気に影響が出たとなると彼とスポンサー契約している企業等にも波及していき、経済にまで影響してくる懸念がある。
なので大体の同業者は睦月に手を出さない。
そこに鏡子は切り込んでいこうとしているのだから小田としても頭を悩ませていた。
「まぁ気持ちはわかるが、この問題はもうちょい時間が経てばいずれ公表されるだろうからウチが今そのリスクを犯す必要はない。わかるな?」
「だったら私はどうしたらいいんですか?」
「うーん。そうだなぁ。俺としちゃまた巷で美味いちょい呑みグルメに戻ってもいいと思ってはいるが……あ、そうだ!英。お前さ、木屋町隼は知ってるな?」
「ちょい呑みグルメ」とは以前鏡子が担当していたコラムだ。
食べる事が好きな鏡子が入社時から担当していた企画で、コラムはまだ存続しているのだが今は別の記者が引き継いでいる。
だがまたそこに戻る気にはなれなかった。
それより今はもっとアクティブに動きたい。
小田もそれはわかっているようで少し考えるように視線を泳がせる。
「木屋町隼……ですか?あのプロ野球選手から俳優に転向した。あ、確か春に体調の問題で休業してますよね」
「おお。知ってたか。まぁそうだよな。で、その木屋町に重病説があるのは知ってるか?」
「いえ、それは知りませんでした。つい最近まで映画にも出ていたようでしたのでそんな悪いとは…。でも彼、まだ若いですよね」
元プロ野球選手でその年のドラフトの鍵を握るルーキーとして注目され、激しい争奪戦の上プロ入りするも、僅か入団3年目に肩の負傷で引退し、その後は整った顔立ちと素人離れした演技力を買われ俳優に転向。幅広い層の女性ファンが多い。
確か年齢も28歳の鏡子より二つ下くらいなはずだ。
何か現役時代の無理が今になって出てきたのだろうか。
気になってスマホでネット記事を漁るも具体的な病名は出ていない。
「うん。どうもその辺りははっきりしないんだが、一説によると鬱病じゃないかって言われてるな。しかし重病というのも気になる。英にはその辺りの詳細を取材してきてもらいたいんだ。実際記事に出来るかはこちらで判断する」
「わかりました。では睦月さんの方は一時保留にしてこちらを調べてみますね」
「あぁ。頼むよ。何かあれば人を増やしても構わない」
「はいっ!」
鏡子は張り切って立ち上がると、デスクの上に出しっ放しにしてあるタブレット端末を片手に奥の資料室へ走って行った。
小田は確認するように頷くと自分のデスクへ戻る。
思えばこの編集室も人がかなり減った。
もう紙の週刊誌の役割は大方終わったと言えるのかもしれない。
しかしこうして熱心に自分の足で仕事を掴もうとする鏡子を見ていると自分ももう少しだけ頑張ってみようと思うのだ。
ここから新章入ります
タイトル回収と同時進行に女性記者と俳優のエピソードと笹島のマネージャー初業務が入る感じですかね。
笹島の方はコテコテベタベタな昭和平成の芸能界での奮闘記みたいなのを組んでます
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