第215話

時間はやや巻き戻る。

陽菜たちがみなみたちと出会う一時間ほど前。



「やべぇくらい入ってんな。客層から見てこれは、身バレする確率高いな」



陽菜を送る途中にあった適当な牛丼チェーン店へ入った翔は思わず顔を顰めた。

中は時間帯のせいか、比較的若めの客で賑わっている。


こんな中にトロピカルエースの喜多浦陽菜と人気アイドルの支倉翔が仲良く入るのは危険な行為だ。



「店変えっかなぁ。でも牛丼の口になってんだよなぁ……」



翔は軽く舌打ちする。



「だったらテイクアウトしましょうよ。で、そこのベンチで食べません?大丈夫ですよ。こんなベンチでご飯食べてる人になんて誰も注目しないです」



陽菜が指差したのは、牛丼屋の反対側にある公園だった。



「まぁ、辺りも暗くなってきてるし、それでいくか。じゃあちょい買って来る。お前は車で待ってろ」



「はーい♡待ってまーす」



陽菜は嬉しそうに助手席から手を振っている。

翔はそれを見て呆れたように笑った。



      

        ☆☆☆




「あー、こんなジャンクな食べ物久しぶりに食べました」



「やっば、いつ食っても美味いわ。そっちはいつもは節制してんの?」



翔は大盛りの牛丼をかき込みながらサングラス越しに陽菜を見る。

翔も小柄なわりにかなり大食漢な自覚はあるが、陽菜も相当なものだ。


鰻丼にカレーと牛丼まで食べている。



「全然。その分動けばいいと思ってるし、その前にご飯は美味しく食べたいかなって」



「ま、それもそうだな。しっかり食う奴は好きだぞ」



「す…好き?」



陽菜が米粒だらけの口で丼から顔を上げる。

すると笑いながら翔がそれを取ってくれた。



「お前がじゃなくて、食べる奴な?」



「ですよねー。恋愛禁止でしたっけ?そっちの事務所」



「は?何だそれ。その昭和か平成みたいなルールは。別にそんな事までウチの事務所は口出したりしねーよ。ただ、僕は親の仕事の関係でヘタな奴と付き合えないってだけで、前は付き合ってた彼女もいたし」



「えーっ、難攻不落のキュン死アイドル支倉翔に彼女がいたの?」



「なんだそれは。人を何だと思ってんだよ。別に僕だってプライベートは他の同世代とそう変わらない。普通の生活を送っているんだ」



「そ…そうなんだ。いつもキラキラしてると思ってた」



「自分だってプライベートじゃ鰻丼に牛丼、カレーまで食ってるアイドルだろ」



「うぐっ…そっ…それは確かに」



すると翔が一瞬黙り込んで、じっとこちらを見てきた。



「…蓮?あの……どうかした?」



「いや、お前さぁ。僕の事、好きなの?」



サングラス越しに探るような瞳がこちらをじっと見つめてくる。

多分、彼のファンなら一瞬で我を忘れてしまうくらい幸せな気分になるだろう。


美男美女を見る機会の多い芸能界に身を置く陽菜でさえ、今の彼の台詞と甘い瞳には心を揺さぶられた。


しかし陽菜の口から出てきたのは、自分の本心とは全く別のものだった。



「あ…、そんなわけないじゃないですか。私はただ、蓮を先輩として尊敬しているだけです。それに私は一十…秋海棠先生の側を離れる事は出来ないから」



「秋海棠って、トロピカルエースのプロデューサーの?」



不意に翔の顔が曇った。



「はい…」



陽菜は静かに頷く。



「へぇ…。お前、秋海棠一十の女だったの」



その声には棘があった。

その棘が陽菜の心を深く抉っていく。



「それは違います。ずっと私の片思い。あの人はそれでもただ側に置いてくれているだけで…」



「それって、ただの都合のいい女だろ」



翔は吐き捨てるように言った。

陽菜は冷水を浴びせられたように固まる。


確かに翔の言うとおりかもしれない。

一十が陽菜を受け入れる可能性はゼロだ。


最初から勝てない勝負に挑んでいるようなものだ。


一十は音楽と引き換えに自分自身を売った。

彼はそれくらいの覚悟でこの場所にいる。


その強い覚悟の前に、甘い自分はまだズルズルと彼に縋り付いている。


彼の身の回りの世話をするという大義名分で。


本当に自分はただの都合のいい女だ。



「私は……」



陽菜が何か言いかけた時だった。



「えーえーえー!?」



突然こちらを見て叫ぶ声が聞こえた。

陽菜たちは一瞬身バレしたかと思ったが、違った。



「何でここに陽菜ちがいんの?それに翔ちゃんまで…」



急に姿を見せたのは永瀬みなみだった。

デート中だったのか、後ろには恋人の真鍋夕陽もいる。



「何ではこっちの台詞だよ。みなみこそどうしたの?」



陽菜は声のボリュームを抑えてみなみの手を引いた。



「えへへ…夕陽さんとデートしてた♡楽しかったよ。それよりダンスの先生が陽菜ちは体調不良だって言ってたのに、大丈夫なん?翔ちゃんと一緒にいるのも超気になるんだけど」



その時、翔がベンチから立ち上がった。



「こんばんは。永瀬さん。喜多浦さんとは偶然ここで会っただけなんだ。僕、これから外せない用事があって、もし良ければ彼女、送ってくれない?体調不良なのは本当なようなんだ♡」



翔はとびきりの営業スマイルで微笑む。



「はわわわっ、翔サマ♡もっ…勿論です!いいよね?夕陽さん」



「あぁ、構わないよ。体調不良って大丈夫ですか?」



それを聞いた夕陽も心配そうに寄って来た。



「永瀬さんの彼氏かな?ゴメンね。デート中なのに。じゃあ僕は行くね」



翔はみなみたちにそう言って詫びると、陽菜の方を見もせずに走り去って行った。



「…………」



「陽菜ち?」



それを呆然とした様子で見送る陽菜の顔色は紙のように真っ白だ。



「おい、みなみ。早く送ろう。彼女、マジで体調悪そうだぞ」



それを見た夕陽が更に心配そうに陽菜を見る。



「う…うん。そだね。翔ちゃんに舞い上がってる場合じゃないよね。陽菜ち……?」



みなみが陽菜の手を取ろうとした時だった。



「うわぁぁぁぁぁん」



突然、陽菜が泣き出し、みなみに抱きついた。



「ど…どうしたの?どこか痛いの?陽菜ち」



涙は止まらず、ただ陽菜はどうしていいかわからず、みなみに縋り付いて泣いた。


本当に忘れられない一日になった。












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