第167話「旅立ちを決めた朝に•前編」
早朝の空港はいつものビジネス客に混じり、ちょうど年末へ向けての旅行や帰省を目的とした客層で賑わっていた。
そんな軽い混雑と喧騒の中、真っ赤なスーツケースを引いたサングラスにロングコート姿の若い女性が颯爽と横切った。
その立ち姿はスッと背筋が通り、まるでモデルのような雰囲気を漂わせ、すれ違う通行人たちは無意識に一様に振り返り、彼女を目で追った。
彼女はその視線すら気にする事もなく、真っ直ぐ搭乗ゲートへと向かう。
するとそこには彼女と同じく旅装姿の女性が立っていた。
細身のシルエットで、目深に被った帽子から艶やかな黒髪のサイドに鮮やかな赤のメッシュがチラリと覗く。
女性は彼女のスーツケースを視界に入れると満足そうな顔で頷くと、ようやく口を開いた。
「巳波。やっぱり来てくれたのね」
巳波…永瀬みなみはゆっくりと顔を上げた。
そしてサングラスを外すと、それを折りたたみ、コートの内ポケットへ仕舞う。
薄くメイクをしただけのみなみは、顔色も紙のように白く、整った顔立ちのせいで余計人形のように見えた。
そのみなみは、嬉しそうな顔をしている女性、野崎詩織を見るとようやく口を開いた。
「おはよう。詩織。今日は晴れて良かったね」
「ええ、そうね。あたし達の新しい門出にピッタリ」
詩織は満面の笑みを浮かべる。
その笑みには絶対的な自信のような余裕が見て取れる。
今日、二人は揃って故郷、熊本へ帰る。
これからは二人きりの楽しい時間が待っている。
そう考えるだけで、詩織の中では沸々と幸福感が湧いてきた。
しかしみなみの表情は硬いままで、幸福感の欠片も感じられない。
そんな表情のまま、みなみはゆっくりと口を開いた。
「門出?「あたし達」の?言っておくけど、私は詩織を見送りに来ただけだよ」
「はっ?何なのそれ……」
詩織は満面の笑みから大きく表情を歪ませた。
「だから言葉のままだよ。私は詩織と帰らない。だから見送りに来たの」
「ちょっと意味わからないんだけど?大体そのスーツケースは何なの?」
詩織は不快感を露わにみなみへ迫る。
その顔色は紙のように白い。
「これは故郷へ帰るあなたへの餞別。…ゴメンね。詩織。私はきっと何と引き換えにしても夕陽さんを取るよ。あの人より大事なものは今の私にはないから」
「それってアイドルを引き換えにしてもって事?」
みなみは静かに頷く。
「うん。そうだよ。あの人を失う事に比べたら全然平気だもん」
それを聞いた詩織はフッと笑った。
「相変わらずバカだよね。巳波は……」
「ん…。わかってる」
するとみなみの浮かべた笑みを見て、詩織は表情を消し、黙って右手を振り上げた。
その手は容赦なくみなみの頬に下ろされようとしている。
しかしその手は急に伸びて来た力強い手によって遮られた。
「紘太…」
「限竜さん……そこで待っててって言ったのに」
2人を遮って現れたのは限竜だった。
限竜は厳しい顔つきで詩織を睨みつける。
「ゴメンなさいね。でもどうしても我慢がならなかったのよ。特にこのワガママ娘にはね」
限竜は軽いため息を吐いて詩織の手を離した。
「少し……話しましょうか」
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