第288話「アイドルと結婚する一般男性とは」

「あぁ、そうだった。真鍋。ちょっといいか?」



「えっ?はいなんでしょう」



北海道旅行から帰ってすぐの月曜日。

いつも通り出社すると、上司が声をかけてきた。


夕陽は作成途中だった企画をファイルに保存してから上司の席へ移動した。

するとすぐに鮮やかな水引で彩られた封筒が手渡される。



「なんですか、これ…」




「なんですかって。ご祝儀だよ。ウチの部からのな。あれ、確か今週の末って言ってたよな?結婚式」



そう言われてようやく夕陽は「あっ」と声をあげた。

確か人事部と上司には結婚する事だけは告げていた。

結婚相手の都合上、あまり大事にはしたくなかったので社内の人間には言わないようにしていたのだ。


しかし上司のすぐ横のカレンダーには「真鍋結婚式」と赤いマーカーで書かれていた。

ご丁寧にその文字をハートで囲われている。

恥ずかしい事この上ない。



祝い事や祭り事になると生き生きする上司が書いたものだろう。

すると当然皆、知っている事になる。

だからといってこんなものを貰えるとは思わなかった。



「ええ…まぁ合ってます。ですがこれは…」



「いいって。受け取ってくれ。ほんの気持ちだから。お前さん、式だけで披露宴もやらないって言ってたから、せめてこのくらいは祝わせて欲しい」



そう言って上司は夕陽の手に封筒を握らせる。

視線を感じて周りを見渡すと、部署の皆が全員立ち上がって拍手をしてくれた。

本当にここの部署の皆は付き合いが良くていい人たちばかりだ。

少々照れくさいが、夕陽はありがたく受け取った。



「ありがとうございます。では遠慮なく受け取らせていただきます」



「あぁ。幸せになれよ?実はさ、ウチは新婚旅行もだけど式すら挙げてないんだよ。当時はまだ二人とも若くて金がなくてなぁ。それを思いだしたんだよ」



「そうなんですか」




別に自分たちはお金がなくて披露宴をしないわけではないのだが。

上司はその件で今でも奥さんに対し負い目があるらしい。




「笹島もいなくなったし、真鍋も色々寂しいんじゃないかと思ったが、結婚するならそんな思いしなくていいよな」



「あはは。何ですかそれ。別に寂しくなんてないですよ」



そういえば笹島はこの会社を辞めてしまったのだ。


彼の座っていたデスクを見ると、すっかり片付けられていてガランとしていた。

いつも賑やかな彼がいないと、やはりしばらくの間は物足りないと思うのかもしれない。




「でも確かお前たちは学生時代から一緒だったんだろう?珍しいよな。まぁ、こっちも一応引き留めはしたんだぞ?ただのアイドル好きだと思っていたがまさかここまでの決断をするとはなぁ。恐れ入ったよ」



しみじみと上司は腕を組む。

笹島のアイドル好きは部署内でも有名で、彼もそれを隠そうともしていなかった。

それだけに今回の件は衝撃が走った。



「最初は驚きましたが、今では応援してますよ」



一体どういった経緯で支倉翔とそこまで仲良くなったのか、今でも詳しい事はよくわからないが、チャンスがあるなら飛び込みたいという気持ちは夕陽にもわかる。



「まぁ、話は以上だ。しかし、その内笹島のヤツ、今度はアイドルと結婚とか言い出しそうだな」



「ぶはっ…」



夕陽は盛大にコケた。


全くシャレにならない。

ヒヤヒヤさせないで欲しい。

自分はこれからそのアイドルと結婚するのだ。



しかし結婚後は色々手続きもあるので、人事部を含め上司にもある程度事情を話さなくてはならないだろう。



それを考えると夕陽は少し気が重かった。



(世の中のアイドルと結婚した一般男性や一般女性はどんな風に会社や友人たちにその事実を伝えたんだろうな)



何度もそんな事を考えながら、夕陽は祝儀袋をじっと見つめた。

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