第224話

「夕陽さん、私もやっぱ料理とか習った方がいいかな」



ダイニングでジャガイモの皮剥きと芽をくり抜く作業をする夕陽を眺めながら、みなみがそう聞いてきた。


今日はカレーを作るようだ。


出来上がったら隣にいるみなみの母親と一緒に食べる予定なので、いつもより分量は多めである。



「いいよ。別にそんなの意識してやる事はないって思う」



「えー、本当に?でもこのままじゃ、私何も出来ないままで結婚しちゃうじゃん。ただの可愛いアイドル妻だけじゃさすがにダメじゃない?」



夕陽は頬を引き攣らせてジャガイモをボールに置いた。



「可愛いって自分で言うな。……俺も考えたんだけどな。家事はさ…一緒にやろう。なにも出来ないままにするんじゃなく、一緒にやっていく中で覚えたらいい。まぁ、出来た方がいいとは思うけど、それじゃあ最初から何でも出来る人間しか結婚する資格がないみたいになるだろ?それに男だから外で働いて、女だから家事や育児をしなくちゃならないとか、そういうのも俺たちはやめよう?」



「夕陽さん…」



「家族になるんだから、何をやるにも一緒にやっていこう。ゆっくり覚えていけばいいんだ。役割なんて考えず自由にやればいい」



夕陽は下拵えをした野菜を見た。



「まぁ、最初は全部俺がやればいいかと思ったけど、何かを任せきりにしてしまうとずっと甘えっぱなしになるよな。それだと後からどっちかに何かあった時、何も出来なくなるのはマズい。ウチの親父なんてその最たるもんだ。母親が一回虫垂炎で入院した時、自分で何も出来ないもんだから大変だったんだぞ?」



夕陽の父親は妻に全てお任せコースという典型的な夫だった。


だから肝心な時に妻がいないとロクに自分の世話すら出来なくて周りに多大な迷惑をかけた。


それを夕陽は見てきたので、そうはなりたくないと、日頃から自分の事は自分で出来るようにしてきたつもりだ。



夕陽はみなみの手を握った。



「だから、そのままのみなみでいいんだ。何も気負う必要はない」



「うん。わかった。でもウチのお母さんがうるさいんだよねー。一通りの事が出来ないと嫁として出せないって」



みなみはそう言って唇を尖らせる。

これは家で相当言われているに違いない。



「心配なんだろ。大丈夫だって言ってやれ」



「ん…。夕陽さんは甘々だねぇ」



みなみは夕陽の手を自分の頬へ導く。

滑らかな感触が掌に伝わる。



「甘やかして逃げられないようにする為、こっちも必死なんだよ」



「うわっ、何それ怖いんですけど」




結婚式を控えた二人は幸せそうに笑い合う。

秋にはいよいよ二人の新たな生活がスタートする。




         ☆☆☆




「あれ、醤油だと思ったら黒酢だった!何か腐った匂いしてきた」



「おい、マジで大丈夫なのかよ」



その頃、陽菜は翔の家のキッチンで奮闘していた。

翔はただその様子を不安そうな顔で見ている。



「大丈夫!絶対ここからリカバリーしてみせるからっ」



「リカバリーってもう既に失敗認めちゃってんじゃないのか?」



「………もううるさいなぁ。いいから黙って待っててくださいよ」



鍋の中は何やら異様な匂いが立ち込めている。

いよいよ陽菜の顔に焦りが見えてきた。



「お前これ作るの初めてだろ。何で作り慣れてないモノを作ろうとしたんだ?」



するといつの間にか翔がすぐ後ろに移動してきていた。


彼の視線の先には、先程まで陽菜が必死になって見ていたレシピサイトが開かれたスマホがある。


陽菜は悔しそうに唇を噛み締める。



「だって………一十先生にいつも作ってる得意料理なんて出したら蓮に嫌な思いさせちゃうって思ったから…。だから今まで作った事のない料理にしなくちゃって…」



陽菜のこれまでの全ては一十が中心だった。

彼に合わせた生活スタイルが染み込んでおり、料理に関してはそれが一番顕著だ。


食が細くあまり量を食べられない一十の為に考えたレシピは数知れず。

それは今も陽菜の頭に叩き込まれている。


その一十の為のレシピをここで作るのは良くないと思った陽菜は敢えて作った事のない料理に挑戦したのだ。


しかしどうやらいきなりぶっつけ本番は無理だったようで、鍋からは異様な匂いが立ち込めていた。


落胆するような翔のため息が聞こえ、陽菜の目にうっすら涙が浮かぶ。



「バカだな。気ぃ遣いすぎ。出された料理の向こう側なんてどうでもいいんだ。少なくともそれは僕に向けて作ってたんだろう?」



そう言って翔はスプーンで鍋の中の物体を一口食べた。



「………………………やだ嘘マジ信じらんね」



「れ…蓮?」



翔はしばらく、顔を信号機のように赤くしたり青くしたり忙しくしていたが、何とかそれを飲み下した。


そして思い切り脂汗を浮かべ、引き攣ったアイドルスマイルで決める。



「うん♡すごくスパイシーで美味しいね。喉がヒリヒリイガイガ止まんねーし。明日歌える自信ねぇくらい良く出来てる!」



「もう、全然褒めてないじゃん!早く水飲んでよ」



陽菜は慌てて彼に水を飲ませる。

翔はしばらく苦しそうに悶えていたが、急に笑い出した。



「蓮、もしかして何か中毒にでもなった?」



「はははっ、違うって。こんな可笑しくて笑ったの久しぶりだなって」



「……ま、まぁ不本意だけど確かにそうかも」



二人はしばらく笑い合った。



「カレーでも作るか」



「うんっ。それなら私も得意だよ」



「どうせあの先生さんの好みなクソ甘いヤツだろ?」



「あーっ、やっぱり気にしてるじゃないですか」



陽菜はまたもや頬を膨らませる。

しかし翔は楽しそうに笑っている。



「カレーに罪はない。誰が作っても誰が食っても美味いモンは美味いんだから」



そう言って二人分の包丁と野菜を並べていく。



「じゃあ一緒にやるか」



「うん」



二人仲良く並んで野菜の下拵えをする。

何故か陽菜はそこに今まで感じた事のない充足を感じた。



そんな満たされた気持ちでタマネギを刻む陽菜を見ながら、翔が何か言いたそうな顔をしている。



「どうかしましたか?」



「……なぁ、お前身長いくつ?」




「いくつって、こないだ測ったときは166.5とかだったかな。何かまだ伸びてるみたいでもう少しで167になるかも」



「……マジかよ」



翔は何故か思い切りショックを受けた様子で項垂れた。



「タバコやめたら成長期復活しないかな」



「無理って言ってたの蓮だよ?ふふっ。そのうち蓮の身長追い抜いちゃうかもですね」




「………今日から毎日牛乳飲むかな」




出来上がったカレーはとても美味しかった。

見た目に反し、大食漢な二人は鍋一杯作ったカレーを見事に完食した。










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