第113話「栗原柚菜side*覚悟の朝に*」
スーツケースに詰めた衣類はごく僅か。
残りのスペースに子供の衣類や玩具、身の回りの生活雑貨を詰めたらもうそれで持っていく物はない。
最後に柚菜は半年ばかり暮らした部屋を見渡した。
ここでの生活は短かったが、とても楽しかった。
夫婦にとって初めての子供を迎え、新しい生活を夢見ていた日々。
「……………」
知らず柚菜の瞳に涙が浮かぶ。
その視線の先には夫だった男の書斎が映る。
最初に違和感を覚えたのはこの書斎に入った時だった。
新しいドラマの撮影が始まる前に、資料を借りたいと入った書斎の床に写真が一枚落ちていた。
きっと机の前の窓が開いていたので、風で落ちたのだろう。
気軽に柚菜はその写真を拾い上げ、一応何の写真か確認する。
それを見た柚菜は思わず眉を寄せる。
「………女の子?」
写真には真夏の空をバックに真っ白なワンピースに白い帽子を被った少女が写されていた。
風にショートボブの髪が舞い、鮮やかな深紅のメッシュが目に鮮やかな印象を与える。
だがその写真は、ややピントがズレていて、少女の目線も合っていない。
まるで遠くから隠し撮りしたものをズーム加工したかのようだ。
写真の下には日付が書き込まれており、今から二年程前に撮影されたらしい。
「随分若い子ね。十代かな」
一体この少女は夫とどういう関係なのだろう。
見たところ二十歳前…、高校生くらいに見える。
親戚の子だろうか。
しかし彼には妹どころか、兄弟もいないので姪という事もないはずだ。
年齢的にかなり離れているし、そんな若い女の子と接点なんてあるのだろうか。
もしこれが彼が芸能事務所を立ち上げた後だったなら、きっと所属タレントかと思うはずだ。
しかし日付が正しいなら、二年前の彼はまだ普通のサラリーマンをしていた。
首を捻りながらも、柚菜はそれを机の上に置いた。
しかし何故かその写真が気になって、柚菜は引き出しに手を添える。
「……………な…に…コレ」
思い切って開いた夫の机の引き出しには、同じ少女の写真が複数枚出てきた。
やはりどれも目線が合っていないものばかりで、遠くから隠し撮りしたような写真だった。
まだ小学生くらいの時期のものもある。
まるで何か観察日記でもつけているかのように、写真は一人の少女の成長を記録し続けていた。
その全てに日付が記載されていて、ざっと十年分くらいあった。
それを見た瞬間、底知れない恐怖を感じた柚菜は、それ以来夫の目を見る事が出来なくなった。
夫には自分の知らない何か深い闇がある。
それを確かめる事は怖かった。
柚菜の知る夫は優しくて、自分の事も娘の事もとても大事にしてくれるいい夫だった。
それこそ何の不満もない。
それに自分の事を考え、事務所まで立ち上げてくれた。
しかしあの写真はどう見ても異常だ。
何か底知れない狂気を感じた。
一度そう感じたらもう夫の全てが疑わしく感じ柚菜は悩んだ末、結局家を出る決心をした。
「ごめんなさい。殉さん…」
柚菜は机の上に結婚指輪を置くと、ベビーカーに娘を乗せて家を出て行った。
その後、ネットのニュースには栗原柚菜の別居報道が流れ、離婚秒読みという見出しで騒がれた。
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