第252話「遠雷が二人を近付ける」

「何っ、あづ紗が撮影途中で逃亡しただってぇ!?何考えてんだよ、あいつ」



寝起きのシャワー途中だった翔は、腰にタオルを巻き付けたまま、ドラマスタッフからの連絡を受け、立ち尽くしていた。


髪からはポタポタと水滴が滴り落ち、フローリングの床を濡らす。



「……はい。…えぇそれは………わかります。でも僕に言われても…」



しばらくスタッフとの受け答えで眉間に皺を寄せる翔の肩に陽菜がガウンを掛けた。

翔は表情で「ありがとう」を伝えると、通話を続けた。



「はぁ……。あづ紗のヤツ、ついにやらかしたか」



「どうしたの?急に電話が入ってくるからびっくりしたよ」



早朝鳴り響いた電話を取ったのは陽菜だった。

それをシャワー中だった翔に繋いだのだが、どうも深刻そうな内容だ。



「あづ紗、キスシーンの撮影途中で逃げ出したってさ。楽屋に行ったらいなくなってて、連絡もつかないって」



「えっ、嘘」



翔は濡れた髪をタオルで拭いながらため息を吐いた。



「参ったな。絶対無理だと監督にも話してたんだけど、敢行したんだな。そこは差し替えにでもしとけば良かったのに」



「やっぱ男性恐怖症にキスシーンはキツいよね。私は違うけど、ファーストキスは仕事キスだったからなぁ…」



陽菜は翔の髪にドライヤーの微風を当てる。

その言葉にすぐ翔が反応する。



「え、ちなみに相手役は誰?」




「晴之だよ。藍田晴之」




「えー、あいつなの?」




翔は顔を顰めた。

脳裏にあのニヤけた晴之の顔が浮かぶ。


親友の陽菜の為に翔に恋人の有無を確かめてきた記憶が鮮明に残っていた。

今ならその理由がわかるが、あの時は恐怖でしかなかった。


藍田晴之は陽菜の親友で俳優仲間でもある。

降板したドラマでも、陽菜の兄役で出演している。

ちなみに彼は続投という形で、あづ紗の兄役は変わらない。




「そう。その頃からもう友達だったし、撮影は緊張したけど、変に意識しないで普通に仕事として出来たよ。ただ初キスが映像に残るのって、何かアレだよね」



「職業柄、僕らはそういう部分は仕方ないよな。僕なんか舞台やってたから異性の前での着替えに対する羞恥心鈍くなったし。隅でコッソリ着替えようとしたらガッツリ怒られた」



「だよねー?あるあるだよね。割とこっちの世界じゃ当たり前なのが世間からすると非常識なの」



二人は揃って笑った。



「んじゃ、そろそろ出るわ。僕が行かないとならないらしいし」



「せっかくのオフだったのにね」



陽菜はつまらなそうに呟く。

翔はその頭を優しく撫でた。



「出来るだけ早く帰るよ」



「うん。わかった。あ、そうだ。蓮のパンツ買ったんだ♡」



「は?ちょっと…」



陽菜は寝室から何か薄くてヒラヒラしたものを持って来た。



「ジャーン!お揃いのカップルぱんつ」




「それ、まんま女モノじゃんか。顔も声も女に間違えられてんのに、それ履いてたらマジ誤解されるだろ。その前に今のカップルってそこまでペアにすんの?」



私は面食らってその布地を凝視する。

それは随分可愛らしいデザインの下着だったが、一応男性向けのようだ。



「えー。ちゃんと前は開いてるよ?」



「いや。でもなぁ…。ペアって事はお前も履いてんの?」



「そだよ。見る?見ちゃう?」



陽菜は嬉しそうにロングスカートをたくし上げようとする。



「いや、いいって!見せなくて。わかったよ。履くから…。何か女装させられてる気分半端ないんだけど…」




翔はそれを受け取ると、洗面室へ消えていく。



「蓮ー、履いたら見せてよ」



「見せるか!」



洗面室から翔の必死な声が響いた。




        ☆☆☆



「……逃げて来たって、大丈夫なの?」




薔薇はあづ紗の前に紅茶のカップを置くと、少し離れた椅子に座った。



「わかんない…でも、怖くなって」



「うん。でもさ。仕事なんだし、ちゃんと連絡した方がいいと思うよ?」




「はい…」




薔薇はペットボトルの水を一口飲むと、窓の外を見上げた。

雨雲が青空をどんどん侵食していくのが見える。




「これはひと雨きそうだな…」




薔薇がそう呟いた瞬間、雨がバラバラ降ってきて、一気に激しくなる。

遠くの方からは雷の音が聞こえてきた。




「あの……私」




視界が時折、稲光で白く明滅する。

あづ紗が不安そうな顔で立ち上がるのを見て、薔薇が落ち着かせるように微笑む。



「参ったな。もう少しここで様子を見た方がいいね」



「は…い」



その瞬間だった。

突然激しい轟音が鳴り響き、建物を大きく揺らした。

それと同時に電気が「ブチっ」と音を立てて消える。



「やだっ!」



「えっ…?」



不意にバタバタという足音がしたかと思うと、薔薇の胸の中に温かくて柔らかなものが飛び込んできた。


暗闇で何が起こったのか理解出来ないでいたが、シャツを通して伝わる温もりは人の体温である事は間違いない。


あづ紗が薔薇の胸に飛び込んできたのだ。



「………大丈夫だから。ウチの店、電圧に負荷がかかると勝手にブレーカーが作動するんだよ。多分ここに落ちたわけじゃないよ」



あづ紗は華奢な身体を振るわせて薔薇にしがみついている。


普通ならその身体を抱きしめたいところだが、彼女は未成年だし男性恐怖症でもある。なので薔薇は自分から動く事はせず、ただ彼女が落ち着くのを待った。



「ごめんなさい。雷、昔から苦手で」



「だよなぁ。俺もガキの頃は雷が聞こえる度にワクワクしてたけど今は苦手になったな。デカい音への耐性が弱くなってるの感じる」



やがてあづ紗が落ち着き、静かに薔薇から離れた。




「私、平気だったよね……今、ソウビさんに触っても大丈夫だった」



「え、でも咄嗟の事だったし、マジで大丈夫?吐き気とかない?」



あづ紗はゆっくり頷く。

その顔は妙に赤く見えた。




「あ、電気が着いた。店長がブレーカー戻してくれたんだな。それに雨雲も向こうに行ったみたいだ。一時的なものだったのかもしれない」



薔薇は窓を開けて外の様子を確認した。

先程まで滝のように降り注いだ雨は小降りになってきている。



「最近天気が不安定だから気をつけないとな」



「あの、ソウビさん…」



「ん、何?」




あづ紗はこちらを真剣な眼差しで見つめていた。

薔薇はその顔に何かを感じ、表情を正した。




「私、ソウビさんとだったら「恋愛」が出来ますか?」




「うん?それは……」




予期せぬあづ紗の告白に薔薇の唇が戦慄いた。




「ソウビさんの事、異性として好きって言ったら……どうしますか?」



「んんんん?いや、え?それってどういう事!?」








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