第96話

「あっ、この曲、昨日の歌番組で聴いたトロエーの新曲だ」



「ホントだ〜。めっちゃイイよね」



街を歩いていると、どこからかトロピカルエースの曲が聴こえてくる。

女の子たちが素早く反応して立ち止まる。


ビルに設置された巨大モニターには、来月発売される新曲のPVが繰り返し流れている。


夕陽もそんな彼女たちの反応に、足を止めて巨大画面を見上げた。

華やかな衣装に身を包み、ダンスしながら歌う彼女たちの姿は眩しくて、遠い存在に思える。



(この中の一人が俺の彼女だなんて、誰も知らないんだろうな……)



周囲の人々はモニターの彼女たちに釘付けになっている。

群衆の中に埋もれながら、夕陽はそんな事を思った。



(あの中の一人に、俺は掃除をしてやったり、洗濯したり、飯を作ってやったり……って、何かこれ……違うな。これ家政夫?)



考えれば考える程、ドツボにハマりそうになってきたので、夕陽はモニターに背を向けて歩き出す。


今日は久しぶりに笹島、三輪、佐久間と飲みに行く。


最近色々忙しくて中々四人で集まる事が出来なかった。

三人はもう既に合流しているようで、スマホにはビールの画像を添付したメッセージが送られてきた。


夕陽は残務があったので、やや遅れてしまったのだ。


待ち合わせ場所はいつもの居酒屋だ。


中はもう程よく出来上がったサラリーマン達の喧騒に包まれている。



「おぉっ、夕陽!こっちこっち〜」



店内に入ると、すぐに見つけた三輪が立ち上がってこちらに手招きする。



「悪いな。途中で変更入って、日程の調整に手間取った」



夕陽はネクタイを緩め、座敷に上がる。



「あー、ああいうのって、何故かこれから帰る直前に来るもんだよね。参るよ」



三輪は苦笑いを浮かべる。

そこに夕陽のビールが到着する。


「おっ、ジャストタイミング!」


佐久間が笑って手を叩いた。


「だろ?夕陽が来る時間を計算してオーダー入れたからね」


笹島は得意そうに胸を張る。


テーブルにはそれぞれが頼んだ様々な料理が並んでいた。


特に今日は中央に大きなホッケが存在感を放っている。

旬ではないが、よく脂の乗ったホッケは見るからに食欲を誘う。


三人とは大体、食の好みが一緒なのでどれも夕陽の好きなものばかりだ。



「じゃあ、そろそろ乾杯いっちゃう?」


「オッケー」


三輪の意見に三人も同意し、ジョッキを掲げた。



        ☆☆☆



その頃、歌番組の収録を終えた永瀬みなみは楽屋にいた。


着替えを終えて、マネージャーから準備が出来たと知らせに来るまでの時間をスマホを眺めながら待つ。


夕陽からは「これから笹島達と飲み」とだけある。

相変わらず夕陽のメッセージは短い。


大体みなみが打つ文字数の十分の一くらいで返信してくる。


それが彼らしいといえば、そうなのだが、少し寂しさもある。


その時、コンコンと軽いノック音が部屋に響いた。


「はーい」



てっきりマネージャーだと思っていたみなみはすぐにドアを開けた。



「こんにちは。永瀬みなみくん」



「あ…、円堂さん」



そこに立っていたのはマネージャーの内藤ではなく、円堂殉えんどう じゅんだった。


彼は最近出来た芸能事務所、「sky blue」の社長だった。

移籍してきた女優の栗原柚菜やタレントの来生セナも在籍する、業界でも最近注目の事務所だ。


ちなみに円堂は栗原柚菜の夫という事でも有名だ。


年齢はそろそろ四十に手が届く頃だろうか。

それでも実年齢より若々しく、清潔感のある爽やかなイケメンという風情を保っている。


その円堂は最近何かとみなみの周囲をウロつき困っていた。



「ごめんね。また押しかけちゃって。でもそろそろ返事貰えると嬉しいんだけどね」



「………それは」



みなみは顔を曇らせる。

そこに廊下からわざと大きな足音を立てて、森さらさがやってきた。



「はいはい。みなみ、もう準備出来たって。円堂さん。お気持ちは有り難いのですが、うちのみなみは移籍なんてしませんから」



さらさは強引に二人の間に入って話を中断させた。



「おや。今まで見ても知らぬ存ぜぬを通してきたキミが珍しい。何か心境の変化でもありました?」



するとその様子に円堂が目を丸くする。

さらさはそれを鼻で笑った。



「ええ。ありましたよ。でもそれが何か?さぁ、行くよ。みなみ」



さらさは円堂を冷たくあしらうと、みなみの手を取った。



「じゃあ、また今度ね。永瀬みなみくん。それからキミもね。「更紗」」



「くっ……」



本名を出された瞬間、さらさが唇を噛み締めるのがわかった。

みなみはそれを横目で見つめ、やや恐怖を感じる。

何の接点もないように感じたが、二人には過去に何かあったのだろうか。


だが円堂は楽しげにこちらへ手を振っている。

本当に何を考えているのか分からない男だ。



「森さん……」



さらさは厳しい顔で円堂に背を向け、歩き出す。

みなみはそれについて行くだけで精一杯だった。



「あの男はダメ…。絶対に近付いてはダメよ。みなみ」



さらさは後ろを振り返らずにそう呟いた。
























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