第307話「朝のルーティン」

朝4時半。

スマホのアラームの音で目覚めた夕陽は真っ暗な部屋の中、手探りでスマホを確認すると隣で幸せそうに眠る妻を起こさないようにベッドを抜け出した。



今日はみなみの仕事の都合に合わせていつもより早起きをする日だ。



新居であるこのマンションに引っ越したのはつい最近の事なので、まだ慣れない環境ではあるが、キッチンがずっと憧れだったアイランド形なのは気に入っている。



この家で料理をする事になるのは明らかに自分の方が多いだろうから、そこだけはこだわらせてもらった。



夕陽は音を立てないようにクローゼットに掛けてある衣服に着替えると、リビングへ移動して空調と照明をリモコンで操作する。

それを確認しながら、洗面台へ移動して身支度を整える。

ついでに観葉植物の水をやるのも忘れない。

その内に寝起きのぼんやりした頭がようやく冴えてくる。



「さてと。今朝は何を作ろうかな」



キッチンに無造作に掛けてあるカーキ色のエプロンを装着すると、夕陽は続いて冷蔵庫から卵とバターケースを取り出す。


続いてソーセージとチーズ、そして事前に準備していたサラダ用のカット野菜の袋も出しておく。


夕陽は手慣れた様子でボールに片手で割った卵を入れると、それを素早く溶きほぐし、熱したフライパンにバターを一欠片投げ込む。


ジュワッとバターの溶ける良い香りがたちのぼる。

そこに一気に卵液を流し込む。

そして卵が固まり切らない内にシュレッドチーズをパラパラと投入する。


朝食作りは独身時代から変わらない朝のルーティンだ。


妻は朝食を面倒がって食べない事が多い。

だが自分と結婚した以上、それは許さない。

どんなに面倒だと言ってもそこはしっかり食べてもらう。


やがてフワフワのチーズオムレツが焼き上がると、そのフライパンに皮を破って爆発しないよう表面に切れ目を入れたソーセージを入れて軽く炙る。


するとその匂いにつられてみなみが起きて来た。


髪はボサボサで、肩からずり落ち気味のパジャマをだらしなく引っ掛けた姿は、決してステージ上のキラキラしたパフォーマンスでファンを魅了するアイドルには見えない。


しかしこうした素の姿を見られるのは自分だけだと思うと別の感情も湧いて来るから不思議だ。



「おハロー、夕陽さん。早いね」




「おっ、今日は珍しく一人で起きてこれたじゃないか。エライな」



「うん……それはまぁね。それより夕陽さん。ホントにお母さんみたいだね」



「ほっとけ。俺は料理してる時が一番楽しいんだよ。それよりそこの食器並べてくれ」



仕上げにサラダを盛り付けた夕陽は、まだパジャマ姿のみなみに少しため息を吐いたが、そこはスルーすることにした。



「りょーかい。あ、オムレツだぁ♡」



食器を仕舞ってある収納スペースから皿を取り出したみなみはフライパンからはみ出しそうなくらい主張しているフワフワなオムレツに鼻を近づけ、スンスンしている。



「さて、俺は仕事の準備するから先に食っていてくれ」



あらかた朝食の準備を終えた夕陽はエプロンを外すと自室へ戻ろうとする。



「えー。夕陽さん。一緒に食べないの?」



「ん。悪いな。ちょっと海外の取引相手とリモートで打ち合わせがあるんだ。時差の関係で指定されたの今だから。俺に気にせず食べていいぞ」



「はぁい。夕陽さんも忙しいんだねー」



「現役アイドルのお前と比べたらそんな事ないさ。今日はたまたまだよ。次のイベントのコンセプトがそっち寄りだったからオブザーバーとして参加してもらうだけだ」



そう言って夕陽はみなみの頭に手を乗せる。

みなみはその手に自分の手を重ねた。



「でもやっぱりずっと一緒はいいね。もうこれからはコソコソしなくてもいいから、二人で堂々とデートも出来るし、遅くまで一緒にいても帰らなくていいんだもん」



「そうだな。まぁ、でも事務所の方からはあまりマスコミを煽るような振る舞いは避けろとか言われてなかったか?」



そういえば、結婚を事務所から公式に発表した際、社長からはそのように言われていた事を思い出した。


まぁ、彼女はまだ現役のアイドルだ。

それが往来で夫と大胆にベタベタしていたらあまり印象は良くないだろう。


一足先に結婚したリーダーの森さらさも、公の場では夫の話はしなくなった。

一応そこは考慮しているのかもしれない。



「えー、渋谷のスクランブル交差点のど真ん中で白昼堂々とベロチューかまそうと思ってたのに」



「やめろ。それは社会的に終わるから」



夕陽はため息を吐いた。

こういうところは結婚前と少しも変わらない。

みなみは不満げに夕陽を見上げた。



「じゃあ、今ここでキスしてよ」



「何か聞いた事あるフレーズだな。…いいよ」



夕陽はみなみの肩に片手を添えるともう片方の手でみなみの顎を持ち上げキスをした。


歯磨き粉のミントフレーバーが混じったキスだった。



「夕陽さん…朝にしてはホンキのキス…だね」



「……言うな」



キスの余韻で乱れた息を整え、夕陽は少し紅潮した顔のままリモート会議に出て行った。

きっとそれを揶揄われるのが手に取るように分かる。



「さてと。私も本格的に仕事だもんなぁ。新曲のレッスンは今日からだし、あ、来週からは短編ドラマのクランクインだった!相手役、木屋町隼さんか…病気治ったのかな」



みなみは皿に盛り付けられたオムレツを一口頬張り、カバンの中の台本に視線を向けた。









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