第11話
「私、夕陽さんの家に行ってみたいな」
「うぼっ?」
月は変わり九月になった。
先月、水族館へ行った日からお互い仕事が忙しくなり、連絡は専ら電話やメッセージのやり取りだけになったが、何の奇跡か人気アイドルと一般男性の交流は細々とだが続いていた。
しかし2人の関係はというと、特に進展したわけでもなく、ただの友人のような兄妹の延長のような、そんな生温いもの止まりだった。
そんなある日、突然みなみが電話で夕陽の家へ行きたいと言い出した。
一体何故人気アイドルが一般男性の部屋に興味を持ったのだろう。
そういえば今日のお昼の生放送の番組でゲテモノのソフトクリームをトロピカルエースの5人が食レポしていたのを思い出した。
他のメンバーたちが一口しか食べる事が出来なかったのを、みなみだけは一人で完食していた。
その時の後遺症かもしれない。
夕陽は思わずスマホを取り落としそうになり、おまけにローテーブルの角に膝を思い切り打ちつけた。
「あれあれ、大丈夫?夕陽さん」
「あ…たた。だ…大丈夫だ。今、ちょっと耳鳴りがしただけだから」
「ちょっと、そんな子供騙しでスルー出来るなんて思ったら大間違いだからねっ。ちゃんと夕陽さんが聞いてくれるまで何度も言うから。ゆ……」
「わかったよ。わかったから。だけど家はダメだ。マジで」
ジンジン熱を持ったように痛む膝を摩りながら夕陽はきっぱりと言うべき事は言う。
「えー何でよー。ケチんぼ。減るもんじゃなし」
「そういうもんじゃない。お前大体自分の立場わかってんのか?現役アイドルが家族以外の男の家に行くって、すげぇパワーワードだぞ」
電話越しのみなみは不服そうだ。
「そんなことないよ。女優の栗原柚菜だって家族以外の男の人の家に行ってたから電撃結婚したんだし、よくある事なんだよ。きっと」
「すげー理屈だな。でもダメだ。写真でも撮られたら俺もお前も社会的に終わる」
「そんな大袈裟な。ただオトモダチの家に遊びに行くだけだよ?」
「オトモダチ!何だそれ。どこかの国の幻のキノコの名前か?」
「そんなに嫌がるなんてさー、夕陽さんもしかして彼女と同棲してるんじゃないの?」
「してない。彼女いないって前に言っただろうが。それに後にも先にも同棲した事なんてないわ」
みなみが楽しげに笑う。
完全にからかわれている。
大の大人がこんな年下のアイドルに。
「あっ、もしかして家に人気絶頂アイドルが居たらムラムラしちゃう?」
「…………」
「ちょっと。そこはすぐに突っ込んでよ。無言は怖いわ」
「いや、どちらかというと俺の方が襲われそうだ」
「何でよ!とにかく絶対行くからね。これは決定事項っ」
永瀬みなみは一度言い出したら聞かない性分だ。
もう何を言っても無駄だろう。
それに夕陽には彼女に聞きたい事があった。
それは彼女に付き纏うストーカーの事だ。
話の内容的になかなか切り出せないでいたが、これはチャンスかもしれない。
「わかったよ。来てもいい。で、いつがいいんだ?」
必然的に電話する時や会う日は向こうに合わせるようにしている。
彼女の方が多忙なのは理解しているので自然とそうなった。
「ホント?やったー。じゃあね〜、来週の水曜日でもいい?」
夕陽の会社は毎週水曜日と日曜日が休みだ。
隔週で火曜日と水曜日が連休になる。
だから水曜日は一般的には平日だが、夕陽には休みになる。
だが、予定を書いたカレンダーを見て夕陽は瞬きをした。
「あ、悪い。その日、友達と釣りに行く約束があったんだ」
カレンダーには笹島、釣りと書いてある。
夕陽と笹島の共通の趣味は釣りで、大体月に2回〜3回は釣り堀に行っている。
「わぁ、何そのオヤジ趣味。ていうか本当にそんな約束あったんですかー?」
「悪かったな。オヤジで。約束は本当だよ。……でもまぁ、あいつとは先週も行ったしキャンセルしてもいいかな」
「いいの?」
「しょうがないからな」
電話越しにみなみが暴れているのを感じる。
どういう喜び方をしているのやら。
「じゃあ、水曜日な」
「うん。ありがとう。夕陽さん」
通話を切ると、ドッと疲れが押し寄せてきた。
「はぁ…。後は笹島か。何て理由で断ろう…」
☆☆☆
「えっ、来週行けなくなったって?」
翌日。
出社前に笹島とコンビニに寄ったついでに夕陽は急な予定が入って行けなくなった事を告げた。
「あー、別にいいって。何なら俺一人で行くし」
「悪いな」
コンビニの店前で缶コーヒーを飲みながら、夕陽は軽く頭を下げた。
最近笹島がコンビニによく通っている理由は、700円以上買い物をすると貰えるトロピカルエースくじが目当てだ。
その成果はまだ現れず、今日は缶コーヒーとアイス、ゼリー飲料が当たった。
笹島の一番欲しい商品はトロピカルエースのパネルクロックだ。
しかし当選は僅か5名なので中々の狭き門だ。
「気にしなくてオケだよ。もしかしてさ、その約束の相手って女?」
………ぶはっ!
思わず吹いてしまった。
「あー、ごめんごめん。ほいハンカチ。でも図星ついちゃったとか?」
「ゲホゲホ…。うっ、まぁ生物学的に女なのは確かだけど」
ついでにお前の推しが在籍するトロピカルエースのメンバーだったりするが。
そんな笑えない事を考えつつ、夕陽は口許を拭った。
「そっかそっか。実は最近お前のそういう話聞かないからそろそろかなと思ってたんだ。うん、そういう事ならそっちを最優先にしろよ」
笹島は何を勝手に納得したのかウンウンと頷いている。
「ちょっと待て。何か勘違いしてないか?」
「いんや〜。多分してないと思うけど」
「だったら聞かせてもらおうか」
最悪な予感がした。
笹島は人差し指をピンと立ててウィンクする。
「ズバリ!今狙ってる女の子がいて、部屋に呼ぼうとしている。そうだろう?」
「違うっ!」
すると笹島は妙に達観したような、悟りでも開いたような目で夕陽を見つめ、まるで人生の先輩のような顔でその肩を叩いた。
「わかるっ。わかるぞ。夕陽。その子とは付き合うか付き合わないか、そんな微妙な時期なんだろう?つまり今度の休みの訪問はめっちゃ大事な勝負の日だ」
「おーい、笹島耕平よ、帰って来い」
しかし彼の演説は止まらない。
「そんな大事な決戦の日に俺なんかと釣り堀になんて言ってる場合じゃねーよな」
「だから違うって…」
「いいんだ。それに、久しぶりなんだし決戦の前に男にも色々買う物があるだろう?」
「はぁ?お前何言って…」
「成功したら赤飯のお握り奢るな」
そう言って笹島は往年の結婚ソングをハミングしながら歩き出した。
「………俺、あいつと友達やめようかな」
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