第120話
「みなみの誕生日、もう終わっちまうなぁ…」
笹島と共にたっぷり残業して、帰路に着いた夕陽はスマホで時刻を確認し、疲れたようなため息を吐いた。
今日はみなみの二十歳の誕生日である。
当日は彼女の仕事が忙しくて会えない為、事前に祝いのメッセージとプレゼントは贈っているが、やはり直接伝えられないのは味気ない。
そんな思いを振り払うように、夕陽はスーパーへ寄った。
そろそろ閉店時間が迫り、客も疎らな中、適当に食材をカゴへ放り込んでいく。
「おっ、納豆1パック38円じゃん!しかもラス1っ」
残り物には福がある。
特売品を集めたコーナーに目を光らせた夕陽は素早く納豆に手を伸ばした。
「よっしゃ!朝食ゲットー」
「はい?」
夕陽の手は虚しく空を掴んだ。
わけがわからず顔を上げると、そこには見知った顔があった。
「……また貴方でしたか。森さん」
「あらら。やだ、その声はもしかして王子?」
そこにいたのはトロピカルエースのリーダー、森さらさだった。
久しぶりに見るさらさは、色の濃いサングラスを下げ、納豆を持ってこちらをキョトン顔で見つめている。
一応サングラスにキャスケットで変装めいたものはしているが、やはり夕陽には一目でわかった。
「どうしたんですか。こんなところで…。もう倹約生活は止めたんじゃなかったんですか?」
さらさがスーパーへ通い、倹約生活を送っていたのは義理の兄が原因だったのだが、現在その件は解消されたはずだ。
しかしさらさのカゴの中は嵩増しレシピ御用達のお麩や高野豆腐等が入っている。
夕陽の視線を感じ、さらさは照れ臭そうに笑った。
「あははは。何年も染み付いた習慣は中々抜けないものよねぇ。もう倹約がマイライフになっちゃってるのよ。今度レシピ本出してみようかなって♡」
「………だからといって、朝飯に納豆1パックは止めた方がいいですよ。しっかり野菜や動物性のタンパク質も摂ってくださいね」
「もうわかってるわよ。誰もこれだけで朝食済ませるなんて言ってないわ。冷凍庫にロケ弁当の残りを保存したのがあるのよ♡」
「……全然わかってないな。この人」
夕陽は頭痛を感じた。
☆☆☆
「ふふふっ。まさかまた王子と会えるなんてねぇ。あ、みなみとは「まだ」上手くいってる?」
「「まだ」って含みがあるなぁ…。心配しなくても上手くやってますよ」
スーパーを出て、二人はゆっくりと歩き出す。
さらさのマンションはこの近くにある。
当然行った事はないが、みなみから聞いていた。
「そっかぁ。良かった。ふふっ。そんな顔しなくてももう大丈夫よ。もう王子の事は思い出として吹っ切ったから」
さらさは笑顔を向けてきた。
その顔には確かに曇りがない。
「今はねぇ、ただ幸せそうな二人の惚気話を聞くだけでこっちも幸せな気分になるわ。貴方を好きな気持ちは、そういう種類の「好き」に変わったの」
「森さん…」
盗み見たさらさの横顔はとても綺麗だった。
アイドルで女優なのだから当然かもしれないが、それは彼女から滲み出る人間味からくる綺麗さだと夕陽は思った。
「……私、あれからしっかりリーダーやれてるかな?」
さらさは少し自信なさげに夕陽をチラリと見た。
夕陽は力強く頷く。
「ええ。とても立派だと思いますよ。聞きましたよ。乙女乃さんの事。森さんが事務所に掛け合ったって。それに笹島のところに彼女の身柄を預けたのも良かったと思いますよ。あいつの家族は温かいから」
「王子……」
さらさは嬉しそうに微笑んだ。
確かに彼女は変わった。
そしてバラバラだったトロピカルエースは一つに生まれ変わろうとしている。
「また今……」
さらさが「また今度みなみと一緒に会おう」と言いかけた瞬間、背後で人の叫び声が耳に届いた。
夕陽もすぐに険しい顔でそちらを振り返る。
「森さんはそこにいてください」
「えっ?王子…?」
さらさが後ろを振り返ると、道路に黒塗りの高級車が停められており、男が若い女性と口論しているところだった。
その女性が何か大声反論しようとした時だった、急に女性は糸が切れた人形のように力を失って男の方へ倒れ込んだ。
明らかにおかしな状況だ。
さらさは身を固くし、夕陽を止めようと手を伸ばした。
その時、後続の車のライトが反射して男の顔が一瞬、くっきり見える。
「あれは…円堂社長?」
さらさは訝しげに眼を眇める。
ライトに照らされたその顔は、確かに芸能事務所「sky blue」の社長、円堂殉だった。
そして現在離婚調停中の栗原柚菜の夫でもある。
いつもにこやかで物腰の柔らかな印象の男が、この日はやけに冷たい表情を浮かべている。
こちらが彼の本性なのだろうか。
この世界に裏表のない人間なんて殆どいない。
誰もが自分の本性を上手く隠して活動している。
それをさらさは痛い程わかっているつもりだが、それでも彼の冷たい顔は衝撃的だった。
円堂は力を失って動かなくなった女性を車に乗せようとした。
するとさっきまでさらさの横にいた夕陽が飛び出して行った。
「ちょっと王子っ!」
さらさの制止も聞かず、夕陽は男の腕を掴んでいた。
「何だ?お前は」
円堂は明らかに不快げな顔で夕陽を睨みつける。
「こんなところで無理矢理女性の力を奪って車に乗せるなんて、見過ごせない」
「はぁ?お前頭沸いてないか?ガキのクセに一丁前なセリフこいてんじゃねぇよ」
そう言って円堂が拳を振り上げた瞬間、スマホのカメラのシャッター音が響いた。
見るとさらさがスマホをこちらへ向けて撮影しようとしていた。
「ちっ。騒ぎがデカくなるな」
円堂は舌打ちすると、夕陽を突き飛ばして車に乗り込んだ。
そしてあっという間に走り去って行く。
「大丈夫?王子」
さらさが心配そうに駆け寄る。
「え…えぇ。あの、助かりました」
「もう。本当よ。貴方も余計な事に首を突っ込まないでよね。心配でおかしくなりそうよ」
「スミマセン。ところでこの女性……」
力なく倒れたままの女性を見た夕陽の目が大きく見開かれる。
「王子、彼女がどうかしたの?」
さらさも覗き込むが、知らない女性だったようだ。
だが夕陽は彼女を知っていた。
夕陽は唇を震わせ、呟く。
「野崎……詩織?」
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